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2017年9月6日

歴史を想って読む「ほん」②『松岡二十世とその時代 北海道、満洲、そしてシベリア』

 

「松岡二十世とその時代 北海道、満洲、そしてシベリア」

松岡 將 著

日本経済評論 2013年 5184円

ISBN978-4818822504

 

 自分は何者なのか、何をなすべきなのか。時代を超えて人を悩ませ続けるこの問いが、大正から昭和初期にかけて人々にどれほどの苦悶を強いたか想像することは、今日難しい。橋川文三はある著書で、近代人として明るい前途を描いていた若者たちが急速に変転する社会と国家の抑圧の下で自分を見失っていく姿を描いている。ある者を性的放縦へ、またある者を自殺へと導いたやり場のない衝動の受け皿となったのは、当時輝かしい魅力を放った社会主義の思想と運動であった。

 

 本書の主人公である松岡二十世(まつおか はたよ)もこのような知識人の一典型である。かつての登米伊達藩に仕えた名家に生まれ東大法学部に進んだ二十世は、にもかかわらず栄達の道は歩まず、学生運動を経て北海道の農民運動で頭角を現すが、それが一つの仇となって治安維持法に問われ、網走監獄で三年を過ごす羽目に陥った。しかしその才幹を惜しんだ知己の引き立てにより、釈放後は満洲で労働問題の専門家として活躍する。著者は二十世の長男であり、満洲での少年時代を最初で最後の一家団欒のひと時として記憶している。だが日本が敗戦を迎える中で家族は離ればなれとなり、二十世は抑留先のシベリアで帰らぬ人となるのであった。著者の描く二十世は、世のため人のために尽くし、周囲に力量を認められながら、国家に行く手を阻まれ、自分の存在意義を問い続けている。その姿は、先の見えない現代社会で呻吟する我々にとっても他人事とは思えない。

 

 著者は、自身の記憶に残る民話「父親回来了(フーチンホェライラ)(父が帰ってきた)」を本書のテーマにしている。元は小林多喜二の『轉形期の人々』に父らしき人物「松山幡也(まつおかはたや)」が登場しているのを知ったことから始まった「父親探し」であった。しかし900ページ近くに及ぶ中身において身内の回想は極力排され、本人の著作、周辺人物の著作や回想、果ては特高警察や旧ソ連収容所の記録など、あらゆる資料に登場する二十世が縦横につなぎ合わさることで、個人としての、人間関係の中の、組織の中の、歴史的事件の中の、二十世の様々な相貌が客観的かつ立体的に描写されている。またそのことによって、ある時代相、すなわち国家の抑圧が人々を取り巻いていた戦前という時代を私たちに伝えてくれている。

 

 人は、その人を知る人がいなくなった時に本当の死を迎えると言う。既に傘寿を越えた著者が身罷れば生身の二十世を知る人はいなくなる。しかし本書により、人々の記憶の中で二十世はまた新たな命を与えられるであろう。そして恐らく、この仕事を成し遂げた著者自身についても。

 

※この記事は「ほん」399・400合併号からの転載です。「ほん」は東大生協が発行する書評誌で、さまざまな分野を研究する東大大学院生たちが編集委員会として執筆・編集を行っています。年5回発行、東大書籍部等で無料配布中。

 

【歴史を想って読む「ほん」】

①『寺山修司論―バロックの大世界劇場』

③『王道楽土・満洲国の「罪と罰」 帝国の凋落と崩壊のさなかに』

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