第102回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が1月2、3日に開かれ、陸上運動部の本多健亮(工学系・修士2年)、秋吉拓真(工・4年)がそれぞれ関東学生連合チームとして4区(平塚中継所─小田原中継所)、7区(小田原中継所─平塚中継所)に出走した。
4区の本多は、当日のエントリー変更で大湊柊翔(明大・3年)に代わり急遽(きゅうきょ)出走が決まった。それでも3区の大島史也(法大・4年)から14位相当でたすきを受け取ると、着実な走りを展開。平塚で16位だった日本体育大学に追い付かれた後も、粘りの走りで食らいつき16位相当でたすきをつないだ。区間20.9kmを1時間3分25秒で走破し、区間20位相当の成績とはなったが、堂々とした走りで沿道を沸かせた。

7区の秋吉は、6区の山中寿世夢(国士舘大学・3年)から17位相当でたすきを受け取り、好調な走りを見せた。昨年の箱根駅伝で8区で区間7位相当の走りを見せたが、今年はそれ以上の快走を披露して4人を追い抜き、区間4位相当の好成績を記録。区間21.3kmを1時間2分53秒で走り切った。見た目の順位で13位相当まで学生連合を押し上げた。

東京大学新聞社では、大会後に本多・秋吉両選手にコメントをお願いしました。以下に全文を掲載いたします。
本多選手コメント
──当日はどのような戦略を立てて臨みましたか
最初の5kmを14分50秒で入り、そこからは3分03秒/kmで耐えることを目安に走り、64分00秒を目標にしていました。ただ、前半10kmは細かいアップダウンが多くペースを掴みづらいため自分の感覚を頼ること、また、周りのランナーをうまく使いながら耐えることを重視して走りました。
──レースを振り返っていかがでしょうか
とにかく楽しかったですし、貴重な経験をさせていただいたことに感謝を感じています。これだけ多くの方々の熱量に背中を押されて走れる経験はなかなかないです。ただ、区間20位相当ということで、力負けをした悔しさがあります。来年は区間上位で皆様をさらに盛り上げるような走りがしたいです。
──当日のエントリー変更での出走となりましたが、出走予定だということはいつ頃から伝えられていたのでしょうか。聞いた時の思いと合わせて聞かせてください
4区出走を伝えられたのは前日1月1日の午前10時半くらい、4区のスタートのおよそ24時間くらい前なので本当に直前です。聞いた時は驚きと、ここまで箱根に向けて頑張ってきた努力が報われたことの喜びを感じました。もちろん、本来走るはずだった明治の大湊君の無念を思うと複雑な思いもありました。そこからスタートまでは、息をつく暇もないほどの慌ただしさでした。
──今後の陸上への取り組み方について教えてください
来年は区間上位を目指すという、高い目標を持って陸上をやることを大事にしたいです。今回は「箱根に手が届くか」という瀬戸際で戦いでしたが、次回はさらに高いレベルの土俵で勝負できるよう努力します。同時に、また再び来年も学部生と院生の二人で箱根に出場できるように、チーム一丸となって頑張る所存です。

秋吉選手コメント
──当日はどのような戦略を立てて臨みましたか
7区は序盤が下りで、後半は細かいアップダウンがあるため、前半でしっかりリズムを作って、そのリズムが崩れないように中盤は淡々と刻み、後半は粘りながらも19km過ぎに下りがあるので、そこでしっかり切り替えるという戦略を立てました。目標としては61分台を狙いつつ、序盤に2分50秒で余裕があれば60分台、区間新というところも狙っていました。
──レースを振り返っていかがでしょうか
最初の5kmを比較的余裕を持って14分ちょっとで入ることが出来たので、60分台を狙えると思ったのですが、そこから右脇腹に差し込みがきてしまい、ややペースをセーブしつつ走りきることに切り替えざるを得ませんでした。ただ、最後までしっかり身体を動かし続けることができ、当初思っていたようなスパートは出来なかったものの自分の力を全て出し尽くす走りが出来ました。差し込みについては自分の感覚と身体への実際の負担がずれていたことによるものだと思うので、実力不足を感じる結果にはなりました。目標タイムには遠く及びませんでしたが、最低限昨年の区間順位相当を超えることができ良かったです。また、レース内容は別にして、昨年に引き続き途切れることのない声援を浴びながら走れたのは本当に楽しかったですし、かけがえのない経験となりました。
──2回目の箱根駅伝出走となりましたが、前回と心境などで異なる点はありましたでしょうか
前回も最後の箱根駅伝だと思っていたのですが、今回は4年生と言うこともあり特に集大成だなという気持ちがありました。しかし、前回同様に緊張などは全くせず、もう一度箱根路に立てることが楽しみで仕方ありませんでした。

──他メディアの記事ですと、11月上旬に肺炎になったという記述がありました。その影響はありましたでしょうか
12月頭まで区間を決定するための選考レースがあり、なかなかそこには状態を戻すことが出来ず、苦しい走りになりましたが、その選考レースや12月中旬以降の練習の積み上げがしっかり出来たため、箱根前には体感的には過去一番の状態になっていると感じていました。ただ、肺炎になっていなければさらに練習の積み上げが出来ていたと思うと、自己管理の甘さに情けなさを感じます。
──7区での出走となりました。エントリーされることはいつ頃伝えられたのでしょうか。聞いた時の思いと合わせて聞かせてください
12月13日に富津岬の合宿での選考練習があり、12月14日にそれまでの選考レース全ての結果をもとに上の順位の選手から区間を選んでいきました。そこで7区に決まりました。正直合宿までは箱根を走れないかもしれないと思っていたのですが、合宿ではある程度走ることができ出走を決められたことに安堵しました。往路を最後は走りたいという思いはありましたが、復路であれば自分がゲームチェンジャーとして区間新を狙おうと思えました。
──今後の陸上への取り組み方について教えてください
来年度からは実業団で陸上を続けるので、日本選手権といったより高い舞台で戦えるように取り組みたいです。そして、少しでも自分の限界に近づけるように練習していこうと思います。












