PROFESSOR

2023年11月6日

文学は、理解しえないものを受け入れる力を育む 安藤宏教授インタビュー

 

 太宰治研究の第一人者でもありながら、27年間東大教員として学生を見守ってきた安藤宏教授(東大大学院人文社会系研究科)。作家の人生や、当時の社会状況と言葉が紡ぐ精神的ドラマに魅せられ文学の世界に。教員の背中から学び自らの道を切り開く東大の気風を感じながら、研究や学生との交流を続けてきた。その中で見出してきた、読書体験の面白さや文学に触れる意義について聞いた。(取材・佐々ひなた)

 

 

学友と恩師が大きな刺激に 突き放されて見つけた自分の道

 

──大学生時代の読書体験について教えてください



 私が大学生だった時は、本を読むことが学生たちにとって、一つのステータスでした。喫茶店で周りの友達が「この作家と言えばあの本だ」などと議論を始めると、読んでいない恥ずかしさと焦りでいっぱいになって、帰り際に書店でその作家の本を買い込んだりしたものです。お互いの知的好奇心を切磋琢磨(せっさたくま)していた、と言えば良く聞こえますが、虚栄心の張り合いだったのかもしれませんね。ですが実際に読んでみると、どれも面白くて。文学部に入り研究の道に進んだのも、大学の学友からの刺激が大いに影響していると思います。



──文学部に進学した決め手は何でしょうか



 もともと興味があったのは日本史で、文学は研究課題として見ていませんでした。正直な話、自分が文学部に所属することにどこか抵抗があったのも事実です。しかし実際に大学に入ると、文献実証主義的な歴史学にも違和感を覚え、状況と個人の織りなす精神的なドラマのようなものに関心を持った。そこから言葉の表現そのものに惹(ひ)かれ、文学を専攻することを視野に入れ始めました。

 

 進振り(当時、現進学選択)に迷っていた際、たまたま駒場で三好行雄先生がゼミを開いておられました。その時の三好先生の、論理的かつ時代背景の知見も織り交ぜながら展開される小説読解に心を奪われて。この先生の下で学びたい、と思い文学部への進学を決めました。



──近代文学、その中でも太宰治を専攻したきっかけは何でしょうか



 そもそも近代文学に興味を持ったのは、自分が受けてきた戦後民主主義教育への疑問がきっかけです。その頃の教育はかつての教育方針の反省から自我や個性を無前提に絶対視するようなところがあり、あまり「自分」に自信を持てなかった私はその教育方針に幼い頃からどこか違和感を覚えていました。大学生になってその違和感は、自我や個性を先験的な実体とは考えない当時の思想潮流によって、さらに後押しされたようなところがあります。大正時代には民主主義が大正デモクラシーという形でひとまず形成されたはずなのに、再び戦争が起こってしまったことを考えると、戦後民主主義も、日本の戦時の歴史において整理すべき事を本当には精算できていないのではないか、と思うようになりました。戦後民主主義の在り方を総括するためにも、個人主義が芽生えた明治・大正期の時代背景やそこに生きる人々の葛藤を研究したい。そうした思いから、近代文学に関心を抱くようになりました。



 太宰治に興味を持ったのは、卒論のテーマを決める大学4年生の時に、家にあった本の中から太宰の文庫本を見つけ、再読したことがきっかけです。初めて手に取った時はただ夢中になって読んでいたのですが、そこから何年か経って読むと、太宰治の、自意識やてらい、自虐を演技として駆使していくテクニックに気が付いた。それを面白いと思い研究の中心においたのですが、でも、そのあとすぐ後悔しました。というのも、私が学生だった当時、太宰治は亡くなってから時間がそこまで経っておらず研究もまだ進んでいなかった。近代文学全体を論じたいのであれば森鴎外や夏目漱石などもっとメジャーな対象を研究すればいいのに、と周りに言われて悩む時もありました。ですが三好先生に相談したところ、「別にかまわないじゃないですか」とだけおっしゃって。研究テーマは自分で決めるものだ、と暗に叱られているような気がしてはっとしました。そこで腹をくくって、太宰治の研究を始めたんです。



 今となっては、太宰治を研究テーマに選んで良かったと思っています。太宰治が登場した1930年代には、石川淳や高見順など同じような作風の作家が多く誕生します。その根底には、客観的な写実を良しとする近代主義そのものを見直していこうとする気運がみなぎっていた。太宰治という小さな入り口から1930年代の文学、ひいては近代の文学という大きなテーマに移っていったこと、特殊から普遍に抜けていくよう研究ができたこと。このような視野の広げ方を私は「志」と呼んでいます。当初は意図していませんでしたが、結果的にそういう「志」を持てたことは良かったと思っています。

 

──学生時代に受けていた授業の中で、特に印象に残っているものはありますか



 正直あまり真面目な学生ではなかったので、家での読書を優先してしまうこともよくありましたね(笑)。ですが先ほど言った三好先生の授業は、自分の進路を変えるほど大きな影響を受けたものでした。また大学3年生の時に、各教員が最先端の研究を扱う特殊講義というものに参加しました。非常に専門性が高いだけでなく、「あの本は読んでいるよね」というように、多くの先行研究が前提とされて授業が進んでいくのです。授業が終わるとあわてて図書館や古本屋さんに行って、研究の面白さをのぞき見するようになった。ある意味で突き放されたような講義だったからこそ得られたものかもしれません。すべてを頭から教わってしまうと、その教員の研究の縮小再生産に過ぎなくなってしまう。教師の背中を見て育つ、という東大の美風を体現したような講義だったと思います。

 

──大学生のうちに読んでおけば良かった本はあります



 頭が柔軟な大学生のうちに、思想や哲学に関する本にもう少し触れておきたかったです。近代文学の研究というのは、各々(おのおの)が専門の立場からものの言える、草刈り場になってしまいかねない危うさがある。学界のトレンドをずっと追い続けるのではなく、自分の信念を貫いていくしかない。だからこそ、大学生・大学院生のうちに、文学の根底にある、古典的な思想や哲学を広く体系的に学んでおくべきなのでしょう。

 

 

ことばと人、社会が関わり合う営みこそが文学

 

──文学部の魅力を教えてください



 文学というのは、「ことば」が作家と社会状況に相互に作用する営みであると思います。作家個人の体験や当時の社会情勢が文学に影響を与えた、というベクトルばかり着目されがちですが、それだけではない。書くにつれて作家が自らの言葉に裏切られていくドラマや、ある作品が社会の状況を変えるエネルギーになる面白さもある。この、互いが影響を与え合う相互関係にこそ文学研究があると私は思っていて、その営みを垣間見る事ができるのが、研究の醍醐味(だいごみ)だと考えています。

  

──時間や体力もある大学生のうちに、留学など自らの肌で感じられる体験を多くした方がいい、という傾向があります



 留学などは、できる機会があればぜひすべきでしょう。実際に生活してみなければわからないことがたくさんある。しかし一方で、変に「体験至上主義」になってほしくはありません。私は「体験」と「経験」には違いがあると思っていて、「体験」の量がいくら多くても、「経験」がそれに比例するわけではないと考えています。安易な体験主義に陥るのではなく、読書を通じて先人たちが得た「経験」を知ることの重要性を強調したい。言葉の力を信じてほしいと思います。

 

──年齢を重ねるにつれ、読書に対する姿勢は変わりましたか



 若い時は、まだ自分は何も知らないということへのコンプレックスや不安が文学への情熱を駆り立てていました。ですが年を重ね自分の人生経験が多少とも増えていくと、新しい人生を知るのも何だかうっとうしいという、ある種の諦めのような気持ちが芽生えてきて、文学への熱が冷めていく自分に気が付きました。40 代の頃には、にもかかわらず文学を研究対象とし続けて良いのだろうか、とスランプに陥ったこともあります。

 

 ですがあるとき、ふと小説を読み返していて、この小説も、小説らしくなろうとして一生懸命頑張ってるなあ、なんて思うようになったんです。もともと小説には明確な定義はありませんよね。その定義は時代によって変わっていきます。別の時代には「小説」ではないかもしれない作品たちが、頑張って小説のふりをしているように思えてきて、肩を叩いてやりたいような気持ちが生まれました。小説が「小説」であることの必要十分条件というのは何なのか、という関心が表現史への興味をかき立ててくれて、あらためて研究意欲が湧き起こってきたんです。今は人生論的な主題を見るよりも、表現などの機構に着目することが多くなりました。文学への関心って、年齢とともに移り変わるものなのだなとしみじみ思います。

 

──東大教員として27年間東大生を教えてきた中で、印象に残ったことはありますか



 東大生で怖いと思ったのは、こちらが本質に届くような良い講義をできたかどうかでレスポンスがまるで違ってくる、という点です。現在進行形で自分の研究を熱く語れた時のレポートには目を見張るものがある。ある学生のレポートなど、読んでいる時に「そうそう、本当はこういうことを言いたかったんだよ、そうだったのか! 」と思わず声に出してしまうほどでした。先生と生徒という関係ではありますが、互いに触発し合えたのは良い思い出です。

 

 私が学生だった時から時代は変わったので、全て放任、というわけではないのですが、結局、教員にできるのはサジェッション(暗示)することだけなんです。教えるのではなくて、声を掛けてあげる。それがきっかけで学生が伸びていく姿を見るのは喜ばしい限りだけれども、結局、別に私が声を掛けなくても、その人は自らの力で成長できたのではないかと思ったりもする。教えると自分のマネをしろ、ということになりかねない。結局は本人の力なのだと思うのです。

 

「文学とは何か」を図で示す安藤教授
「文学とは何か」を図で示す安藤教授

 

文学は社会を生きるトレーニング 言葉の残酷さも実感して

 

──近年、高校国語のカリキュラムが大きく変わりまし



 そうですね。必修である「現代の国語」では実用的な文章が重視されるため文学を組み込みづらく、国語の授業数の関係上、選択科目として「文学国語」は選ばれにくい。結果として文学が高校で学ばれにくい状況が生まれてしまっています。カリキュラムを運用する中で多少変えていくことはできますが、やはり難しいです。また、教科書を作る上で教科書検定は避けられません。「文学」の定義はその時代を生きる人々が決めてきたものなのに、ここで国がその定義を作ってしまうのは、一種の文化統制になりかねないとも危惧しています。

 

 昨今の国語教育では、文学は情操教育なのであって、情報化社会に備え実用的な文章を重視すべきという流れがあります。ですが、言葉を単なるコミュニケーションの道具と考えてしまうと、役に立つか立たないかという単純な物差しで言葉が測られ、言語の多様性が失われていってしまう。

 

学習指導要領改訂に伴う、国語のカリキュラムの遷移。改訂に伴い、必修科目として「現代の国語」「言語文化」が、選択必修科目として「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探求」がおかれるようになった。
(表)学習指導要領改訂に伴う、国語のカリキュラムの遷移(文部科学省発表の学習指導要領を基に東京大学新聞社が作成)

 

──高校で文学を学ぶ意義は何でしょうか



 私は文学を学ぶことは、理解しがたいものを取り入れて生きていくトレーニングだと思っています。多くの人が高校で学んだであろう、森鴎外の『舞姫』を例にあげましょう。あの作品は主人公である豊太郎の視点のみで書かれていますが、主人公が恋する少女、エリスの視点に立てばどのような作品に見えるでしょうか。エリスが厳しい生活に自分なりに立ち向かい、そして挫折する物語とも取れますよね。そしてエリスが抱える問題に、豊太郎は気付いていない。その視点の狭さを作品の面白さと捉えることもできます。このように、文学は立場を変えて読むと全く違う作品になりえます。そうやって読むことで、立場を変えて物事を考える力が身に付くのではないか。社会に出れば、自らにとって異質なものに必ず出会います。その時、きっとこうした経験が生きてくることでしょう。

 

 また、言葉の残酷さを学ぶのも文学教育の大きな意義だと考えています。どんな言葉でも、相手の受け取り方によってはナイフになり得る。直接的な言葉を避けて表現したために、かえって人を傷つけることもありますよね。インターネット上での中傷被害が昨今大きな問題になっていますが、情報化社会の中で本当に必要なのは、言葉に対する想像力、つまり文学的想像力なのではないでしょうか。それを文学作品の読解を通じて学んでほしい。

 

東大は学生が自ら道を切り開ける最高の環境 誇りを持って

 

──東大生には、どのような読書経験を期待しますか



 1、2年生のうちに、年間100冊本を読んでほしいです。どんなジャンルでも構いません。また、文庫や新書など比較的手頃なものでも良いので、買うか迷ったらとりあえず買ってください。3冊買ったとして、実際に手に取るのが1冊、すぐには読まないのが1冊、積んでおくのが1冊となれば、立派な読書家だと私は思います。近年登場したファスト読書(本の内容を短くまとめた動画などを見ること)にも通じますが、あらすじだけでも本を読む意義は大いにあると思います。それで面白いと感じれば実際に本を手に取るでしょうから、きっかけにはなりますよね。

 

 また、実際に専攻学部を決める前に、東大の教員の著作をたくさん読んでほしいです。三好先生の授業に心酔して文学の道に進んだ私のように、教員も学部決定の決め手になり得ると思います。前期教養課程のうちに、本を通して各先生の専門性の深さを実感してほしいですね。

 

──東大生にメッセージをお願いします



 東大は、教員が学生を手取り足取り導くのではなく、学生が教員の背中を見ながら自分で考え道を開いていく、自律精神のようなものが残っている大学だと思います。研究の道に進むとどうしても成果主義に陥らざるを得ない場面が出てきますが、東大はオリジナリティーを追求できる心の余裕を、教える側も教わる側も持ち合わせているように思います。そのような環境にいられることに、誇りを持ってほしい。そしてこの環境にふさわしい、自らで学問の道を切り開く気風を持った学生であってほしいと思います。

 

 また、東大には互いをリスペクトし合い高め合える学友が多くいます。私が大学生だった時と同じように、学生時代に影響を多く受けるのはやはり友達でしょう。周りの学生と刺激し合いながら、学び続けてほしいです。

 

安藤宏教授 顔写真
安藤宏(あんどう・ひろし)教授(東大大学院人文社会研究科)  東大大学院人文科学研究科(当時)修士課程修了。博士(文学)。97年より東大大学院人文社会系研究科で教員を務める。専門は日本近代文学。

 

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