学問の自由は、これを保障する。日本国憲法第23条はこのように定めている。学問や大学をめぐる状況がさまざまな変化に直面している昨今。大学の望ましい在り方を議論するには、憲法上の保障のありさまの理解も欠かせない。「学問の自由」の意義を見つめ、現状を問い直す。憲法を専門とする、石川健治教授(東大法学部)による論考だ。(寄稿)

85 年東大法学部卒業。法学士。東京都立大学教授などを経て、03 年より現職。著書に『自由と特権の距離 カール・シュミット「制度体保障」論・再考』(日本評論社)など。
将来の目的に向けて、意味を疎外された生を送っていた人なら必ず罹患する病が、いわゆる五月病である。少なくとも私の学生時代、この時期の東京大学駒場キャンパスには、ことのほか患者が多かった。目的が実現しなければ、過ごした時間もすべてむなしくなるような生き方をしていれば、もし目的が実現したとしても、それ以降の時間がむなしくなるのは道理である。それが嫌で、別の目的を見つけてダブル・スクールに通う人、大学受験生活を別の受験生活に切り替える人もいるが、それは問いを先送りにしているだけだ。
「現在が未来によって豊饒化されることはあっても、手段化されることのない時間」、「開かれた未来についての明晰な認識はあっても、そのことによって人生と歴史をむなしいと感ずることのない時間」の感覚と、それを支える「現実の生のかたち」(真木悠介)を追求しなければならない。そのために誰もが必要とする時間が、この美しい初夏の季節だということになるだろう。そして、特定の目的=有用性から距離をとる「生のかたち」を体現しているのが、ほかならぬ大学における学問であることに気づけば、それは五月病を克服するひとつの有力な処方箋になり得る。
世界に起こる出来事については、常識さえあれば解決ができるものと、そうでないものとがある。常識的な判断では手に負えなくなるのは、その事柄の性質に固有の、法則なり論理なりが働き出した結果、専門の領域が形成されているからである。耳学問でついて行けるうちはよいが、やがて本腰を入れて専門的な勉強をしなければ、もはや話を理解することすら覚束なくなる。単なる好事家と、特別な才能と訓練を備えた専門人とが、そこで分離するのである。この専門領域についての学知は、やがて一個の職業として、成立することになる。
好きでやっているんでしょう? といわれると、少し違う。悪女の深情けではないが、自分に取り憑いた固有法則が、放してくれなくなるのである。研究者に限らず、固有法則の世界に取り込まれた専門人の仕事は、「何もそこまでしなくても」という徹底性と、世間的な物差しからすれば「何のためにやっているのか」という無目的性とを帯びることになる。固有法則の運動が実生活を侵食してゆき、24時間戦い続けて、ついに身の破滅に至る例も出てくる。それでも道を究めずには済まないわけである。
そうしたなかから、社会のブレークスルーをもたらす画期的な成果が出てくることもあるが、Plan-Do-Check-Actionのサイクルで業績をもたらす世界とは、そもそも運動法則が異なっている。この「学術のための学術」を支配する固有法則は、時空を超えた有用性や汎用性をもっており、研究を職業とするか否かにかかわらず、一生モノの影響を学生に残すことになる。「目的論的でない反省が制度化された唯一の制度」としての大学(R・コーワン)に固有の魅力も、そこにある。
そうした固有法則の下に、元々は専門学校や単科大学の寄せ集めであった戦後の多くの国公立大学や、施設も人も不十分な中で出発した多くの私立大学もまた、大学らしい大学をめざした。個性的な図書館を中心とする研究教育体制を充実させ、旧帝国大学に勝るとも劣らないノーベル賞級の研究成果を産み出してきた。各教員は、所属大学の同僚よりもむしろ、外部的なアカデミック・コミュニティーの一員であって、それはしばしば世界に拡がっている。ドイツ留学中に知り合った医学系の研究者が、「自分の専門領域では、ここではなく、和歌山が世界一なんだ」と力説し、夢見るような眼差しで「未来の和歌山詣で」について語ってくれたことは、忘れられない。
日本国憲法23条の「学問の自由」が保障するのは、日本の大学を大学たらしめてきた、こうしたことどもの総体である。最高裁判例が、日本の大学の自治について、「国公立であると私立であるとを問わず」という表現を用いるのには(昭和女子大事件、富山大学単位不認定事件)、理由がある。1914年に京都帝国大学の澤柳事件で確立した、文部省に対する帝国大学の「自治」が、国公私立の別なく大学の設立を認めた1918年の大学令を通じて、少なくとも形式的には拡大された経緯を踏まえている、と考えるべきだろう。
もちろん制度体としての大学には、それこそ国公私立の区別を問わず、必ず設置者がおり設置目的があるが、それら設置者・設置目的を退けて、内部の構成員の自己決定を保障することが、23条の規範意味の核心である。大学構成員もまた、設置者により設置目的に適合するよう雇われた、労働者であるが、大学論議において、設置者・設置目的の観点を、外部から規制の正当化理由としてもちだすことは、憲法によって禁じられている。そうした保障の本質的内容を損なうような改変を行うためには、本来、憲法96条の憲法改正手続を動かさなくてはならない。
ところが、90年代以降の新自由主義の時代になると、研究・教育を一番よく知る内部者の声が「既得権」として封じ込められ、固有法則を無視した市場原理により、大学改革論議が推し進められてきた。大学を超えたアカデミック・コミュニティーのあり方についても、日本学術会議の会員任命拒否問題で、恣意的という以外の形容詞が見つからない政治介入が行われた。恣意は、専制支配と同義であり、正義の反対物であるが、それを糊塗するためにさらに「改革」を行うという、悪手が繰り出されている。
憲法23条が保障しようとした大学のアイデンティティー自体が、外部から介入される前に風化してしまったことは否めない。研究費は下がり学費は上がり、「貧すれば鈍する」を地でゆく現状が、研究力低下の直接の原因である。けれども、固有法則を忘れた目的重視の改革メニューが、「研究力」の引き上げにつながると信じて疑わない、「改革という病」が問題の根源にある。自分で研究をしたことのない人による、あるいは、研究をしていた自分を忘れてしまった人による「改革」論議は、国際的に卓越するどころか、日本の「研究力」そのものを引き下げる帰結しかもたらさないように思われる。