インタビュー

2020年12月24日

【100周年特別企画】「東大新聞が与えてくれたもの」ひらりささん

 100年の歴史を持つ東大新聞は、これまで多様な卒業生・修了生を世に送り出してきた。社会に出た今、東大新聞での活動をどのように振り返るのだろうか。また、今後の東大新聞のあるべき方向性について、どのように考えるのか。オタクや女性などさまざまなテーマで執筆を続けてきたひらりささんに話を聞いた。

(取材・鈴木茉衣)

 

ひらりささん 12年東大法学部卒。会社員・兼業ライター・執筆ユニット「劇団雌猫」メンバー。オタクや女性にまつわるさまざまなテーマについて執筆。

 

伝えるべき内容を届くべき人に

 

  東大新聞に入った理由は

 

 高校生の頃に通っていた塾の壁に東大新聞がよく貼ってあり興味を持っていました。元から文章を書くことが好きで、社会について知ることにも興味があったので、入学後に新歓に参加しました。みんな自分自身がやりたいことを持っていて、そのために集まっているような雰囲気に魅力を感じて入部を決めました。実際、部員の卒業後の進路も多様だと感じます。

 

  東大新聞の活動で特に思い出深かったことや、お気に入りの記事はありますか

 

 取材や寄稿を通して多くの出会いがありました。「青春の一冊」という教員の学生時代の思い出の本についての寄稿連載で、沼野充義先生(現・東大名誉教授)にご自身が『ソラリス』という題名で訳した『ソラリスの陽のもとに』について書いていただいたのは貴重な体験でした。もっとも、それがいかにすごいことなのかは当時はあまり理解できていませんでしたが……。

 

 フレッシュブック(東京大学新聞社が出版する入学記念アルバム)のインタビューでは、東大出身ではないですがどうしても話を聞きたくて森見登美彦さんに取材したこともあります。穂村弘さんに取材した際は、喫茶店でお会いしたのですが、先方がグァバスムージーを注文していたことのインパクトが大きく、今でも覚えています。好きな作家の方などに思い切って取材の依頼をすると、案外受けてもらえることが多かったですね。

 

  逆に、東大新聞の活動で苦労したことなどはありましたか

 

 人が少なく純粋に忙しかったことの他には、取材の中で社会常識を身に付ける必要があったことですね。取材に遅刻してしまったり、振る舞いが失礼だったり、校正のミスをしてしまったり。でもそういったことを指摘してくれる社会人がいたからこそ得られたものが多かったのだと思いますし、社会に出てから苦労せずに済んだ面があります。

 

  東大新聞での経験は現在のライターとしての仕事にどのように生きていると思いますか

 

 入学時は弁護士になろうと思っていたので、現在マスコミにいること自体に東大新聞の影響がある気がします。

 

 一方で、当時と今で違うことも多くあります。東大新聞での取材先は基本的に東大関係者だったので、取材の際にも記事の執筆でも相手や読者と共通の文脈のようなものを前提として共有できていたんですね。ですが、現在の仕事では取材先も読者ももっと幅広い層なので、誰が読んでも分かるような言葉選びや文章の書き方については社会に出てから学んだ面が大きいです。書く内容や文章に出てくる言葉に関する説明なども、読者ターゲットが広がれば広がるほど、書き手が知っていて当然だと思って書いてもそうではないことが増える、と卒業してから分かりました。

 

  では、現在から振り返ってみて当時の活動に関する後悔や反省のようなものもあるのでしょうか

 

 もっと取材前の下調べに時間を使うべきだったなと思っています。現在兼業ライターとして活動する中でも、過去や他の報道との差別化を図るためにも、意味のあるものを書くためにも、事前に勉強することがとても大切だと感じています。

 

  最後に、今後の東大新聞にどうあってほしいと思いますか

 

 世間の東大への注目度はとても高いですが、そういったステレオタイプだけではない東大の実態を伝えてほしいと思います。東大内部の問題について世間でもっと議論されるべきだと感じますし、そのことに興味を持っている人にも届くべきだと思います。今回、オンライン化や「キャンパスガール・ガイ」という連載の名前が「キャンパスのひと」に変わったことを知りました。そういった時代に合わせた変化ができると良いですよね。あとはみんなが無理なく活動し、やりたい企画を余裕を持ってやれるのが一番ですね。

 

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