INTERVIEW / FEATURE 2019年3月11日

政策担当者の国語観の貧困を問う 高校国語新テストの問題点

 2018年度からの幼稚園での全面実施を皮切りに導入が進む新学習指導要領。社会に開かれた教育課程、小学校でのプログラミング教育必修化などと並んで注目されているのが、高等学校国語科の大幅な再編成だ。指導要領改訂に伴う高校国語の科目編成、大学入試センター試験に代えて導入される大学入学共通テスト(以下、新テスト)について紹介するとともに、著書『国語教育の危機 大学入学共通テストと新学習指導要領』(筑摩書房、2018年、以下本書)で問題提起を行った紅野謙介教授(日本大学)に話を聞いた。

(取材・日隈脩一郎 撮影・小原寛士)

 

紅野 謙介(こうの・けんすけ)教授(日本大学)
 86 年早稲田大学大学院博士課程中退。文学修士。麻布中学校・高等学校教諭などを経て97 年より現職。

 

──新学習指導要領と大学入学共通テストの導入にどのような懸念を持ち、本書を執筆したのですか?

 まず、言っておきたいのは、私としては、国語教育をめぐる動きが文学自体を危機に追いやっているとは思いませんし、文学を擁護しようとしているわけでもないということです。その証拠に、と言っては何ですが、中学国語の教科書から森鴎外や夏目漱石の作品が消えた際も、特に反対はしていませんし、研究自体もいわば文学擁護派の立場では行っていません。本書を刊行してから、文学研究者のポジショントークだと言われることがあったので、ここで明確に言っておきます。基礎的なリテラシーを養おうという理念には賛成です。

 

 ただ、あえて言っておくならば、その理念が先行し、学校教育で扱われる文学作品が少なくなろうとしている中で、例えば『山月記』(編集部注:中島敦の短編小説で、高校教科書での採択率が高い)はなぜこれまで読まれてきたのか、どう読めるのか、ということを読み解き、それを表現することだけでも、論理的な言語使用に当たるはずですし、基礎的なリテラシーを養えるとは思っています。

 

 確かに昔は『山月記』を、男性知識人の満たされない承認欲求の屈折を描いた、などと型にはめて読むことが横行しました。そのため女子高では人気がほとんどなかった。ところが今は女子生徒からの共感・反響も少なくありません。時代を超えて、さまざまな受け取られ方が可能であるというのが文学作品、とりわけ古典的な作品の強度だと言えます。では、なぜそういう読まれ方があるのか、議論することはなぜ基礎的なリテラシーを育てることにはならないのでしょうか。もちろん、時代が古いために、分からない言葉があったりするかもしれません。しかしそれなら説明すればよいだけですし、学校ではそれを調べ学習にすることもできるでしょう。なぜ駐車場の利用規約を読むことだけが、論理的な言語能力の育成につながるのか、といったことが議論された形跡はありませんし、駐車場の規約に縁がない人だっていますから、誰にとっても真に実用的な文であるかどうかは議論の余地があるはずです。

 

 新テストが国語教育へのメッセージであるとすれば、言語の多義性や複雑性、歴史性を無視した言語観のあまりの貧しさには驚きを隠せません。新指導要領による科目編成と新テストは連動しますから、おそらく近代の古典的な評論などは、学校教育の中で最も扱われない教材になるでしょう。あまり好きな言葉ではないですが、伝統が軽視され過ぎています。長らく読みの伝統が蓄積されてきた作品をじっくり読むことは、試験でも塾でもなく、学校の授業だからこそできるのではないでしょうか。

 

 また、最も現実的な懸念は、間もなく導入されてしまうという新テストを前に、一番の当事者である受験生、そして現場の教員が必ず困惑するだろうということです。混乱を少しでも緩和するために『赤本』(編集部注:教学社から刊行されている各大学別の入試過去問題集)のようなものが必要だとも考えました。著書で新テストの試行調査にかなり紙幅を割いたのもそのためです。

 現在、高等学校国語科は共通必履修科目「国語総合」、選択科目としての「現代文A・B」「古典A・B」「国語表現」から成る。それが新指導要領では「現代の国語」「言語文化」の2共通必履修科目、「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」の4選択科目での構成に変わる(図1)。教科書については検定が20年度、採択・供給が21年度、指導要領の実施は翌22年度からだ。作業工程の強行が指摘される中、具体的な指導内容や取り上げる教材は3月1日時点では明らかになっておらず、新テストの問題例にその推測を委ねるほかない状況が続いている。

 

 

 新テストは21年より実施される予定で、マークシート方式のみで実施される現状のセンター試験と異なり記述式が一部導入されることが目玉だ。記述式の導入は思考力・表現力・判断力の養成という国語教育の目標に即したものとなっているように見える。しかし、実際の問題例に接すると、理想とは大きくかけ離れているようだ。例えば、17年に実施された試行調査の問題(図2)では、生徒会規約、会話文、学校新聞など五つの資料を読んだ上で解答を構成することが求められる。時間をかけないようピンポイントで情報を拾い集めなければならない上に、指定の字数で条件に従って書く必要がある。

 

 

 記述式の場合、採点基準が公平となるよう、解答の要素が採点者間で共有されていなくてはならない。そのためマーク式の問題が挙げる選択肢のように、分かりやすい要素に分解される正答をおのずと用意する必要が生じる。そうでなくては大量の受験生の答案を採点できない。

 

 試行調査の中身が指導要領の理念をそのまま具体化したものではないとはいえ、表面的な情報収集が深い思考力に支えられているのか、型にはまった解答を書くことが表現力なのか、といったことについては疑問が残る。結局、表層的な拾い読みをすることが入試問題という受験生の実際的な目標として設定されているならば、深い思考力や、ましてや表現力など許されるべくもない。

 

──このような問題が作られる背景について紅野先生は本書で分析されています。

 試行調査は、建前では現行の指導要領に基づくとされていますが、実際には新指導要領に基づいていると考える方がよいでしょう。

 

 新指導要領の案が概ね固まった時期に文部科学省から出た資料には、テクストを理解する力として情報を多面的・多角的に精査し構造化する力が必要だと書かれています。その通りだと思いますし、教育の理念的な目標としては大賛成です。そもそも文学研究はある時期から、独立の作品単体や作者の意図だけを重視する段階から、歴史的・社会的条件なども加味するようになり、いわゆるカルチュラル・スタディーズといった研究分野への道も開拓してきました。言語、あるいは言語によって構成されるテクストを深く味わうということは、学校教育において非常に大切なことです。しかし、新テストではこのことが単に複数資料の活用というように矮小(わいしょう)化されているように思えてなりません。なぜ直接に授業を洗練する方向へ進まず、テストをいじって当事者を混乱させようとするのでしょうか。

 文部科学省教育課程部会・言語能力の向上に関する特別チーム「言語能力の向上に関する特別チームにおけるこれまでの議論の取りまとめ(案)」によれば、言語能力を構成する柱の一つとして思考力・判断力・表現力が挙げられ、その中に「情報を多角的・多面的に精査し構造化する力」が含まれている。情報という語に関しては、同資料において「文章になっていない断片的な言葉、言葉が含まれる図表などの文章以外の情報も含めて『テクスト(情報)』と記載する」とされており、紅野教授はこの理念が新テストにおいて、単に複数の資料を拾い読みすることを求めるだけの問題になっていると指摘する。この傾向は昨年11月に行われた試行調査や、マーク式問題においても同様だ。

 

──現行のマーク式のセンター試験についてはどう思いますか?

 当然、マーク式には限界がありますし、導入当初は「受験生の考えをたった四つか六つの選択肢に押し込めるのか」といった批判もありました。しかし、テストにはそもそも人間のすべてなど測れるべくもないという、共通の合意があった。その上で、比較的長い時間を通じてある程度は安定的にテストとして機能するレベルになってきたのです。

 

 そもそもセンター試験導入当初より、AO入試など入試自体が多様になりましたし、各大学が個別試験を行ったり、東大でも推薦入試を導入したりする今、多くの人が受けるテストをいじろうとすること自体がナンセンスです。今年のセンター試験の国語の問題は、そういう意味では、問題作成者の「まだまだセンター試験でも行けるぞ」という義憤を感じさせるユニークな出題だったと思っています(笑)。

 昨年実施のセンター試験の国語第1問では、図を参考にして解答する設問があるなど、複数資料活用という新テストの方針に沿うような出題も見られた。しかしこのことは、新テストに移行せずとも複数資料の活用が可能であることを示している。記述式導入・複数資料活用というお題目ばかりが叫ばれ、強行にセンター試験が廃止された結果、国語教育やテストの質が損なわれるとすれば、被害を最も受けるのは誰か。政策担当者の思考力・判断力を厳しく問わねばならないだろう。

 

──これからの国語教育はどうあるべきでしょうか?

 教科書執筆にも携わっており、高校教員の方とも関わりがありますが、最近は文学好きの教員がめっきり減っているようです。教員の労働環境の劣悪さによる授業への相対的な熱意のなさなどが、そのように見えるだけかもしれませんし、これは国語に限らず学校を取り巻く一般的な問題です。しかし、文学が好きではなくても、文学が国語の教材としての豊かな可能性と蓄積を持っているということは、知っておかなくてはなりません。そのためには、やはり10年に1度でもいいから、教員自身が大学院で学び、文学研究に触れる機会などがあってほしいと思います。

 

 どんな社会で生きていくにせよ言語が必要ですし、日本社会では日本語はどう考えても必要です。が、何にでも根拠を求め、シラバスやカリキュラムにも驚くほどのきめ細かさを求める昨今の風潮の中では、我々がいかに言語の多義性を利用してなめらかな人間関係を築き社会生活を送っているかが忘れられがちです。多くの場合、第一言語として意識せずに使われてしまっている日本語について、責任ある立場の人はもっと考えなくてはなりません。


この記事は、2019年3月4日号に掲載した記事の拡大版です。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。

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キャンパスガイ:梶田純之介さん(文Ⅲ・1年)

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