インタビュー

2022年1月11日

俳句とサラリーマン、二足のわらじで豊かに暮らす 小川軽舟さんインタビュー

 

 東大法学部を卒業した後、銀行や鉄道会社に勤める傍ら俳人として活躍してきた小川軽舟さん。俳句の魅力や俳句のこれから、新年にまつわる句など俳句に関するあれこれを取材。サラリーマンとして働きながら余暇を充実させる姿は、自分自身をどう豊かにするかのヒントになるのでは。(取材・山﨑聖乃)

 

「好奇心の赴くままに伸び伸びと学生時代を過ごしました」

 

──東大を目指したきっかけ、法学部に進んだ理由は何ですか

 

 最高学府であり秀才が集まる東大で勉強してみたいという漠然とした憧れを抱いて目指しました。数学は苦手なので文系だなということで、行けるところに行こうと思って頑張っていたら、法学部に進学したという感じです。恥ずかしながら、弁護士になりたいとか、公務員になりたいとか、具体的な志望があったわけではありませんでした。

 

──学生時代は何に打ち込みましたか

 

 学部の勉強もさることながら、幅広い知識や教養に触れて自分自身を豊かにしたいと思って過ごしました。法学部で選択した第3類(政治コース)には、当時は結構私みたいな人が多く集まっていたように感じましたね。3類は法学部の中の10分の1にも満たない人数だったので、3類自体がサークルみたいな雰囲気でした。「3類懇親会」っていうものがありましてね。法学部の建物内にある隠し部屋のような小さな部屋に集まって、勉強だけに限らずいろいろな話をしていました。所属していたヨーロッパ政治史の篠原一教授(当時)のゼミの最後の発表会は、先生の奥さんの実家がある伊豆大島でやりました。発表会もするんですけれど、ソフトボールとかもやったりして。堅いイメージの法学部ではありますが、伸び伸びと過ごしていました。

 

──卒業後、銀行に就職しました。その理由は

 

 元々大学に残って研究者になってみたいという気持ちがあったのですが、先輩の学者たちを見てるとすごくストイックに研究しているので、全ての時間を専門領域に捧げるのはしんどいなと思いました。結局自分はモラトリアムを求めて学者になりたいと言っているだけではないかと気付いたんです。それならさっさと社会に出て、世の中の役に立とうと思い直しました。それにサラリーマンは勤務時間中は全てを会社に捧げて給料をもらう代わりに、そこを一歩離れれば自由なので、そういう暮らし方の方が合っている気がしてきて、就職に至りました。

 

 でも、就職先を選ぶ時もいいかげんで。会社紹介の分厚い冊子の一番最初が日銀だったんですよ。これは敷居が高すぎる。その次のページに、日本開発銀行(当時)というのがあって、国の銀行なら社会の役に立ちそうだからと面接に行ってみたら、馬が合ってそこに決まりました。

 

──社会人になってから俳句を始めたきっかけは何ですか

 

 そのような理由で社会人になったので、余暇に何かを身に付けるということを考えていました。会社で働くこと自体も知的好奇心を持ってやっていたのですが、文化的なものへの憧れがあったので。それで1年に一つずつ新しい趣味に挑戦しようと決めました。1年目は芝居をたくさん見に行って、2年目に俳句を始めましたね。俳句雑誌を出す組織を俳句結社と言うのですが、「鷹」という俳句結社に入って俳句を学びました。同質的な人が集まりがちな会社と異なり、さまざまな背景を持った人たちと関わることができたのはすごく良い社会勉強になりました。

 

俳句仲間と俳句を作りに三重県山中の猟師小屋へ(写真は小川さん提供)

 

「箸置くような」終わりを迎えたい

 

──俳句を作ることの魅力は

 

 文芸にもいろいろありますが、例えば小説を書くとか、詩や短歌を作るときは基本的に自分の内に何か書き表したいものがあると思うんです。でも、俳句はそういうのがなくていいんですよ。自分はこういうことを俳句で言いたいんだというのをたくさん持っている人は、実はなかなか早く上手くならないんです。頭を空っぽにして、とにかく日々の暮らしの中で、五七五の言葉が降ってくるのを素直に迎えられる人の方が早く上手くなります。でも、そうやってできていく作品をまとめてみると、やっぱりそこに明らかに自分が出るんですよ。

 

 五七五はすごく短いので、自分が表現したことが相手に伝わるかどうかは自分ではなかなか見極められず、人に読まれてみて初めて分かります。この俳句はよく分かる、面白いって言ってもらえたときに、作者である私自身の何かをその相手に見出してもらえた気がします。句会を通していろんな人に自分の俳句を読んでもらうことで、自分自身を発見できて。そのプロセスがすごく好きです。もちろん俳句は一句一句が独立した作品ですし、名句と言われる俳句は一句でその人を代表するような句になるんですけど、その人の人生を懸けてたくさん詠んできた背景があってこそ、その一句があるんだと思います。

 

 私の代表句となっている句に「死ぬときは箸置くやうに草の花」というのがあります。特に年配の方に人気があって、そういうふうな最期を迎えたいですと言われることもあります。でもね、この句は私が40代の時にできたんですよ。別に死ぬことを真剣に考えるような年齢でもなかったのですが、何かの拍子にふわっと出てきました。俳句と共に暮らしている人生の最後にごちそうさまと言って箸を置くような、そういう終わり方を自分が求めているということに、句ができてみんなにそれをいいって言ってもらってから気が付きました。

 

──俳句を作るときに大切にしていることは何ですか

 

 イマジネーション豊かに幻想的な作風で作る人もいますし、言葉遊びに近いようなところで俳句を作る人もいますし、俳句にもいろいろあります。私は日常のささやかな思いや発見を詠んでいきたい。

 

 表現面の話をすると文語、旧仮名遣いを使っています。俳句も詩の一つなので、言葉が日常から離れてくれないといけないところがあって、旧仮名遣いはそれが簡単に得られるんですね。言葉の意味は同じなのに、日常から少し浮かすことによって新たな角度から日常を見直すことができます。ごく普通の日常を詠みつつも、その日常がやがては失われるかもしれないというどこか不安な気持ちも同時に書き留めているつもりです。

 

──新年に関する句で印象深いものはありますか

 

 高浜虚子の「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」という句ですね。ちょうど年の変わり目のタイミングを詠んでいます。新しい年が来て改まった気持ちになるけれどそこには何か棒のようなものが貫いているという句です。年が変わってまた新しい季節が来て、と年月は循環していくにもかかわらず、一度進んだ時間は元に戻らないという時間の無常さも、棒の如きものというぐっとした表現で出ている気がします。大変な名句として有名だけれど、好きな句ですね。

 

 あと新年とは関係ない句ですが、東大が舞台だということで好きなのが、東大の工学部教授だった山口青邨(せいそん)の「銀杏散るまつただ中に法科あり」という句です。正門を入るとイチョウ並木を挟んで工学部の建物が法学部と向き合っていて、工学部から見るとイチョウが散る真っただ中に法学部の建物があるという句です。法科だからいいんでしょうね。私も含めて現代の法学部生にそういう気概があるかどう分かりませんが、制度面から国家の礎を作るという志がいかめしく感じられます。

 

戦後を代表する俳人、東京帝国大学(当時)経済学部卒の金子兜太さんの自宅で(写真は小川さん提供)

 

「若いうちに本気でやったものが本物になる」

 

──俳句と仕事の両立について大変なことはありますか

 

 時間の面でいうと大変です。鷹の主宰の仕事は会員から送られてきた俳句を選んでそれを雑誌に載せることですが、選句だけでもかなりの時間がかかります。それ以外にも、普段の句会の指導や鷹の事務所を運営するための雑事などいろいろやることがあります。もちろんサラリーマンとしても一生懸命働いてますので、時間のやりくりが一番大変ですね。

 

 でも、二足のわらじと言われるような生活を送ってる人は多分みんなそうだと思いますが、忙しいと集中力が高まります。踏ん切りも付くようになるんですかね、いつまでもグズグズやってても仕方がないのでとにかく仕上げようと思います。あと、俳句の場合は創作にまとまった時間が必要というより、テンションがあるモードに入った時にどんどんできるので、その精神状態を作っていくためには両立の生活も悪くないと思っています。やっぱり仕事をすることで、社会に直接触れることができるし、サラリーマンをやってなかったらサラリーマンの生活って歌えないけれど、サラリーマンをやっているおかげでサラリーマンとしての題材も俳句で詠むことができます。一つの人生で両方できるのはすごい強いと思うんです。

 

──時流の変化の中で俳句のどのような変化を感じますか

 

 例えば介護の俳句など、普通の会員が身の回りを詠んでる句が、時代の先端を捉えていることが多くありす。若い人の俳句も社会の在り方の変化を明らかに映しています。

 

 戦後を支えてきた家族の姿がずいぶん変わっていますよね。夫が働いて、妻は専業主婦で子供が2人いる標準世帯が社会の基本でした。私はそういう家庭に育ちましたし、現在自分が築いている家庭も同様です。なので、それを平凡な日常として俳句で描いていましたが、ある時ずっと若い世代の俳人から、それはもう私たちにとっては少しも平凡ではないと言われました。私自身の平凡を詠むというのは失われていく平凡を今書き留めておくことだな、ということにも気付きました。

 

──俳句界はどのような変化をしていますか

 

 俳句人口が増えたのは、歴史的に言うと戦後家庭の電化が進んで主婦の家事労働時間が激減した時代です。自由な時間ができた主婦たちが一斉にカルチャーセンターで俳句を始めたんですね。そういう人たちが高齢化して俳句を続けられなくなってきているので、俳句の世界全体を見渡して言うと、俳句人口は減っています。一方で若い人たちの間で盛り上がりもあります。一つは俳句甲子園というイベントを通して、高校生が俳句に接する機会が増えました。あとはやはりインターネットの普及ですね。今までは結社に入らないと俳句を評価されることがありませんでしたが、インターネットの世界で気軽に俳句で自己表現できるようになりました。

 

 私は、俳句にはある程度大衆的であってほしいと思っています。俳句が存続するためには、「お〜いお茶」のパッケージに俳句が載っているように、誰でも気軽に俳句を作れるという大衆的な広がりが欠かせません。それと同時に、新しい時代にふさわしい表現方法を模索し切り開いていくことも大切です。両者を兼ね備えながら俳句が今後も受け継がれていってほしいです。

 

──最後に東大生にメッセージを

 

 これから社会に出て皆さん活躍すると思いますが、芸術を含めていろんなことに興味を持ってほしいなと思います。ビジネスやテクノロジーの世界で頑張るのはもちろんですけれど、それと同時にそれとは全く違う知性や感性を働かせる場と人脈を持つこともとても大切です。そういう世界を何か一つ持つことによって、自分自身の可能性を広げ、人生を豊かにすることができるのではないかと思うんです。

 

 そして、何かを始めるんだったら若いうちに始める方が絶対いいと思います。私は俳句を若いときに始めましたが、時間に余裕ができたらやってみようというのではなくて、若い時にどんなに忙しくても本気でやったものが本物になるのではないでしょうか。

 

2012年以降の作品から360句が収録された第5句集『朝晩』(ふらんす堂)。第59回俳人協会賞を受賞
小川軽舟(おがわ・けいしゅう)さん  84年東京大学法学部卒業。05年より俳句雑誌「鷹」主宰。毎日新聞俳壇選者、毎日俳句大賞選者。句集に『近所』(第25回俳人協会新人賞)、『手帖』、『朝晩』(第59回俳人協会賞)など

 

【記事修正】2022年1月11日午後9時43分 誤字脱字を修正しました。

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