学術

2024年11月19日

【研究室散歩】@経済史 アカデミアと社会をつなぎ、歴史研究を支えるネットワークをつくる

 

経済史は社会を見るプリズム

 

 山本浩司准教授(東大大学院経済学研究科)は、経済史は自分にとって、消費行動・新規事業などの特定の視点から人間や世界の歴史を観察する顕微鏡や望遠鏡のようなものだと語る。専門分野は17世紀のイングランドである。英国が世界最初の産業社会に成長していった時代だ。「私はその時代のビジネスに注目して、人々が市場に何を期待していたのか、ビジネスはそれにどう応えたのか、あるいは応えられなかったのかを調べています。そのような市場を通じて社会を豊かにしようとする活動のポテンシャルと限界を見極めたいと思っています」。それらを通じて、人間の欲望に対する制度の向き合い方やその難しさも考えたいと語る。また、社会を豊かにするというとき、特定の人やものが社会から抜け落ちてしまったり、社会の問題を解決しようとした試みがその問題を再生産してしまったりすると指摘し、それらを考える上でも経済史は役に立つという。

 

 学生時代はもともと政治思想を学んでいたが、理論では捉えられない名もない人々の生活などに関心があったと当時を振り返る。それに気付いたきっかけが英国への留学だ。現地で1698年に投資家を募っていた新規事業のパンフレットを読んだ時、昨今の企業の宣伝と内容が似ていることに驚いた。また、修士1年次に英国の国立公文書館やオックスフォードの図書館に出向いた際、本が書かれ歴史が積み重ねられてきた閲覧室で自分が本を読んでいることに感激したという。

 

 しかし、研究者への道のりは順風満帆だったわけではない。研究で成果を出すには長い時間がかかるが、その最中は自分が研究者としてやっていけるのか確信が持てず、先の見えない中で研究を続けるのが不安だったと語る。その不安から抜け出せたきっかけは自分の論文を読み、コメントや改善点の指摘などをしてくれる人が現れたことだという。「東アジアから来たばかりの学生にものすごい時間とリソースを割いてくれる人に出会えたことで、積極的に行動すれば受け入れられるという感覚が持てたのはとても大きかったです」

 

 博士課程の途中で、「自分は『政治と経済』『市民社会とメディア』『科学と技術の知識』の3テーマにまたがる歴史の専門家になる」と決め、その分野のシンポジウムに参加するなど意識的な努力をしたことも役に立ったと語る。

 

 最近は研究にジェンダーの視点を取り入れている。市場や労働を論じるときに男性が念頭に置かれることが多いと気付き、是正したいと思ったという。女性に関わる史料は少なく研究に時間がかかるため、業績を優先するなら取り組みにくいと指摘。「ジェンダーの問題を研究している人は使命感を持ってそのテーマを選んでいますが、研究実績と待遇などがひも付いている状況では後回しにされてしまいます」と訴える。

 

講演している山本浩司准教授
「東大Week@Marunouchi」での講演。社会発信に力を入れている

 

研究者同士 社会もつなぐネットワークの重要さ

 

 山本准教授は2016年に、あらゆる歴史研究者を支援し、「歴史的思考」の価値と楽しさを社会に広く共有することを目指す「歴史家ワークショップ」を立ち上げた。歴史家ワークショップの運営をしている理由について、山本准教授は「もともとある学術の仕組みを補うネットワークがあったらいいなと思った」と語る。日本の歴史学者・学生のコミュニティーには研究室や学会・研究会などがあるが、現在はそれらのコミュニティーの人数が減っている。そのためノウハウの継承やサポートなどが難しくなっている場合があり、良い研究プロジェクトに取り組んでいる人がいなくなって途絶えてしまうこともある。そのようなものを残す枠組み作りに関わりたいという。ワークショップを運営していて良かったと思う点は、活動を通じて、研究者が成長していく現場に立ち会えることだそうだ。「歴史家ワークショップで出会った人同士が留学先で会って飲み明かしたという話を聞きました。その人から『歴史家ワークショップがなければ留学先で孤立していただろう』と言われたときはうれしかったですね」

 

 また、歴史家ワークショップにはいろいろな大学の人が在籍していてさまざまな企画を持ってきてくれるので、自分では思い付かなかったようなイベントが実現しているという。例えば「歴史もの」の漫画などフィクション作品の舞台裏を探る「ウラガワ!シリーズ」などだ。「私たちは歴史を通じてワクワクすることを大切にしてきました。その結果、どんな企画でも気軽に持っていける場として信頼され、使ってもらえるのがうれしいです」歴史家ワークショップは一般層へのアウトリーチ活動も行っている。社会への発信は今までも講演や新書などを通して行われてきたが、研究者本来の仕事だとは考えられていなかった。しかし文系不要論に代表されるように、文系学問を無駄だと考えている人が多いことに危機感を覚え、社会にとって無駄ではないことを実例を通して示すために取り組み始めたという。学問の存続のために目指すのは「社会と共に考えること」だ。歴史的視点が手に入る意義や楽しさを示すために、研究者にできることはたくさんあると考えているという。ただし、全ての研究者が社会への発信を重視すべきだとは考えていない。「社会発信にそれほど興味がなくても素晴らしい研究をする方はたくさんいらっしゃいます。また、みんなが社会発信も研究もバランスよくできる『優等生』のようになってしまったら、大学という場はつまらなくなってしまうと思います」

 

学生の自主性を大事に

 

 学生の指導の面では、「余白」を増やそうとしていると語る山本准教授。「今までは教員として伝えたい項目などがハッキリとありましたが、学ぶ主体は学生なので、それぞれの関心を見つける手伝いをしたいと考えています。自主性を重んじながらそれに沿う形で『歴史を考える』とは何かを実例を通して知ってもらいたいです」。研究室では大学院生のミーティングを開いて研究の進捗報告をしたり、学会発表の練習をしたりしている。特徴的なのは17世紀のイングランド以外を研究している学生も指導していることだ。「教員の専門に近い時代と地域を研究する学生を指導することが多いですが、私の研究室では資本主義の歴史や近世ヨーロッパの歴史に関わっている学生を広く指導しています。一見バラバラに見えるテーマの間に共通点を見いだしながら一緒に研究を進めていくのが難しさであり、醍醐味(だいごみ)です」。ゼミでも学生の間で話し合って目標を決めてもらうなど、一部を学生の手に委ねている。学部教育では学生が授業をたくさん取る必要があり就職活動も忙しいので、腰を据えて何かを書き、それにフィードバックをもらうという経験ができないと指摘し、それをどう提供すれば良いか、試行錯誤していると語る。

 

 

 研究者を志す学生に対しては、一つの分野にこだわらないで好奇心を追求してほしいと呼び掛ける。文系の学生に対しては、研究で生活が成り立つのかという不安があるだろうが、これから社会が変化していき人文社会的なものが重要になるので、臆さずに飛び込んでほしいと語る。「テクノロジーの進化も大事ですが、それを使いこなす人間の側の知見がないと行き詰まってしまいます。人文社会的な視点を社会に還元することは今後否が応でも考えなければいけなくなってしまいますし、そういったことの大切さに気付いている方がたくさんいると思います」

 

 これから大学で学ぶ学生には、たくさんの時間をかけなければできないことをやってほしいという。「その体験は社会に出たらできないことが多いので、勉学でもサークルでも他のことを忘れるくらいやってみてほしいです。そこで出会った人や見たものを大切にしてほしいです」(取材・堀添秀太、写真は全て山本准教授提供

 

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