こんにちは、理学部地球惑星環境学科4年の広瀬凜(ひろせ・りん)です。私は2019年夏から香港大学へ1年間交換留学に行く予定でしたが、香港デモの影響で11月に強制帰国、その後留学先をオーストラリア国立大学に変更して2月に再スタートを切り、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行の影響で3月に再び途中帰国となりました。
歴史や政治経済が苦手で一番興味ある学問分野は地球科学という根っからの理系学生である私が、香港を巡る社会情勢や今後の世界についてもっと勉強したいと思うようになった強烈な留学体験を連載で伝えさせていただきます。
第一弾は、今も世界中から注目されている香港のお話です。
「香港過激なんだ、大変だな」で終わらないで
みなさんは香港について、デモがあってかなり危険な戦場、みたいなイメージを持っていませんか?しかし皆さんがテレビで見ているようなガスマスクをつけた人々や火炎瓶からあがる炎、催涙弾、街の破壊にバリケード越しの戦闘などといった激しい部分はデモの一側面にすぎません。
デモが盛り上がっていく流れをじかに体感した私が皆さんに伝えたいのは、「香港過激なんだ、大変だな」で終わらないでほしいということです。社会情勢は、皆さんが携わるビジネスや研究に大きく影響します。市場は変動するため企業経営や投資などは大きく影響を受けますし、私のように学生や研究者として海外で研究しようにも行けない国が出てくるかもしれません。「なぜこうなった?」「これからどうなる?」「日本への影響は?」 ここまで考えれば香港でのデモが決してひとごとではないとはっきり分かるはずです。デモの激しい部分を中心に報じるメディアでは伝えられていないようなデモの背景まで、ぜひ深く考えを巡らせてみて下さい。
私が今回の記事を通して伝えたいことは、以下の三つです。
・投票に行くことに意義がある
・メディアの情報はうのみにしないこと
・全ての東大生へ、留学を考えてみて
帰国後、大学の友人に香港での体験について聞かれた時、次のように言われました。
「香港デモについて関心はあるし、もっと深く考えたいのだけど、どこから知り始めたら良いのか分からない。デモが起きているとか、選挙があったとか、事実は知っているけど全体が見えない。なぜあそこまでみんな躍起になって大規模にデモしているのか、状況を読み解くためにどういう視点が必要なのかも分からない」
香港の問題を理解するには政治、経済、歴史など様々な視点が必要です。この連載では、一方的に香港を応援したりただ反中を主張したりではなく、「この問題から何を学べるか」を自分の体験に即してひたすら伝えたいと思っています。
「血液型の違う臓器を移植する」ような香港国家安全維持法
2020年6月、中国は香港に対し新しい香港国家安全維持法(注1)を導入しました。現代中国・香港政治を専門とする倉田徹教授(立教大学)によると、これは「血液型の違う臓器を移植するような」ものだそうです。つまり中国は、社会主義に基づく自国の管理体制や価値観を民主主義やイギリス的社会風土が根付く香港に当てがおうとしていて、香港側からは当然「拒絶反応」が出るだろうということです。
このような状況に至った背景をごく簡単におさらいしましょう。
香港は19世紀以降イギリスの植民地でしたが、1997年に中国に返還されました。返還に際して中国は香港の自治や民主主義の継続を50年間約束するという「一国二制度」を取ることを約束しました。つまり、香港は「中国の一部」になったということです。ただ、香港の人たちは一国二制度の「二制度」の部分に誇りを感じており、自分たちは「中国人」ではなく「香港人」であり、「中国語」ではなく「広東語」を話すというアイデンティティを持っています。
香港の若者たちは高校の必修科目として時事的なテーマを議論し掘り下げる「通識(つうしき)」を学びます。ここで公民の基礎知識や中国政府に対する批判的な視点などについて学んでいるため一国二制度に関する最低限のリテラシーを持っています。植民地支配を受けていたイギリスよりも現在統制を強めようとする中国に反発心があるようで、中には香港がイギリスの植民地だったことを嬉しそうにさえ話す香港の人もいるのです。
一方で中国政府は一国二制度の「一国」に重点をおこうとしています。中国が「一国」を追求しようとする限り香港の人は反発し続けるでしょう。
香港デモは、2019年4月の逃亡犯条例の改正(注2)をきっかけに香港の若者を中心に中国寄りの香港政府や香港警察に反対するべく始まりました。激化したのは2019年秋です。現在デモが収まってきているように見えるのは、香港の民主化運動に対する弾圧が厳しくなり参加者が逮捕される恐れが増してきたからで、状況はむしろ悪化しています。現に、2020年8月10日には香港の民主派活動メンバーの周庭(アグネス・チョウ)さんが逮捕されました(2020年9月12日現在、保釈中)。これは極端に言えば、国が「お国に逆らう危険因子は政治犯として逮捕する」ことがまかり通っているということです。
実は、香港では2019年秋の区議会選挙で民主派が大勝しています。日本の感覚では香港の民主主義が危機的状況にあるとは想像しにくいかもしれません。ですが、私が現地でお世話になった香港大学卒のメンターによると「区議会は地域のインフラ対応に関与するだけで立法権を持たず、政治への影響力は小さい。今回の選挙は単に民意をアピールするための機会だから区議選で民主派が大勝しても香港デモは一件落着というわけではない。香港政府のメンバーはほぼ中国側で決められていて一般人の権利はとても少ない」そうです。このことから、香港の行政機関の仕組みはそもそも民主的な形態になっていないことがうかがえます。
香港の人が口にした切実な叫び “Go vote”
留学中の私にとって、デモは本当に身近なものでした。
留学中に仲良くなった香港人の友人たちは、Instagramのストーリー機能を使って暴力的な香港警察や政府への批判を主張したり、Facebookのプロフィールページに映される「トプ画」を民主化運動のテーマカラーである黒にしたりしていました。授業の休み時間には「政府の透明性」や「民主主義のあり方」について友達同士が話し合っていたり、クラスメイトカップルが二人で手を握り合いながらデモに参加したりしていました。日本にいたらなかなか目にしないことです。
デモ隊が求めているのは「民主化」です。私の周りにはあまりいませんでしたが、中には命を懸けてまで活動する若者もいました。
日本では、デモ隊が切望しているような「普通選挙」があり、私たち日本人は当たり前のように投票権を持っています。しかし近年、日本の投票率は低下していて直近の国政選挙では約半数の日本人が投票に行っていません(出典)。香港の人が命を懸けて得ようとしている権利を一部の日本人は使っていないのです。
先ほど登場した留学中の私のメンターに帰国間際に言われました。
“Go vote.”(「投票に行ってください」)
彼は「民主化運動はきっと運動に参加する全員が逮捕されるまで終わらないだろう」と言っていました。親中国派の飲食店を破壊したり、街中で火炎瓶を放ったり、バリケードを立てて籠ったりするような過激な手段に反対する人も多くいるが、過激な手段に走る人が生まれてしまうのは何万人集まってデモしても中国が気にとめないゆえ他に手段がないからだと。国民が政治参加権を行使せず一部の権力者のみで政治が回るようになり民主主義が失われると香港で起きているようなことになってしまうのだと強調していました。
だからこそ、民主主義に基づく制度を形骸化させないためにも、そして私たち若者が自分たちの未来につながる選挙を軽視していないことをアピールするためにも「投票に行くこと」には意義があるのです。
◇
冒頭に記した「伝えたいこと」の残り二つは、次の回でお話します。
(続く)
注1 香港国家安全維持法・・・香港の国家安全を維持するために制定された法案で、複数の行為を犯罪とみなして最高で無期懲役を科すことや中国大陸側の保安担当者が香港で合法的に活動すること、非公開の裁判などを認める。中国政府がこれまでにない広範な権力を得ることになる。(出典)
注2 逃亡犯条例の改正・・・香港に住む犯罪者の中国本土への引き渡しが可能になるという改正法。中国政府に批判的な人物が不当に容疑をかけられ中国本土に引き渡される恐れがあるとして香港での反対運動のきっかけとなった。(出典)
【記事訂正】2020年9月14日20時45分 記事冒頭の「香港デモの動き」を示した図で、3か所訂正いたしました。一、10月を示す記述では、警察からデモ隊へ「初の実弾発射」を「実弾発射で初の負傷者」に、二、2019年12月以降を示す記述では、「区議会議員選挙で少し落ち着くものの」を「11月末の区議会選挙以降は少し落ち着くものの」に、三、同記述で「2020.7には国家安全維持法発効」を「2020.6.30に香港国家安全法施行」に、それぞれ訂正いたしました。