報道特集

2018年6月16日

【蹴られる東大⑧】開成生はなぜ海外大を目指すのか・開成学園柳沢校長インタビュー

 2018年度、開成高校からは6人の学生が海外の大学に進学した。

 

 「優秀な学生が海外に進学するようになったのは、日本の未来に対する不安感や、企業の採用方法・採用基準の変化が理由なのではないか」

 

 そう分析するのは、ハーバード大学院教授や東京大学教授を歴任し、現在は開成学園の校長を務める柳沢幸雄さんだ。

 

 ハーバード大学院、東京大学、開成という三つの学校で生徒・学生を指導した柳沢校長に、海外のトップ校に学部から進学することの是非や、開成の取り組みについて聞いた。開成学園の校長室で行ったインタビューは、柳沢校長の「日本の常識は世界の非常識」という言葉で始まった。

 

(連載「蹴られる東大」は、東大を蹴って海外大に進学する学生に迫り、これからの時代に東大が取るべき道を探る企画です。 取材・須田英太郎 撮影・高橋祐貴

 

東大が「蹴られない」のは日本の弱点

 

 

──海外の大学に学部から進学する高校生が増えています

 

 日本の教育機関で「蹴られない」のは東大だけですが、トップスクールだから蹴られないというのは先進国では一般的ではありません。東大は約3000人の合格者を出して、蹴るのは理科Ⅱ類から他の大学の医学部に行く十数人くらい(平成29年度の東大の入学辞退者は19名)。しかし、ハーバードは1600人定員で、2000人くらいに合格を出す。5分の1である400人近い受験生がハーバードを蹴るからです。

 

 私が教えていたのはハーバード大学の公衆衛生大学院だけど、私たちは常に“equivalent university(同等の大学)”というものを意識していました。公衆衛生を学べる大学院には、ジョンズ・ホプキンス大学や、ミシガン大学、ノースカロライナ大学、イェール大学といった同レベルの他大学があります。学生はその中から、自分のやりたい分野に詳しい指導教員がいる大学を選びます。大学の名前ではなく、自分の学問分野と指導教員との関係を考えて進学する大学を選ぶ。

 

 複数のトップスクールが選択肢にあり、その中から一つを選ぶというのは、学部生についても同じです。中国であっても北京大学、清華大学、上海交通大学、復旦大学というようなトップスクールが八ヶ岳のような連峰をなしている。しかし、日本では東大が頭一つ出ていると認識されている。それが東大の最大の弱点なのです。

 

 蹴られることがない東大の先生は、競合大学のことを考えて蹴られる要因を探り、微調整を続けながら教育を改善しようという発想にならない。開成中学校にしても、筑駒(筑波大学付属駒場中学校)など他の中学へ進学する受験生に蹴られますから(笑)。こうして東大が勝ち続けてしまっていることは日本の弱さにもつながっています。

 

東大が選択肢の一つになる日が来るべき

 

 

 これまでの時代の企業は、偏差値の高い大学の卒業生を採用すれば成長することができました。そのため「大学入学後に何をしたか」について誰も問わなかったのです。そのような評価基準がまかり通っていても、これまでの日本が生き残って来ることができたのは、ひとえに戦後の東西冷戦の中、東西の分割線に近いこの国が西側諸国にとっての重要な地域として守られ、経済的にも大きな後ろ盾を持ちながら成長していくことができたからです。しかし、これからはそうはいかないでしょう。

 

 冷戦が終わり、世界の経済が一体化していくなかで、日本は新しい成長のあり方を見つけることができずに「失われた30年」を過ごしました。この30年は、これまで蓄えた豊かさがあったから生活水準を維持できましたが、現在、多くの若い世代は「自分の親と同じ生活水準になれない」という不安感を抱えています。

 

 海外へ留学する人が少ないというのは、その社会が成功したという証なんです。自分の国がうまくいっていて、将来に向かって希望が持てる状況であれば、誰も外に出ようと思わない。ただ、そこに閉塞感あるいは黄昏(たそがれ)感があって、将来に対する不安があるから人は移動する。

 

 若者が生まれ育った故郷を離れて言葉も食事も習慣も違うところに行くというのは、戦後の高度経済成長期における集団就職列車に似ています。青森弁を話す若者が、全然違う言葉である標準語の世界に行く。当時青森から東京まで、夜行で12時間かかりましたが、それは今の成田からニューヨークの時間と同じです。当時、自分の故郷の未来に対して不安があったから、彼らは農村から都市に出た。

 

 日本と海外の関係に目を向ければ、高度成長とバブルの間は「日本にいた方がいいじゃない」と多くの人が思っていたから海外への留学生は少なかったわけです。今また留学生が増えてきているのは、社会が必ずしも良い状況ではないからです。

 

 大学は日本企業の採用の仕組みにのっとって学生が就職できることを教育の目標とします。就職できる人材に育つ素質のある学生を入学させるために、大学は入試や面接を行う。そうすると高校は、その入試に合わせた教育になる。中等教育や高等教育のあり方は、企業の採用のあり方や働き方の仕組みによってトップダウン的に決まるんです。

 

 日本企業で伸びているところは、働き方や学生の採用の仕方を転換し始めています。インターンや大学での活動を重視したり、ボストンキャリアフォーラム(毎年ボストンで行われる日本人留学生などの日英バイリンガルを対象とした就職イベント)のような機会を活用したり、海外への留学生を中心に採用するということが広がりつつあります。

 

 こういった形で働き方や就職の多様性が広まっていけば、東大受験生も競合大学を視野に置く、世界の常識に近づくようになるでしょう。多様性に富む開成生の選択肢が東大とequivalent universityにもっと広がることは、日本にとって望ましいことだと思います。その観点に立てば、開成の東大合格者数がトップでなくなることは日本にとっても、開成にとっても望ましいことなのかもしれません。

 

 

開成学園の取り組み

 

──開成高校からも海外に進学する卒業生がいますが、開成の生徒や保護者は海外進学についてどういう考えを持っていますか

 

 まず保護者について説明すると、多くの保護者は息子に海外も視野に入れた人間になってほしいと考えています。今の中学生・高校生の保護者は40代から50代で、いわばビジネスの最前線で仕事をしている人。自分の息子の将来に関して「このまま日本のエリートコースに乗ったにしても、自分と同じ生活レベルまで到達できないのではないか」という漠然とした不安を感じています。

 

 生徒の場合、自分の将来像は部活や学校行事で出会った先輩の影響で決まります。開成は「進路指導」というものをしないので、「東大に行け」とも「海外に行け」とも言いません。生徒は海外に行った先輩を見て「あ、あの先輩が海外に行っちゃった。あの人でも行けるなら俺も行ける」と思うんです。そうなると海外への進学という選択が雲の上の夢物語ではなく、現実になっていく。

 

 そういった生徒をサポートするために、海外大学への進学やサマースクールについてカレッジフェアなどで説明しています。生徒に経験談をしゃべらせ、興味を持った後輩は自分で願書の書き方を調べて書く。「どうしても書き方が分からない」という問い合わせが来たら、そのときに初めて教えます。海外の学部受験をしたい生徒からの要望があったので、放課後にSATやTOEFLの講座を任意参加で開いています。

 

 海外進学を考える学生にとってハードルとなっているのは経済的な問題です。ハードルは高いですが、ハーバードやイェールの留学生向け奨学金を勝ち取る、あるいは柳井正財団などの奨励金に応募して、門戸を開くチャレンジが必要です。

 

──教員のみなさんのモチベーションは

 

 「もし生徒が求めるのであれば、それを支える組織を作りましょう」というのが昔からの開成の方針です。ネーティブの先生を中心に国際交流委員会を作り、先生方をアメリカに派遣して大学の視察をしてもらいました。まずは委員を毎年何人かずつ入れ替えながら、AO入試のメカニズムや、どういう準備が必要なのかを調べた。

 

 その次は生徒がたくさん行きたがるサマースクールの視察です。毎年やっていて、いろいろな科目の先生が行きました。良いサマースクールを見極めそこでの教育の質を調べるのが目的ですが、先生方にとってはアメリカの中等学校や大学の教育方法を参考にする良い機会にもなっています。

 

海外の良さ、東大の良さ

 

 

──海外の大学に進学することについて柳沢先生はどうお考えですか

 

 一口に海外進学と言っても、学部から海外に行くか、大学院から行くかで大きく違います。ハーバードで教えていたとき、日本から留学している学部生とボストンでBBQをしました。彼らは日本の高校で習った知識については日本語で話すんですが、大学で新しく得た知識については英語でしか知らないから英語でしゃべるんです。一方、大学院から海外に行った人は、だいたいのことを日本語で理解し日本語で考えている。

 

 学部にいる間というのは、新しい知識概念をどんどん得る時期です。それを日本語で学ぶのか、あるいは英語で学ぶのかという違いは非常に大きい。世界全体を見ると、学部教育を母語で学ぶ人は限られた国の学生です。世界の多くの優秀な若者たちは、学部レベルから英語の教科書で学び、その知識の概念を英語で持ち、英語で理解した学問体系で物事を見ている。頭の中での概念形成を母語と英語の両方で行った人は、母語だけの人と比べて相当クリエイティブです。

 

──東大の良さは

 

 一方で東大に進学することの良さは、前期教養課程があることです。東大の1,2年生は教養学部に割り振られ、2年生の夏に行われる「進学選択」によって自分が進む学部を決めます。この教養学部は形の上では、世界一のリベラルアーツ組織だと思っています。新入生3000人を教えられるだけの科目群がそろっている。

 

 教養課程はオーダメイドの注文服のようなもので、学生一人ひとりが自身のバックグラウンドや興味を踏まえた科目群を修め、その後の専門課程につながる学問体系を身に付けることを目的としています。東大以外のほとんどの日本の大学では高校生が専門を決めて受験しなくてはなりませんが、それだと高校時代に学んだことで大学の専攻を選ぶことになる。高校の科目群というのは、基本的な学問分野に限られており、ある意味偏っています。高校の理科で学ぶのは大学の理学部で研究していることばかりで、工学部の専門分野についてはほとんど知ることはできません。私が卒業したのは工学部の化学工学科(現・化学システム工学科)です。高校生のときに化学工学なんて知らないので興味の持ちようがありませんよ(笑)。東大の前期教養課程があったから化学工学を選ぶことができたんです。

 

 しかし、東大の教養課程にも問題がある。東大の教養課程はたくさんの科目群はそろっていますが、学生が何を履修すれば良いのかをアドバイスする仕組みが不十分。せっかく一人ひとりにオーダメイドの注文服を作る仕組みがあるのに、どんな服があなたに適していますというサポートをすることができていない。東大にはそういった助言を学生に与えるアドバイザーの制度があり教員が担当してはいますが、良いアドバイザーを適切に評価する仕組みがないのが問題です。

 

──柳沢先生は、ハーバードの大学院、東大、開成という三つの教育機関で学生と接しています

 

 

 内閣府が出した平成26年度の「子ども・若者白書」に世界7カ国の若者の自己肯定感と自信に関する比較調査があるのですが、どの世代でも日本はずば抜けて低い。

 

 就職して働き始めたら、強い自己肯定感と自信を持った海外の人材とガチンコでぶつかる。そのときに自分に自己肯定感と自信がなければ弾き飛ばされるでしょう。海外に進学することで得られるもののイメージとして「語学力」が挙げられますが、それはあくまでコミュニケーションのための技術です。むしろ、こういった自信や自己肯定感といった意識の問題に取り組むことこそが、グローバル化の時代の教育が果たすべき重要な役割です。

 

 自己肯定感と自信についての調査ではこういった結果が出ていますが、優秀さで言えば日本の高校生はアメリカの高校生より優秀です。東大の新1年生とハーバードの新1年生を比べたら、東大の新1年生の方が優秀なのは間違いありません。しかし大学入学後、日本の学生たちは大人にならない。受験勉強で燃え尽きてしまっていたり、大学を高校の延長のように感じていたり。自己肯定感と自信を養うには、一人暮らしの苦労を味わうことも重要です。東大生の保護者の皆さんには、ぜひお子さんを親元から離して一人暮らしをさせ、自立することの難しさを味わわせてあげてほしいですね。 

 柳沢校長の話からは、東大が「蹴られる」ことの背後に潜む、日本の産業界や高等教育の抱える問題点が浮き上がってくる。若い世代が日本の将来に不安を感じ、それが優秀な学生の海外進学につながるというのは、記者の周りを見ていても納得できる指摘だ。バブル崩壊後に生まれ、平成の不況とともに育ってきた学生たちは、少ない労働人口で高齢者を支えなくてはならない現状と縮小傾向の日本経済に不安を感じている。終身雇用が一般的でなくなり人生設計を立てるのが難しくなった今、優秀な学生ほど「どこで」「誰と」「何を」学ぶかに頭を悩ませている。

 

 一方で、海外の大学で学んだ優秀な学生を活かす仕組みができていない日本企業も多い。年功に応じた給与体系、副業禁止規定といった制度を嫌う優秀な学生が、活躍の場を海外に求めるのもうなずける。柳沢校長は「東大が蹴られることは日本にとって望ましいこと」と指摘するが、東大を蹴った学生の海外での活躍が、日本の産業界にも刺激を与えることになれば嬉しい。

 

 「蹴られる」ことは東大にとっても望ましいかもしれない。海外の競合大学を意識して日本のトップスクールの座にあぐらをかかず、学生・教員・職員それぞれが仕組みや態度を改善して、より良い学びと研究の場を作っていかなくてはならない。

 

【蹴られる東大】

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