キャンパスライフ

2016年1月17日

聖夜の空に揺れるパレスチナ国旗(後編)【パレスチナ留学記5】

イスラエル・パレスチナの間で揺れる宗教少数派のアイデンティティ

 イスラエル・パレスチナにはキリスト教諸派以外にも宗教マイノリティが多く存在する。

 例えばイスラエル北部に信徒が多いドルーズ派だ。イスラーム教シーア派からの分派の一つだが、クルアーンの否定など多くのムスリムからはイスラームとして認められていない。

 彼らもまた19世紀末にシオニストによるユダヤ人移民が始まる以前からのパレスチナの住民であり、アラビア語を話すのだが、アラビア語話者であるがゆえに、徴兵の際に西岸やガザ地区の前線などパレスチナ人と最も至近距離で対峙する場所に配置されることが多い。そのため西岸に暮らすパレスチナ・アラブからは裏切り者呼ばわりされることさえある。ちなみにドルーズ以外のイスラエルのアラブ系市民(48年パレスチナ人とも呼ばれる)は徴兵が免除されている[i]。このようなイスラエルとドルーズの特別な協力関係は「血の盟約」とも称されることがある。

 こうした両者の協力関係の背景には、一方でアラブ・ナショナリズムにおけるアラブ=イスラーム的なシンボルに対しての警戒感、他方でこうしたドルーズ側の警戒感を利用し、ドルーズ派をパレスチナ・アラブのナショナルアイデンティティーから分離しようとしたシオニスト側の意図などが指摘されている[ii]。

 すなわち、現在イスラエルに居住するドルーズ派の人々は、(アラブ民族主義的な意味での)アラブでもなく、またムスリムでもなく、そしてイスラエル≒ユダヤでもない独自のアイデンティティを持つコミュニティとして存在している。すなわち彼らドルーズは、イスラエルとパレスチナ(アラブ)の両者のナショナリズムのメインストリームから疎外されているとも言えよう。

 

ドルーズ
イスラエル北部ガリラヤ地方のカルメル山には多くのドルーズの集落があり、ゴラン高原やシリア、レバノンのドルーズ派よりも宗教的な住民が多いと言われている。ドルーズの宗教指導者の写真が掲げられたかまどにて。(筆者撮影)

 

 また筆者が暮らす西岸地区のナブルスにはサマリア人という少数コミュニティがある。古代イスラエル王国の時代からナブルスに居住し続けてきた宗教共同体で、古代イスラエル宗教の系譜に属するという意味ではユダヤ教の親戚だが、ユダヤ人、サマリア人はお互いを正統な信徒として認めていない。全世界で800人弱ほどしか信徒が残っておらず、ナブルスには400人ほどが居住しているのみだ。

 彼らもまたシオニストによる移民・入植活動以前からパレスチナに居住していたため、日常ではアラビア語を話す。現在もナブルスに居住し続けているため、西岸のパレスチナ社会とも比較的結びつきが強い。彼らは元々ナブルスの旧市街に住んでいたが、1987年の第一次インティファーダの勃発後、ナブルス郊外の山頂部に集団で移住した。

 この山頂部の集落にあるサマリア博物館の館長で、サマリアの祭司でもあるフセイニー・アル・カーハン氏の話によれば、この移住は第一次インティファーダの中で増加する暴力から400人ほどの少数コミュニティを守るための決断だったという。第一次インティファーダ中にサマリア人を標的とした暴力が実際に起こったわけではなかったが、数が少ないだけに万一の事態を想定しての苦渋の選択だったそうだ。

 現在彼らはイスラエル・パレスチナ・ヨルダンの3つのパスポートを所持している。すなわち、パレスチナ自治政府が管理する西岸地区A地区に居住しながらも、イスラエル政府の間接的な庇護をも受けている状態だといえよう。このことについて私が尋ねた時も館長は、「我々のコミュニティを守るためにはこれが最善の選択肢だ」と繰り返した。

 またイスラエル国籍を持つことから、サマリア人の中ではイスラエル側で働いている人間も多く、他のパレスチナ人と比べ経済的に豊かだ。「我々の暮らしは(第3次中東戦争が起こり、現在に至るまでのイスラエル軍によるパレスチナの占領支配が始まった)1967年以降良くなり続けている」とフセイニー氏は語る[iii]。イスラエルによる占領の様々な弊害に苦しむ普通の西岸のパレスチナ人にとっては、半ば信じられないような言葉だ。

 彼らサマリア人のコミュニティもまた、ドルーズ派の人々と同じように、両者のナショナリズムの主流の言説からは外れている存在と言える。

 

サマリア博物館長
ゲリズィム山に所在するサマリア博物館館長、兼祭司のアル・カーハン・フセイニー氏と筆者。背景の刺繍に書かれているのは古代ヘブライ語。

 

政治的主張の場としてのクリスマス

 さて当初のパレスチナ社会におけるキリスト教諸派のコミュニティの話に戻ろう。ムスリムの多いパレスチナでは、キリスト教の祝祭であるクリスマスは、欧米に比べ住民レベルでは盛り上がりに欠ける。しかし世界中のキリスト教徒にとってパレスチナはイエスが生まれ育った地であり、非常に重要な聖地でもある。ことにクリスマスになると世界各国から巡礼客が訪れ、世界各国のメディアからパレスチナへの関心が大きく高まる季節となるのだ。

 そうした世界中からの注目を集めるイベントだからこそ、クリスマスはパレスチナにとって政治的主張をする格好の機会ともなる。西岸各地でのキリスト教徒がクリスマスを祝うが、中でも最も規模が大きいのはイエスが生まれた地であるベツレヘムだ。クリスマスシーズンになると、ベツレヘムには世界中から多くの巡礼客、観光客が集まる。

 ベツレヘムで24日深夜に聖誕教会付近で行われるクリスマスのミサには、毎年パレスチナのマフムード・アッバース大統領自ら参列する。もちろんクリスマスのミサやそれに連なるバザーなどのイベントは第一義的には宗教上の祝祭だが、国家元首の参列に見られるように政治戦略的な側面も色濃い。

 筆者自身もクリスマスの雰囲気に包まれた町をひと目見ようと、12月24日にベツレヘムを訪れた。町の中心に設置されたクリスマスツリーのてっぺんには、パレスチナの国旗がはためいていた。ミサの前に行われたステージでのイベントでは”FREE PALESTINE”の標語が掲げられ、パレスチナの国歌斉唱に続いて、最近のイスラエルとの衝突で犠牲になったパレスチナ人を悼む時間が設けられていた。イエスを称える聖歌や聖書にちなんだ戯曲なども披露されていたが、政治に関わる内容も多いイベントだったように思う。

 

ナショナリズムとマイノリティの普遍的問題

 先にも述べたようにキリスト教諸派コミュニティは、先に挙げたドルーズ派やサマリア人と比べ、パレスチナ人としてのアイデンティティを持ち、政治的にもパレスチナと一体であると考えている人々が多い。その一方で、前編の冒頭に取り上げたカトリックの女性の二人組やナブルスのキリスト教徒の家庭のように、キリスト教徒としてのアイデンティティに固執するあまりに、ムスリムに対する不信を抱く人々もいないわけではない。

 それぞれのコミュニティに対する宗教的・社会的アイデンティティ、イスラエル人・パレスチナ人としての国家的・政治的アイデンティティ、これら二つの異なるアイデンティティの関係は複雑だ。

 こうしたマイノリティの揺れ動くアイデンティティは、「ユダヤ対イスラーム」、「イスラエル対アラブ」といった単純かつ本質論的な二項対立の図式だけでは収まりきらないイスラエル・パレスチナの側面をよく象徴しているように思える。それと同時に、彼らマイノリティの揺れ動く立場は、ナショナリズムそのものが宿命的に内包する排他性を、イスラエル・パレスチナ両者のナショナリズムにおいて指摘しているとも言えよう。

 こうした二つの「国家」の間を巡って、自らのアイデンティティに揺れる人々の存在を考えるとき、クリスマスツリーの上で揺れるパレスチナの国旗は示唆的に映るのだった。

 

パレスチナ国旗
ベツレヘム聖誕教会前のメンジャー広場にて。特大のクリスマスツリーの頂上を飾るのはパレスチナ国旗だ。(筆者撮影)

 

[i] ただし1967年にシリア領からイスラエル領に併合されたゴラン高原に居住するドルーズ派は、徴兵の対象外である。

[ii] 参考:Kassem, L. M. (2005). The Construction of Druze Ethnicity: Druze in Israel Between State Policy and Palestinian Arab Nationalism (Doctoral dissertation, University of Cincinnati).

[iii] サマリア人の集落にはタヒーネ(ごまのペーストで、東地中海地域に広くみられる伝統的な加工食品の一つ)を生産する会社および工場があり、西岸のパレスチナ人の比較的安価な労働力を利用しながら、イスラエル側に輸出している。こうした輸出産業も、西岸にイスラエルによる占領が存在してこそ商える産業といえる。

 

(文・田中雅人)


「イスラーム世界」との邂逅【連載パレスチナ留学記1】

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