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ライフスタイルが多様化する今日、学校を卒業し働き始めた後に「学び直し」をする人が増えている。学び直しの形はさまざまだが、その中でも大学に通って学ぶことの意義とはどのようなものだろうか。大学を卒業し、企業に就職した後に慶応義塾大学大学院、早稲田大学大学院で修士号を取得し、現在は東大大学院に在学中の十河(そごう)翔さん(学際情報学府・修士2年)に話を聞いた。後編では、学び直しをするうえで重要な心構えや学ぶことの楽しさについて語ってもらった。学び直しを考える人にとって、出願のベストタイミングとは。独学では得られない大学での学びとは。十河さんの言葉は、現在学び直しを考えている人だけでなく、卒業後の進路を迷っている学生にとっても、励ましを与えてくれるだろう。(記事中の写真は全て十河さん提供)(取材・石橋咲、金井貴広)

学び直しの困難を乗り越えるには
━━社会人が学び直しをするうえで困難な点はありますか
学び直しでは、三つの時期にそれぞれの難しさがあると感じています。まず一つ目は出願や入試の準備です。大学を卒業して時間が経っていると、アカデミアに知り合いがほとんどいない場合が多いと思います。研究計画書を含めた出願準備や試験対策を行う上で、情報入手が難しいです。
二つ目の時期は合格してから実際に入学手続きを行って入学するまでです。仕事との兼ね合いを考えて、入学後は週に何回授業があるのか、大変な時期はいつなのかなどを知っておく必要がありますが、情報を得るのが難しく入学後の生活がイメージしづらいです。「本当に通えるのか」と不安になってしまう人もいると思います。
この二つの時期にわたる情報収集の難しさを解消するには、院試対策の予備校に通ったり、希望する研究科や研究室の知人を作ったりすると良いかもしれません。できるだけ多くの情報を入手すると良いと思います。
三つ目が通い始めてからです。大学院の授業の予習・復習、グループワークの準備などは、想定以上に大変でした。私自身、無理のない範囲で仕事や生活と両立すべきだと頭では分かっていても、無理をして体調を崩してしまった時期もありました。人により差はありますが、修了するまでの数年間に仕事やプライベートで変化もあると思います。私は使わなかったのですが、長期履修制度のような制度を活用してみてもよかったと思っています。
━━特に、東大の学び直しのしやすさについてはどうでしょうか
学び直しのハードルは高い方だと思います。難しさの一つは、授業の開講時間です。他大学の大学院では社会人学生を想定して夜間に授業を開講していることも多いですが、東大には社会人の受講を前提としたコースが少ないです。工学系研究科の社会人向けプログラム「まちづくり大学院」などを除く多くの課程が昼間の開講で、仕事の後に受講するのは難しいと感じます。ただ、オンラインと対面型の併用など、社会人でも授業に参加しやすいようなカリキュラムも増えてきていると感じます。
また、働きながらの院試対策という点では、院試に関する情報収集の難しさや、問題意識に基づく研究計画書の作成にも難しさがあると思いますが、英語など語学対策の難しさもあると思います。大学の国際化の中で、「英語を使って学ぶ、研究する」という姿勢が、説明会の時点でも伝わってくることが多く、語学が重視されていると思いました。英語の試験や外部試験のスコアの提出を課さない大学も増えている中、東大では多くの研究科が試験を課しており、第二外国語の試験がある研究科もあります。語学力をきちんと測る指標を残しているのが東大の特徴だとも感じています。もともと語学が得意であれば大丈夫かもしれないですが、仕事をしながら限られた時間の中で語学の勉強をコツコツ継続して、出願期間に合わせてスコアや実力を上げていくことが大変だった記憶があります。
興味を持ったときが最適なタイミング
━━学び直しは、アカデミア一本の世界に絞ることとどのように異なるのでしょうか
私は、ビジネスとアカデミアの両方に軸足を置くことで相乗効果として見えるものがあるのではないかと考えて、仕事を続けながら大学院に通うことにしました。仕事を辞めた場合の収入や現場を離れることなどに不安があったというのも正直なところです。
人生のどのタイミング、ライフステージで大学院に行くかによって、その後の生き方やキャリア、そこにある楽しさや難しさは本当にさまざまだと考えています。両方に軸足を置くのか、どちらかを追求するのかなど、その時の年齢や仕事、生活の状況によって人それぞれの判断軸があるものだと感じます。でも共通しているのは、学び直しの機会を通じて、これからの人生を楽しく豊かに過ごしていきたいということだと思います。
━━「タイミング」、「ライフステージ」という言葉が出ました。学び直しを考えている人が、実際に学び直しをするのはいつが良いと考えますか
社会に出てから学び直しを考え始めると「あと5年、10年早ければ」と考えてしまうことがよくあります。ただ、講義や研究、論文に出会ったときに、さまざまな経験を積んだ今だからこそ感じられることや考え方を変えてくれるような発見があるとも思うんです。学校は何歳になっても逃げないので、きっと自分が大学や大学院に行こうと思ったときが最適なタイミングだと思います。どのライフステージでどこに行くかで大きく変わってくるので、飛び込んだそのときにしか感じられないものがあるはずです。
それに、私が東大の前に修了した慶応義塾大学、早稲田大学の大学院のコースは、どちらも私が大学を卒業した後に設立されたんです。振り返って考えると、大学卒業後に社会に出ることなく、大学院にそのまま進学していたら、私はそのコースに行けなかったんですよね。その年齢だからこそ飛び込めたということもあります。
仕事での経験にアカデミックな学びを重ね、遊ぶように学ぼう
━━十河さんは、社会人になってから大学院に3回入学しました。独学も可能だったと思いますが、大学院に入学するという形を選択しているのはなぜですか
まず、論文を書いたり学位を取得したりすることで、学びを形にできるという意味で大学院に行くことには意義があると思います。
さらに、独学では経験できないものとして、知識獲得の偶発性があると思います。ゼミなどで集まってディスカッションをすると、自分だけでは思い付かない考えや情報が入ってきます。議論や何気ない会話を通じて、研究のヒントになるような考え方に出会うことがあります。
私自身もなかなかスムーズにはいかないのですが、問いを立て、先行研究を調べ、興味や経験をアカデミックな理論に照らし合わせながら演繹化(えんえきか)して、独自の考察や結論を導き出す、その大変さや楽しさも含めて大学院に行く醍醐味ではないでしょうか。その過程には、他者からのフィードバックは欠かせないものだと感じます。
東大は全学的に開かれたイベントや勉強会も多く、そのような場で得られる知識の量や研究に生かせる知見はかなり多いと思います。さらに、たくさんの本が所蔵されている本郷の総合図書館を利用できることなどにより、アクセスできる文献や論文がとても多いと感じています。
また、これは社会人独特の感覚かもしれませんが、大学が仕事と生活以外のサードプレイスとして機能しているのではないかとも思います。

━━十河さんにとって、学ぶことの楽しさや、学ぶことで得られる人生の豊かさとはどのようなものですか
学部生の頃は、授業で教室の後ろの方に座ることが多く、発言や質問をすることはあまりなかった気がします。一方、社会人として学び始めてからは、前列の席に座ったり、理解できるまで質問をしたりすることも増えました。そのような授業やゼミでの日々や、いろいろなバックグラウンドを持つ学生同士の交流は、思い出になるだけでなく、学び直しの大学へのより強い愛着につながっているような感覚があります。
また、先日「学び重ね」という言葉を聞きました。社会人の場合、それまでの経験もある種の学びと考えると、仕事での知見にアカデミックな知見が重なって、多様な学びの層ができ上がっていく感覚があります。さまざまな経験を持った上で、授業を受けて知識を身に付け、論文を書いていくことで、よりよい研究や成果につながることもあるのではないでしょうか。それは「人生100年」と言われる時代に、より多角的に自分の生活やライフステージを見つめ直すことにもつながっていると思います。
──仕事で養った経験をベースとしつつ、大学で多くの人と出会い学んで得られる視点が、人生を豊かにしてくれるということですね
経営学の分野で「イントラパーソナル・ダイバーシティー(intrapersonal diversity:個人内多様性)」という概念があります。自身の中にさまざまな経験の引き出しが増えると、人生の楽しさや充実感にもつながる部分もあると感じていて、大学や大学院で学び直しをすることは、そのような観点からとても有意義なものだと考えています。
例えば、ビジネススクールのような大学院では、自分が知識を得るだけではなく、授業や他の人に貢献することも大切で意義があるという考えもあります。仕事での経験を発言や議論に生かせて、一緒に学んでいる誰かの気付きにつながることもあると思います。さまざまなバックグラウンドを持った学生たちが集う大学院では、授業やゼミの中でのディスカッションなどを通じて、ともに教え学び合うといった「半学半教」を体現している場所でもあると日々気付かされます。
━━最後に、学び直しを考えている人にメッセージをお願いします
私が最初の学び直しで、退職して慶応義塾大学の大学院に入学したときには、学び直しやリスキリングという言葉自体が珍しかったと思いますし、その決断に対して周囲の人に驚かれた記憶があります。しかし、この10年ほどで政府によるリカレント教育への後押しや、芸能人の大学、大学院入学のニュースを目にする機会も増えて、「学び直し」や「リスキリング」は、だいぶメジャーでイメージしやすいような言葉になってきました。私が最初に学び直しを決めた頃は想像もできませんでしたが、大学生や社会人の方々から大学院への進学や学び直しについて相談を受けることがここ数年でかなり増えました。
社会に出てしまうといろいろな制約があったり、有益か有用でないと学校に行くことへの意味が見出しにくかったりなど、どうしても学ぶことへのハードルを感じてしまうことが多くなるかもしれません。でも、自分の生活や趣味に根ざした興味などがあれば、役に立つか立たないかという指標は一回おいて、純粋に「学ぶ楽しさ」から大学や大学院に行っても良いのではないかとも思っています。そして、出願という形でもまず一歩、学び直しの道に踏み出してみてほしいと感じています。
実際に学び直しをすると、少し不思議な感じですが、あたかもアニメや映画のタイムリープ作品のように、経験値を持ったまま学生になって(戻って)いろいろな体験ができる感覚を味わえる瞬間があります。しかも経験できることは、当然ながらいま現在の大学生活であり、現代の社会に向き合っているという楽しさを感じます。 私の好きな言葉に「知・好・楽・遊」というものがあり、知りたいと思うこと、興味を持つことから始まって、それが好きだと思えたら良いし、楽しいと思えるようになればもっと良い。究極的には遊んでいるような感覚で取り組めるとさらに良いという意味ですが、誰にとっても「何かを学び始めること」がそのきっかけになると良いですよね。
