SDGs の採択から 10 年。世界的な人口増加の中で科学技術が発展しつつも解決しない食糧問題。農学部1号館大講義室を満員にした最終講義でその問題を訴えたのは高橋伸一郎教授(東大大学院農学生命科学研究科・2024 年当時)だ。栄養学に発した研究は成長因子に関わる生理学を経て、アミノ酸代謝と健康の関わりの研究へとめぐった。科学行政への関与、「地球医」となる学生を育成するプログラム「One Earth Guardians」(OEGs)の立ち上げに携わる中で、どのように多様な人と出会い、食を起点とした共創に巻き込んできたのか。東大退職を前に話を聞いた。(取材・清水琉生)

家族に囲まれ研究の道へ
━━お父さんも研究者でしたが、小さい頃から研究の世界からの刺激を受けて育ったのでしょうか
父の信孝は植物ホルモンとして知られるジベレリンをたけのこから精製した実績を持ち後に東大農学部教授となる植物学者、祖父の新次郎も歯の矯正器具に使われるST ロックを開発し後に東京医科歯科大学病院(当時)の院長になるような学者家系でした。杉並区の自然が身近な環境で育ち、父の教え子が家に来ることも多く、日々研究に励む大人たちのさまざまな側面を見て育ちました。ただ、学者になるように言われることもなかったですし、妹が生活の中で見せる探究のセンスを見て自分が研究に向いていると思っていませんでした。
実際、高校まではプロテニスプレーヤーを目指していたんです。ただ、高2での肩の大怪我が方針転換の契機となって、父の影響もあって研究者を目指して真面目に受験勉強に励むようになりました。
━━東京農工大学農学部に進学し、東大大学院農学系研究科(当時、現・農学生命科学研究科) で博士号を修めています
東京農工大学へ入学当初、合格できずとも東大を受験したプライドから威張った学生でした。ただ、周りと向き合わない自分を咎(とが)めてくれた仲間の存在がありました。最後は東大院進を応援してくれ、進学先の東大の農芸化学科(当時)では東京農工大学の同期とソフトボールで親善試合をすることもあり、2倍の同期に囲まれた研究生活はとても豊かなものでした。
━━取り組んだ研究テーマは
食事が人間にとって必須で、活動に大きな影響をもたらす不思議さに興味があり、栄養代謝の仕組みの解明に取り組みました。初めはブタ膵臓にある2種類のアミラーゼを精製して活性を測定する研究に取り組み、大学院では植物生理を研究しようと思っていました。ただ、進学先となる東大では父の主宰研究室の専門領域なのでその研究室には進学はせず、引き続き動物の栄養学を専門としました。特にアミノ酸代謝に注目し、これによって調節されるホルモンやその細胞内のシグナル伝達に関する研究を進めました。父とは異なる領域で研究人生が始まりましたが、博士号の学位記は研究科長を務めるタイミングと重なった父から授与されるなど、不思議な縁がありました。

━━ポスドク2年目から米ノースカロライナ大学医学部の小児内分泌研究室で研究しています
学位取得後は東京農工大学農学部農芸化学科(当時)の助手となりました。その頃、インスリン様成長因子(IGF)として後に知られる動物の多様な代謝に関わるホルモンに注目し始め、関連する基礎研究に関わりたいと考え始めました。国内では臨床研究が主だったので海外留学を考え、Van Wyk博士、Clemmons博士、Czech博士の3人に手紙で受け入れのお願いをしました。
後日研究室の電話が鳴り、喜んで受け入れたいと連絡をもらいました。しかし、誰からなのか分からず「お金がある」、「ノースカロライナの大学」、「国際学会で近々に来日する」という情報が分かるだけで切れてしまいました。国際学会として該当しそうだった内分泌学会の演題一覧を調べ、ノースカロライナの大学の所属の2人、Van Wyk博士と Clemmons博士とも参加予定だったのですが、アルファベット順で名前を探した私はClemmons博士からの電話だったと判断し、返事を綴(つづ)りました。
手紙を東京農工大学のポストに出し、研究室に帰ってくるとあったのが Van Wyk博士からの手紙です。大慌てで郵便局に向かい、局員と協力した4時間の捜索でことなきを得ました。そんな経緯で、IGF精製に世界で初めて成功した Van Wyk博士のもとでポスドク生活が始まりました。
まるで代謝ネットワーク つながる人間関係
━━米国での研究はどのようにキャリアに影響しましたか
Van Wyk博士は破天荒でかわいいお爺さんで、私は深夜に実験をしなければならないプロジェクトなど、とても忙しいポスドク生活になりました。その中でも「医者は1人を救うことがゴールだが、Ph.Dは世界中を救うことがゴールだ」と何度も言われ、基礎研究者として大切な研究姿勢が身に付きました。Clemmons博士を含めた研究グループの多くの人に可愛がってもらいました。ただ、共に渡米していた東大時代の研究室仲間である妻との間に長女が生まれたときは、研究室メンバーは小児科医で、会えば職業病で長女の頭部を撫(な)でて頭蓋骨の結合を確認してきたのは勘弁してほしかったです(笑)。帰国後も共同研究者の候補者を次々と紹介してくれるなど多くの機会でお世話になりました。
━━IGF という研究対象が共同研究の広がりにも関係が
IGF とインスリンの構造はよく似ていますが、いろいろと異なる性質を持っています。特に、インスリンは短期的な作用が強く、栄養を取り込み、物質同化反応を促進します。一方IGF は、成長因子の一つとして細胞の増殖や分化、組織ごとの機能維持に貢献し、長期的な生理活性を示します。ただ、がん化を促進する可能性があることが玉に瑕(きず)で、Van Wyk研からの帰国時は、日本中の医療関係者を含めIGFの臨床応用が思うように進んでいませんでした。
特にアミノ酸栄養に応答した動物の成長に IGF が重要だと発見した研究の影響は大きかったです。その論文の主著者は「S.Takahashi」ですが、これは妻です。私は著者の1人でしたが、世界中で出会う研究者は私を主著者だと勘違いして、いろいろな場面で応援をしてくれました。そんな背景もあり、さまざまなコラボレーションが実現しました。ある製薬会社からは精製IGFを分与いただき、IGF関連疾患の機序の解明のための研究に取り組むことができました 。
━━その人間関係は東大での研究室運営でも役立ったのでしょうか
東大農学部農芸化学科にあった栄養化学研究室に赴任しましたが、大学院重点化に伴って、応用動物科学専攻に新設された動物細胞制御学研究室に移りました。立ち上げには何かとお金がかかりますが、IGF研究を通して知り合った仲間から所属研究所の閉室に際し「好きなだけ持っていっていいよ」などと言われ、高価な機械などを譲り受けるなど、捨てるものを拾って助けられてきました。特許取得できる創薬が実現しない IGF研究では、資金を集めるのは苦労しましたが、広いネットワークで人を集めることができる研究室だったことに救われてきたと思います。
━━文部科学省研究振興局学術調査官を務めたり、大学では多くの講義を持ったりと、研究室運営との両立はどのようにして
研究室運営が始まる頃は大学法人化に向けて慌ただしくなる時期で、共に農学部に所属していた父のつながりもあり、学部長から学術調査官の併任を頼まれてしまいました。研究者代表として行政に一泡吹かせようと意気込んで出かけたのですが、行政の方々が寝る間も惜しんで制度設計に取り組む様を目の当たりにしました。結局、1日して協力したいと豹変し、行政からのトップダウンで制度設計をする科学技術庁(当時)と学術界からのボトムアップで制度設計をする文部科学省の意見の擦り合わせに奔走しました。家族との時間も減り調査官は2年で辞めますが、後に「伝説の調査官」なんて言われて、多くの行政や専門外の人とのつながりが以降の研究も広げてくれました。
講義も多く担当し、平日はほぼ研究室に顔を出せず、合間に学生と議論を重ねる日々が続きました。ただ、私が研究室にいないことで学生の自律性を高め、研究に責任を持つ姿勢を促進したとも感じています。自分が学生だったらされたくないことはしたくなかったので、学生がよく考えた研究計画を否定することはほとんどなく、当時の教え子たちが各地の研究機関で活躍していてとてもうれしいです。研究以外の活動も私は積極的に取り組みましたが、研究にだけ注力する研究者もいれば、行政や教育に積極的に関わる研究者もいる、両者の業績を単一の視点で評価せず学術界を回すことは大切だと思います。
━━講義資料には娘さんの描いた概念図が出てきますが、幅広い分野の人々にご自身の研究を伝える機会が多いこととも関連があったのでしょうか

私の母が普段から父の育てる花の絵を描いているような絵描きで、隔世して長女や次女は見事に絵の才能を開花させました。研究説明に用いる概念図をよく描いてくれて、発表に無いと聴衆から文句が出るほど評判でした。
専門家ではない長女の協力を通して分かったのは、概念図を適切に描くには研究のコンセプトがはっきりしている必要があることです。娘には何度も苦労をかけましたが、イラストに起こす上での不明点を踏まえた指摘をくれるので、真核生物に保存された IGFの進化の系譜をより合理的に解釈し直すことにつながることもありました。
グルメでめぐる研究と地球
━━IGF研究から栄養化学の研究へとテーマがめぐっていますね
IGF1の関連疾患にクワシオルコルがあります。食事に含まれるタンパク量が十分でなく、IGF1の分泌が抑制、そのために成長遅滞が起こる。その結果、エネルギーが消費されず、あまった糖などが脂肪として蓄積するという症状があります。当時はインスリン代謝との関連をよく調べましたが、血液中のアミノ酸バランスで疾患が起こると分かりました。体内で使われる主なアミノ酸は20種類ありますから、アミノ酸バランスを評価しての疾患予測は容易ではありません。そこで機械学習を用いたアミノ酸ステータスの評価系を立ち上げ、アミノ酸バランスが影響する数多くの疾患の予測に用いることができる基盤を皆の協力で作り上げました。
アミノ酸バランスで病気の発症が決まるということは日々の食事が直接影響するということです。食事療法での患者さんの研究を合わせて知見を蓄積しつつ、アミノ酸バランスを整える新しい食料の開発や誰でもそのバランスをモニタリングできるデバイスの開発にも取り組むようになり、栄養学に原点復帰していきました。
━━OEGsの立ち上げに至る課題認識やさらなる研究にもつながるわけですね
現代の産業構造がもたらす地産地消の衰退は、食品ロスと表裏一体なんです。人口増加による食糧危機が謳(うた)われていますが、実は地球から得ている食糧自体は100億人の人口でも十分に供給できる量があります。経済価値の効率的な向上ばかり求める社会では、普遍的にゆっくりとしている生物の循環の歯車と噛み合いません。農学が人口増加に貢献したのですから、地球の正しい循環を考えた産業構造の構築も農学の使命です。
そこで「人と地球にやさしいメニュー」の開発を目指し、地産地消を促進しながら適切なアミノ酸バランスで摂取できる食料として、これまで霜降り豚肉や廃鶏を用いた白肝などを開発しました。ちゃんと美味しさにこだわりつつ、「食医共創」での人々の健康への貢献を目指しています。また、食事を通して地球環境に良い循環にも貢献しながら自らが健康になる「プラネタリーヘルス」の実現が大切です。OEGsでは若手の学生をプログラム生とし、高齢の専門家や実業家を協力者としてまずは巻き込み、中間の世代への哲学の浸透を図っています。
━━4月からはプラネタリーヘルス研究機構の特任教授とPHICのinnova
Phicは日仏パートナーシップ宣言に基づいて東大と仏パスツール研究所との間で展開され、生命科学からイノベーションを図る新しい研究拠点です。まずは「TAKANAWA GATEWAY CITY」と神奈川県三浦市を拠点に、プラネタリーヘルス実現へ産学共創したいと考えています。

これまでの私の人生は、テニスをやっていた頃から意図しない中でめぐってきたものです。さまざまな災いもありましたが、全て転じて福となり、意図しない中で多くの人とのつながりに恵まれてここまで務め上げることができました。地球を思って私が臨む活動も次世代に継がれてこそ意味があるものです。作業効率(efficiency)を上げて量を追求するのではなく、波及効果(effectiveness)を上げて質を追求する、そうして人類社会を次世代へつないでいってほしいと思っています。地球の循環に合った生活のスピードを理解し、100年後に課題になることを後回しにせず今から取り組み始めてくれたらうれしいです。追求する課題はぜひ自分で決めてほしいですね。東大の新設のプラネタリーヘルス研究機構、そしてPhicに籍は移しますが、二つとない地球を思い、利他的に人類社会をつなぐ次世代の同志の参加を待っています。
