学術

2019年9月10日

瀧本ゼミ生による瀧本哲史さん追悼文

 8月10日、京都大学准教授で自主ゼミナール「瀧本ゼミ」を主催していた瀧本哲史さんが47歳で死去した。死因は明らかにされていない。
 東大のOBで、投資家として活動の傍ら、政策分析と企業分析のゼミを主催、学生との交流を深めていた瀧本さん。亡くなって1カ月の9月10日、瀧本ゼミに所属する学生2人に追悼の意を寄せてもらった。

 

我らが師・瀧本哲史に寄せて

 

 瀧本哲史先生、謹んでご冥福をお祈り申し上げますと共に、生前の先生との思い出や学びを書かせていただき、追悼文とさせていただきます。

 

 ゼミに入会した昨年5月から先生が亡くなる今年8月まで、短い期間でしたが自分は先生からいろいろなことを得られたと思っています。特に代表として伴走した今年1月からの7カ月間は、企業分析のスキル以上にプロフェッショナルとしての「卓越への意識」を学び取ってきたのではないかと思います。この半年間で学んだことは、今後の人生においても何か「標準」のようなものとして自分の中に残り続けると感じています。

 

 瀧本先生は自分にも他人にも非常に厳しい方でした。瀧本ゼミには”Adhere Performance”つまり「成果にこだわる」「常に卓越を志す」という考え方が強くあります。自分も特に1回目の発表と新歓戦略会議では、それを一番体現する先生から厳しく詰められたことを覚えています。凄まじいスピードで咀嚼し、ロジックの穴を突いてくる。

 

 一方で、厳しく詰めるだけでなく「こうしたらいい」と案を示してくれる方でしたし、何より徹底した成果主義であるからこそ、成果に対しては誰よりも素直に喜んでくれる方でもありました。良い発表はその場で褒めてくれるだけでなく、誇らしげにさまざまなシーンで「昔、ゼミ生がしたリサーチで〇〇という会社が・・・」と語り継いでくれたりもします。

 

このスタンスは6月末に行った京都瀧本ゼミとの交流会の時まで変わりませんでしたから、ニュースに先んじて卒業生から訃報を聞いた時は、起きたことがにわかに信じられませんでした。しかし15日の午後にNHKの速報で訃報が届くと一気に現実のこととして突きつけられ、自然と涙が出てきて止まりませんでした。今まで何度詰められても堪えてきたものが、その時は堪えられなかった。まだ先生は47歳、ゼミは創設8年目、先生自身もゼミもこれからだったのに・・・自分は無念でなりませんでした。

 

ただ、いつまでも落ち込んでいるわけにはいきません。瀧本ゼミはこれからも半学半教の精神の元、創設者である瀧本哲史先生の志を学生たちで引き継ぎ、活動を続けていきます。そして自分自身もいつか、卓越したプロフェッショナルとして天国にいる先生に良い報告ができるよう“Do my homework”を続けていきます。

 

今までありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

東京大学文科二類 2年 余越優

 

 

 僕が瀧本先生と初めてお会いしたのは、大学1年生のときの瀧本ゼミ春新歓でした。イタリアンレストランの隣の席に、やけに早口で話す人が来たなと思ったら瀧本先生でした。ゼミ生の活躍を嬉しそうに語る先生が印象的で、こんなに頭の回転が早い先生と、この人と渡り合うほどの優秀なゼミ生がいるのかと、驚いたのを今でも覚えています。

 

 先生がゼミに実際にいらっしゃることは僕の代の入ゼミ後は稀でしたが、いらっしゃったときは的確なフィードバックをくださり、そんな視点・考え方があったのかといつも驚かされました。また発言のなかの情報量が誰よりも多く、頭をきちんと働かせてついていくのにいつも必死でした。一つ質問をすると、想定した返答の10倍くらいの情報を返してきて圧倒されたことも多々あります。でもそんな今までにない体験が楽しく、瀧本ゼミには大学在学中の時間を割きたい、と強く思えました。

 

 ゼミを続けた最初の動機は、実はこのように「先生からたくさんのものを吸収したい」という気持ちだったのですが、新歓戦略を練るとき先生が「権威に学びたい人はゼミで取りたい人ではないんですよ」と仰っていて、自分の浅さに気づかされました。今思うと僕は先生から直接アドバイスを受けたことは少なく、このように先生の発言から自分を振り返ることが多かったです。それでも自分にグサリときたことは一度や二度ではなく、先生にはお見通しなんだな……と勝手に反省していました。だから先生は気づいていないと思いますが、僕は先生の言葉に何度も凹んでいます笑。ただそれでも不思議と悪い気はせず、むしろその後のやる気や勇気をもらえるのでした。先生の振る舞いや言葉には、そんな力が宿っていたような気がしています。

 

 今回のことで、先生は本当にお忙しいなかゼミに時間を割いてくださっていたのだとようやく気づきました。亡くなる直前まで、遠隔でゼミに参加してほしいとしつこくお願いしていたことが恥ずかしく、申し訳ないです。微力ながら、これからもゼミを発展させていけるよう尽くしたいと思います。1年半という短い間でしたが、本当にお世話になりました。ご冥福をお祈りします。

 

東京大学文科二類 2年 藤田健司

 

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