文化

2025年11月17日

漫画×論評 TODAI COMINTARY 格好良くないヒーロー 藤子・F・不二雄 『中年スーパーマン左江内氏』

 

 

 2025年上半期にNHKの連続テレビ小説『あんぱん』が放送されたことから、『アンパンマン』が話題を集めている。主人公アンパンマンが他のヒーローと一線を画すのは、戦闘よりも困っている人の救済を第一にしていることにある。自分の体力の衰えを顧みず自分の顔をちぎって他者に分け与える行為には、改めて尊敬の意を表したい。

 

 そんなアンパンマンと比較してよいのか悩ましいが、今回は彼同様に自己犠牲を伴うヒーローをもう一人紹介したい。藤子・F・不二雄氏が生んだ漫画『中年スーパーマン左江内氏』の左江内(さえない)氏である。高度経済成長が終わりを迎えつつあった昭和40年代。左江内氏は中年で妻子持ちのサラリーマンとして日々を送っている。年齢の割には出世しておらず、周囲からもどこか「冴えない」人として見られている。

 

 そんな彼は、ある日謎の人物から、困っている人を助けるスーパーマンの後継者に任命される。ちょうどその時自分の娘が事件に遭いそうになっていたため、仕方なく引き受けることに。助けを求める声があれば仕事や休日の間を縫って、スーパースーツを身にまとい、空を飛んで駆け付ける。並外れた特殊能力でさまざまな事件を解決し、また会社や家に戻っていく。

 

 しかし、軽度の交通事故やひったくりなど小規模な事件が多く、怪人や悪役を倒す華やかなシーンは乏しい。しかも、スーパースーツから出る忘却光線のせいで、周囲から感謝されることは全くない。残業が増えたり、周囲へのごまかしが必要になったりと、何かと犠牲を払っている割には、報われることがほとんどないのだ。

 

 「出腹胴長短足」と称され、若いとは言えない左江内氏は、子どもたちが憧れるようなヒーローのように見栄えも良くない。加えて、彼は崇高な正義や理念を掲げて意欲的に活動しているわけでもない。彼には、不景気や出世競争の敗北による不透明な自身の将来、思うようにいかない思春期の子どもたちとの向き合い方に葛藤する日常がある。

 

 しかも、耳に届く誰かの助けを求める声は、仕事中・休日お構いなしに聞こえる。スーパーマンである以前にサラリーマン、父親であり、一人の平凡な人間に過ぎない彼は、スーパーマン業を半ば「やっつけ」のように済ませていることも多いのだ。気乗りしないときも多い。「勝手なときに自分のつごうで人を呼びつけて、いっぺんでもスーパーマンのつごうを考えたことがあるか!」と不満を爆発させる節も見られる。読みながら、「ヒーローと言ってよいのか?」と感じる人も多いのではないかとも思われる。

 

 しかし、私はあえて「彼こそ本当のヒーローである」と主張したい。不満を垂れながらも、彼は助けを求める声を決して無視せず、結局は助けてしまう。そして、金銭や賞賛などの見返りが絶対に生じないこのスーパーマン業を投げ出すことはしない。ただ相手が困っているから助ける。アンパンマンにはパン工場や街の人々からの協力、応援があり、それが彼にとって一種の励み、見返りになっているのかもしれない。しかし、それすらも持ち合わせない左江内氏は、ある意味では私たちがこれまで出会ってきたどんなヒーローよりも屈強で、利他的なヒーローと言えるのではないだろうか。

 

 彼のもう一つの魅力は、本当は彼の心の内に正義感が隠されていることである。先述のようにスーパーマン業にやる気のない態度をとることが多いのは確かだ。しかし、実際は自分の子どもたちの非行や部下の夜遊び、はたまた偶然居合わせただけの人の自殺未遂に対してもつい感情的に説得、説教をする場面が多々ある(自分の話に感極まって自分で涙を流す場面もある)。父として、上司として、一人の人間として相手と全力で向き合い、心配する姿勢が彼にしっかりとあるようだ。

 

 これには、左江内氏が若い青年ではなく、中年のサラリーマンであることと関係しているような気がする。人生の折り返しに迫る中で、彼は数々の人生の辛さを体験してきたのだろう。しかし同時に、ささやかな喜びも味わってきたはずだ。それらの豊富な人生経験が、人を助けたいという思いに説得力を与えている。

 

 昭和40年代にも前兆はあっただろうが、現代は「夢」「希望」などの言葉が嘘くさく聞こえるほど閉塞感漂う社会になってしまった。スーパーマンなどいるはずもなく、他人をただす、救うというような行為もためらう人が増えているかもしれない。限りなく平凡な私たちに近い一方で、こっそりと誰かを助け続ける左江内氏が、妙に現代人に刺さるのは気のせいだろうか。【加】

 

藤子・F・不二雄『中年スーパーマン左江内氏』小学館、税込713円

 

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