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2024年1月27日

留学生が語る東大生活②

 

 東大は、研究活動での多様性と国際性を重視し、世界中から留学生を受け入れている。日本を代表する大学として研究の質の高さは疑いの余地はないが、実際留学生はどのような生活を送っているのだろうか。この記事では、新型コロナウイルス感染症による隔離や行動制限の影響を含め、博士号取得候補者2人に東大での留学生活について聞いた。(取材・Naomi Hadisumarto)

 

短い人生 目的地にこだわり過ぎないで

 

──R.T.さん(アフリカ出身)

博士課程5年目。1年目は研究生としてスタートした。当初3年の予定だったが、2年延長された日々を振り返る。全ては18年4月に日本に到着した時に始まった。慣れない環境の中で、カラスの鳴き声が驚かせるように新たな現実を痛感させ、この文化的に豊かな国での学問の旅の始まりを告げたのだった。

 

国費留学 何度も挑戦して合格

 

──現在の研究室に入ったきっかけは何ですか

 

 14年に偶然、文部科学省の国費外国人留学生制度(MEXT Scholarship)を知ったことです。当時、この制度は私の周りではあまり知られていませんでした。フランス語が得意だったのでフランスを留学先として考えていましたが、この制度を利用して日本に留学することにしました。

 

 申請では書類提出、英語試験、合格者面接が行われます。14年は不合格、15年は締め切りに間に合わず、16年は面接で不合格、ついに 17年に合格しました。審査員たちは私を覚えていて、失敗しても再挑戦するべきだと励ましてくれました。最終的に奨学金を獲得するには、志望校から合格通知を受け取るなど、綿密な準備が必要でした。16年に私は何人もの教員に連絡を取り始め、そのうちの1人が東大の教員でした。17年に入学が決まったとき、私が博士課程を修了する前に教員が退職してしまうことが分かりました。大学のウェブサイトを再訪問して現在の教員を見つけ、私はバックグラウンドが異なることを懸念しながらも研究提案書を送りました。うれしいことに、彼は私を研究室に受け入れてくれました。

 

──なぜ東大を志望したのですか

 

 国費外国人留学生制度の申請には三つの大学を選択する必要がありましたが、私が東大を選んだ理由はたくさんあります。何よりもまず、活気に満ち、ダイナミックで文化的に豊かな大都市である東京が魅力的でした。

 

 17年にイタリアの奨学金にも応募しましたが、両方のプログラムに合格した場合日本を選択する決心をしていました。

 

 フランスに留学するという当初の夢を振り返って、今では日本に来る決断をして良かったと思っています。コンフォートゾーン(居心地の良い場所)から抜け出すことは私の学業・キャリアにおいて重要で、貴重な経験と個人的な成長をもたらしました。私にとって留学の動機は単に学問的なものではなく、多様な背景や文化を持つ人々とつながりたいという思いもありました。人間を愛し、異なる文化を憧れる私にとって、カルチャーショックを探し求め、それを受け入れることが個人的な情熱になっています。世界への理解を豊かにする視点を提供してくれるからです。

 

──日本で受けたカルチャーショックはどのようなものでしたか

 

 本郷キャンパスで午前8時半から始まる集中日本語コースでは毎日宿題とテストが課され、日本語漬けになりました。本当に驚いたのは通勤ラッシュです。狭いホームに整然とした列ができていたり、皆が黙って押し合いへし合いしたりするのを目の当たりにしたとき、激しいカルチャーショックを覚えました。通勤ラッシュでの暗黙のルールは時間がないという共通認識から必然的に生じていることに気付き、今では私もその一員になっています。また、アイスコーヒーの飲み方も一つの発見でした。母国では、氷を入れずにコーヒーを飲むのが一般的だったので、コンビニでコーヒーに氷を入れている人を見て少し驚きました。

 

 日本料理には旨みと甘味の独特の調和があり、私には醤油も甘く感じられます。たこ焼きからお好み焼きまであらゆる「粉もの」が好きになりましたし、日本に来るまで寿司を食べたことがなく、最初は抵抗があったのですが、食べてみて感動しました。日本での生活は、食べ物への先入観に挑戦し、多様な味を受け入れることを教えてくれました。

 

 一方、日本では同じ国籍の人を同じカテゴリーに入れる傾向があり、日本人に限定しているように見えるサービスが見られることもあります。さらに、必ずしもあいさつを返してもらえるとは限らないなど、社会規範の違いも私の期待を裏切るものでした。最初は驚きましたが、これらの違いは単なる文化の違いであり、それぞれが日本の生活の独自性に貢献していることが理解できるようになりました。

 

──ホームシックになったことはありますか

 

 日本に来て最初の週末、思いがけずホームシックに襲われました。母国では実家で毎週末を過ごすという習慣があったので、距離と8時間の時差がひどく大きく感じられ、孤独と格闘していました。しかし、翌週には日本が大好きになっていることに気付きました。

 

やり直せても日本に来る

 

──新型コロナウイルスのロックダウンはあなたにどのような影響を与えましたか

 

 博士課程2年目でロックダウンを経験しました。最初の2カ月間は大学が閉鎖され、通常の学業が中断されました。その最中、家族が新型コロナウイルスに感染したため、パスポートを常に持ち歩いて、いつでも帰国できるように備えていました。

 

 研究計画の調整も余儀なくされました。もともと研究のためにDNAのサンプルを採集するつもりだったのですが、制限されました。研究室への立ち入りは許可されましたが、長期滞在はできず、在宅勤務に適応する必要がありました。研究課題に対する予期せぬ混乱に対処する際に、柔軟性と回復力が非常に重要でした。

 

 新型コロナウイルスのロックダウン中の大学とのコミュニケーションは、限られていたものの、おおむねスムーズでした。DNAのサンプルを採集するという研究計画を修正する必要があったため、教員と相談して、当時関連論文が急増していた分野であるDNA解析に焦点を当てることにしました。教員は非常に協力的で、予期せぬ状況にもかかわらず、私の研究が確実に前進し続けるようにサポートしてくれました。

 

──もう一度やり直せるとしても、日本に留学したいと思いますか

 

 間違いなくこの日本での旅に再び乗り出すでしょう。18年4月以来、私が出会った人々は私の人生のかけがえのない一部になりました。私たちのつながりが1週間、1カ月、あるいは何年にもわたったとしても、それぞれの人が足跡を残し、深遠かつ繊細な方法で私に影響を与えてきました。

 

 私の人々に対する深い愛は、世界中の多様な視点への興味と相まって、原動力となっています。こうした交流を通じて、私は共通の価値観やユーモアのセンスに比べれば、国籍、宗教、人種は重要ではないと気付きました。人生は短過ぎて、その中にユーモアを見つけなかったり、有意義な貢献を残せなかったりすることはないと私は学びました。

 

 母国を出てみると、世界は私が想像していたよりもはるかに大きく、多様性に富んでいることに気付きました。特に日本は安全性が際立っています。女性として、私は一日中自由に歩き回れるという経験をしました。また、忘れ物や紛失に直面した場合でも、忍耐と礼儀正しさに代表される、卓越した顧客サービスも忘れられません。それらによって日本は私にとって特別な場所になりましたし、忍耐力や礼儀正しさへの感謝を強め、悪いマナーや失礼なマナーに対する嫌悪感を強めました。

 

──過去の自分へのアドバイスはありますか

 

 来日前、ハイキング中に受けたアドバイスが心に残っています。「頂上だけを見るのではなく、常に振り返りなさ い(Don’t focus on the summit, but always try to look back)」。この哲学は、目的地だけに固執するのではなく、旅を楽しむという私の人生のルールになっています。

 

 日本への留学が決まったとき、もし楽しめなくてもいつでも戻れると自分に言い聞かせました。また、英語は私の第一言語ではなく、なまりも相まって、特に最初に市役所を訪れた際にはとても苦労しました。しかし、この経験を味わい、前向きにハードルを乗り越えようと意識的に努めるようになりました。

 

 修了の延長期間の最初の2カ月間は、修了に集中し過ぎてこの知恵が頭から抜け落ちてしまい、私の人生の中で最も困難な時期でした。しかし、心から楽しんでいる現在のアルバイトを見つけ、私は旅のありがたみの本質に立ち返ることができました。延長期間がなければ、この機会に巡り合うことはなかったと思います。

 

 さらに、失敗を恐れないこと、必要なときに助けを求めること、時間が経つのは早いことを認識することです。エゴを捨てて、助けを求めることへの抵抗感を克服しましょう。人生はあっという間に過ぎ、気が付けば旅は終わってしまいます。目標を持つことは大切ですが、目的地にこだわり過ぎないようにしましょう。旅を楽しみ、経験を味わい、仲間に感謝しましょう。

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