INTERVIEW / OBOG 2019年8月26日

留学、宇宙、子育て 挑戦の連続で得た気付き 山崎直子さんインタビュー

 東大で宇宙工学を学んだ後、10年にはスペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗、日本人女性で2人目の宇宙飛行士としてミッションをこなした山崎直子さん。弊社が8月に発行した受験生向け書籍『現役東大生がつくる東大受験本 東大2020 考えろ東大』では、世界で活躍する「東大女子」の先輩である山崎直子さんに、東大受験や在学時代について聞いたインタビューを収録した。今回は書籍に収められなかった学部卒業後の米国への留学や宇宙飛行士としての仕事についての話を掲載する。

(取材・武井風花、撮影・武沙佑美)

 

 

━━大学院時代、米国に1年間留学しています。留学から何か得たことはありますか

 

 意図せずしてマイノリティの立場を経験し、「弱者」の立場にある人に共感する意識を持てたことでしょうか。留学先のメリーランド大学には、米国人の他、ヨーロッパやアジアなどからの留学生が多く、日本人は圧倒的に少数派でした。日本語はもちろん通じないので英語で会話するのですが、日本語と比べて言いたいことをぱっと言語化できません。言語が満足に話せないことで起きる弊害は本当に大きかった。日本では、会議やグループディスカッションで空気を読んで黙っていることは普通だし、特に注意されません。でも米国では、発言しない人は存在しない人と同じで、立場をはっきりさせないと「こいつは変なやつだ」と思われ、一人前と認められないのです。英語をうまく話せばいいということではなく、考えていることを求められる場で言語化する必要がある、ということです。それを身をもって知ることができたのは、後になっても役に立ちました。

 

 他には、自分でも気付かないうちにバイアスにとらわれていたことを自覚できたことも大きかったです。現地のパーティーに招かれた時、当時70歳は超えていたであろうおばあさんに「私はヘリコプターを操縦するのよ」とにこにこしながら言われました。それを聞いた時、私はまず「え、お年寄りで、しかも女性なのに?」と思ったのです。そこで初めて、私は自分にも隠れた偏見があることに気が付きました。お年寄りが、女性がパイロットで何がおかしいのだろう。パイロットは男性だけの職業ではありません。目から鱗でしたし、おばあさんに元気をもらうことができました。そのことがきっかけで、それまで無理だろうと思って受験するか迷っていた宇宙飛行士候補者の試験に挑戦してみようと決断しました。

 

━━東大卒業後、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)に入社しています。入社してから3年後、2度目の受験で宇宙飛行士に選抜され、2010年にはスペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗、宇宙でのミッションをこなしました。訓練期間中の思い出を教えてください

 

 エンジニアとして働いていた際は、国際宇宙ステーションのインテグレーションを担当していました。米国やロシア、カナダ、欧州諸国と調整をする場面が多々あり、決して楽しい思い出ばかりではなく、交渉の場ではお互いに机を叩き合うような激しいやり取りもありました。それでもみんなで一つの計画を成功させようと努力する過程は、今では良い思い出になっています。宇宙飛行士候補者の試験には2回目の受験で合格したのですが、そこからが長く、実際に宇宙に行くまでの訓練期間は11年に及びました。その間も、色々な国の宇宙飛行士と、みんな宇宙に行く機会を巡って競争するライバルでもありますが、お互いのミッションを地上から精一杯助け合ったことが印象に残っています。

 

 

━━実際に宇宙に行った時の思い出を教えてください

 

 無重力状態にいることそのものが楽しい経験でしたね。ふわーっとして体が軽くて。その分、地球に戻ってきた時は重力の重さにびっくりしました。自分の体は漬物石を載せたようで動かしづらいし、紙やペンすらもずっしりと重い。それでも、宇宙船から外に出ると、なんてこともない見慣れた景色なんですが、風が吹いて緑の香りがふわっとした時に、ありふれた日常が本当に美しく思えたのです。「私たちは地球に生かされているんだな」と身に染みて思いました。当たり前というのは、実は何よりもありがたいものなんですよね。

 

━━訓練期間中、出産も経験しています

 

 そうですね、これは本当に大変でした。宇宙飛行士の訓練期間中に妊娠・出産した人は日本人女性では前例が無いし、米国でも一般的ではなく、ロールモデルが少なくて不安でした。子どもはいきなり熱を出しますし、常に慌ただしかった記憶があります。訓練は海外で行うことが多かったので、私が海外に行く時は、日本に残る父子で一時的に父子家庭になったり、逆に私の方に呼び寄せて一時的に母子家庭になったりしました。「子育てはこうしたらうまくいくんだよ」といったような理想論は言える余裕がありません。何か起きたらその都度対応する場当たり的な子育てでした。でも確実に言えることは、一人では絶対にできなかっただろうということです。家族や友人、同僚、保育園の先生など、多くの人の助けがあってなんとか乗り越えることができました。

 

 加えて、日本において根気強く運動を続け、女性が働く権利を勝ち取った先人たちの努力も大きかったです。私たちの世代は、男女雇用機会均等法をはじめとする、女性が社会に出て働く基盤が整備され、世間の理解が広がり始めた後の世代です。まだ課題も多いですが、先輩の女性たちの努力の成果が、私が子育てと仕事を両立しようとする試みを支えてくれました。

 

 

━━現在の活動を教えてください

 

 内閣府宇宙政策委員会委員として政策面から宇宙に関わっている他、各地の科学館でアンバサダーやアドバイザーを務めたり講演したりするなど、草の根的に宇宙の面白さを伝える活動を行っています。最近は「宇宙港」の建設を目指す団体「スペースポートジャパン」や航空宇宙業界の男女共同参画を目指す「宙女Sorajo」の立ち上げにも関わりました。近年、宇宙旅行の実現化に向けた動きが加速していますが、実際に誰でも宇宙旅行に気軽に行けるようになったら、私ももう一度宇宙に行きたいですね。

 

━━海外向けに東大の魅力を発信するプロモーションビデオにも出演していましたが、山崎さんが考える東大の魅力は何でしょうか

 

 まず、東大は国際的に見ても学術レベルが高いです。例えば、私が卒業した工学部航空学科(当時)は、小惑星「イトカワ」の名にもなっている糸川英夫博士や、宇宙飛行士を何人も輩出するなど、日本の宇宙研究の世界を引っ張る人材を多数輩出してきた伝統と実績ある名門です。在学時代には優秀な学生や教員と触れ合うことで多々刺激をもらうことができました。卒業後にも、その分野の第一人者と言われる人が東大出身者であることが多く、出会いの場が広がるという利点があります。特に女性の卒業生は数が少ないので、女性の先輩方に気にかけていただいたり縦横につながりやすかったりするので、本当にありがたいことだと思っています。

山崎直子(やまざき・なおこ)さん(宇宙飛行士)

96年工学系研究科修士課程修了。修士(工学)。同年、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構、JAXA)に入社。10年、スペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗。11年にJAXAを退職し、現在は内閣府宇宙政策委員会委員、女子美術大学客員教授などを務める。


※現在発売中の『現役東大生がつくる東大受験本 東大2020 考えろ東大』では、山崎さんに東大在学時代、英語演劇に打ち込んだり研究室に泊まり込んだりした日々、少数派である理系東大女子としての生活などについて聞いたインタビューを収録しています。他にも、受験生でない方にとっても面白い情報満載の書籍ですので、ぜひ併せてご覧ください。

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