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2015年6月4日

硬式野球、勝利までの苦難の歴史 昨年秋から光明見える

連敗記録を94で止めた硬式野球部(東京六大学野球)。実に4年半ぶりの勝利となった。長いトンネルを脱した今、硬式野球部の苦難の歴史を振り返る。

硬式野球部の成績.jpg

東大が前回勝ったのは2010年10月2日、秋季リーグ戦の対早稲田大学1回戦。六大学野球通算30勝まであと1勝としていた斎藤佑樹投手(現・日本ハム)から3本の適時打を含む5安打を放ち、リリーフした大石達也投手(現・西武)からも追加点を奪った。当時1年生だった鈴木翔太投手が2失点で完投し、投打で早大を圧倒した。

11年は鈴木投手がほぼ毎試合登板し、大車輪の活躍を見せる。打線も春季リーグ戦で打率3割を記録した内海翔太選手、不動の4番打者として春秋計10打点をたたき出した髙山久成選手、舘洋平選手など中軸が機能する。秋季リーグ戦対早大2回戦で23–0で大敗するという試合もあったが、多くの試合で善戦。春季リーグ戦では早大に引き分け、秋季リーグ戦では法政大学に2試合連続で1点差ゲームを演出した。
12年は髙山選手、内海選手が抜けた影響で春季リーグ戦はなかなか得点できず、開幕から4試合連続で完封される。鈴木投手もけがで離脱し、対明治大学1回戦で11–0、対早大1回戦では13–0で敗北するなど一方的な試合展開が続く。しかし、シーズン後半からは投打ともにかみ合うようになり、対立教大学1回戦で3–2、対法大1回戦でも3–2と奮戦する。

秋季リーグ戦では舘選手の他、打率チームトップの山本幸宏選手、打点5の成瀬隆彦選手などが活躍し、前年を上回るチーム打率2割1分0厘を記録。得点も20点挙げる。だが、鈴木投手がけがで登板できず、六大学の強打者を抑えられる投手がいない。11試合で合計77四死球を与え、5試合で2桁失点を喫した。

13年からは御手洗健司さんに代わり、浜田一志さんが監督に就任。12年の1番打者、クリーンナップが全て4年生だったため、13年は4年生が抜けた影響を大きく受ける年となった。春季リーグ戦は6試合で完封され10試合でわずか7得点、計74失点と投打ともに精彩を欠く。当時2年生の辰亥祟由投手(文・4年)が好投するも、2番手以降が不在。下位打線が定着せず、リーグを通じてスタメンを何度も変更するなど手探りの状況が続いた。

秋季リーグ戦は笠原琢志選手が打率2割9分と一人気を吐き、1年生ながらレギュラーに定着した山本克志選手(工・3年)の活躍も見られたが、10試合でわずか4得点。与四死球55、失策20、失点62と深刻な状況に陥る。

14年春には150㌔の直球や鋭い変化球を投げられるピッチングマシンを導入。六大学の投手を想定した練習ができるようになった。しかし、春季リーグ戦ではわずか7得点。対早大1回戦で、87年秋季リーグ戦から90年秋季リーグ戦にかけて記録した70連敗という連敗記録を更新した。

AP1.JPG14年春季リーグ戦対早大1回戦で連敗記録が更新される

 光明が見えたのは秋季リーグ戦。開幕から2戦目で有井祐人選手が5季ぶりとなる本塁打を放つと、そこから打線が奮起。長く続いた不振を抜け出し、20得点を挙げる。山本克志選手、喜入友浩選手も本塁打を放ち、合計4本の本塁打が飛び出る。しかし、投手陣が失点を重ね、ゲームを優位に進めることができない。秋季リーグ戦でも白星を挙げることができず、11年に入学した選手は野球部に在籍中一度も六大学での勝利を経験せずに卒業することとなった。

 AP2.JPG 14年秋季リーグ戦対慶大2回戦で5季ぶりとなる本塁打を放つ有井選手

 そして迎えた今季。投手陣は145㌔を超える直球を投げる山本俊投手、サブマリン投法の三木豪選手、そして宮台康平投手、柴田叡宙投手の二人の2年生投手が試合を作る。守備も失策7と改善。打線は1番打者の長藤祥悟選手、2番打者の飯田裕太選手が起点となり、2年生ながら全試合で4番を託された楠田創選手がここぞという場面で役割を果たした。対法大1回戦で悲願の白星を挙げ、連敗を94で止めた。

 AP3.JPG連敗記録を止め、背負っていた重荷から解放される選手たち

この記事は、2015年6月2日号からの転載です。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。

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