インタビュー

2021年3月18日

東大建築→大工→結婚→東大理Ⅲ !? 栗林熙樹さんが語る柔軟な生き方とは(前編)

 昨今、固定観念にとらわれない多様で柔軟な生き方が注目を集めています。そのような生き方を選んだ人たちは人生において何を重んじ、どう向き合っているのでしょうか。

 

 今回インタビューした栗林熙樹ひろきさん(理Ⅲ・2年)は、理科I類入学後工学部への進学を前に1年間休学し、卒業後は建築会社に大工として就職・結婚しました。しかしその後、一念発起して大工を辞め東大理科Ⅲ類を再受験し見事合格。現在は2度目の学生生活と子育てに励んでいます。

 

 さまざまな経験をしてきた栗林さんに学問や仕事、家庭など対する考え方について話を聞き、人生設計のヒントを探ります。

(取材・杉田英輝)

 

1度目の東大生活:やりたいこと決まらず 自由に経験積む

 

  東大を目指した理由やきっかけは何ですか

 

 当時はまだやりたいことがはっきり定まっておらず、また灘高校に通っていたこともあり、周囲の多くが東大を目指すという環境の中で自分も自然と東大に行きたいと思うようになっていました。進学選択があり、入学後に自分のやりたいことを考えられたり、進路の幅が広かったりする点も魅力でしたね。理科Ⅰ類にしたのは、昔からものを作るのが好きで漠然と建築に興味を持っていて、工学部に入るとしたら一番良いかなと思ったからです。

 

  前期課程での生活の様子はどうでしたか

 

 恥ずかしいくらい不真面目でしたね……(笑)。体操部での活動が生活のほとんどで、授業にあまり出席せず勉強もテスト前に少しする程度でした。

 

  体操部に入ったきっかけや思い出は何ですか

 

大会後の集合写真(写真は栗林さん提供、一部加工しています)

 

 昔から体が細かったため、個人でできるスポーツとして体操などに興味があったのですが、中高時代はなかなかチャレンジする機会がありませんでした。その後大学に入ってようやく始めた時には、自分に合ったスポーツに出会えた感じがしました。高校時代はラグビーをやっていましたが、なかなか体重が増えない体質だったため自分には向いてなく「この先は続けられないな」と思い、大学に入ったら何か新しいスポーツを始めたいと思っていたこともあります。

 

体操部での練習風景(写真は栗林さん提供)

 

 平日毎日に加え土曜日も半日練習があるなど、ラグビーやアメフトほどではありませんでしたがハードでしたね。でも本当に楽しかったです。一番好きだった種目は鉄棒で、2回宙返りという降り技を自分の軸として大事にしていました。部活が1度目の学生生活で一番楽しかった思い出ですね。

 

  部活以外で印象に残っていることはありますか

 

 塾講師やビアガーデン、クラブなどでアルバイトをして、地元では体験できないようないろいろな世界を見ることができました。特にクラブのアルバイトでは路上での宣伝など自分の言葉や動きによってお客さんを増やすことができ、それが店の利益に直接つながっていると考えると「仕事ってこういう感じなんだな」と実感でき、うれしかったですね。ビアガーデンや居酒屋のバイトでは、自分が東大生だと言うと「すごいね」と言われ、自分が普段生活する世界は狭くて特殊なんだということを実感しました。

 

1年間の休学:バックパックで世界一周 「自由」の意味を知る

 

  後期課程進学前に休学していたそうですが、その期間で何をしていましたか

 

インド・ゴルコンダフォートにて(写真は栗林さん提供)

 

 2年の終わりから1年間休学をし、海外でバックパックをしていました。基本的に西へ西へと進んでいましたね。まず船で中国に渡りインドなどアジアを周り、少し中東を見た後、ヨーロッパ、南米、北米と移動し、帰ってきました。

 

  バックパックをしようと思ったきっかけは何ですか

 

 恥ずかしいですが、一言で言うと「自分探し」ですね。ちょうど大学1年の3月に東日本大震災があり、その時に「自分もいつ死ぬか分からないな」みたいな気持ちになったんですよね。当時の東京は停電が起きるなど、今のコロナ禍のように雰囲気が緊迫しており「やりたいことは早めにやんなきゃだめだな」と思うようになりました。また、部活で長期休みの期間中もまとまった自由な時間を取ることができなかったこともあり、ここで思い切って1年休学し、今まで経験のなかった海外旅行をしてみようと決断しました。

 

  バックパック中の思い出はありますか

 

ボリビア・ウユニ塩湖でバク転する栗林さん(写真は栗林さん提供)

 

 現地の日本人の方と会ったことです。カンボジアに行った時は、現地のNPOで働いていらっしゃる方と会いました。そういう志を持って活動されている方はテレビではよく見ていましたが、いざ自分の目の前にしてみると「こういう人って本当にいるんだな」と衝撃を受けました。

 

 あとバックパックなので、とても自由なんですよ。明日どこ行くのか、それともどこへも行かないのかも自分次第という生活でした。高校生までは学校があり、大学も授業や部活などがあるなど、外部要因によって生活が決められていましたが、そこでは自分で全てを決めなければならず、しんどかったですね。誰にも気に掛けてもらえず、自由とはこういうことなんだと気付きました。一方で、自由なのは別に海外での生活に限ったことではなく、日本にいても、大学への進学や部活など全部自分が選択したことであり、自由であることの恐ろしさを感じました。

 

  もう一度行きたい、あるいはもう行きたくない国・地域はありますか

 

 もう一度行きたいのは、中国のチベット自治区ですね。標高3000m付近にあるので、空気が薄く、空の色が日本と違って深い青色なんですよ。高い木もなく草がまばらに生えている中で豪華な色合いの大きな寺院がパッと現れ、まるで異世界にいるような光景でした。一方で、中国軍の重厚な戦車が道端にあり、旅行者も当局に全てチェックされ移動も不自由でした。そういった、荘厳な天国のような雰囲気と現実世界の縛りの差が印象的でしたね。ニュースで見ても遠い世界の知らない人の話なのですが、自分が実際に行ったことのある場所に住む人々が苦しみ抑圧されていると思うと、印象が変わりますね。逆に一回こういう経験をすると、自分の知らない地域に暮らす人やそこでのできごとに対しても想像力を働かせ、現実感を持って考えられるようになりました。

 

 他に印象的なできごとがあった国としては、リトアニアがあります。街中のカフェで男の人に「良かったら街案内するよ」と声を掛けられて、明らかに怪しいと思い警戒しつつ、ずっと海外にいて少し飽きていたこともあり、何か面白いことがあるかもしれないと思い誘いに乗りました(笑)。すごく怖かったので、パスポートは宿に置いて必要な分の現金だけ持ってついていくと、案内されるうちにその人が電話で友だちを呼び出し、すごく大柄な男の人がやって来ました。最終的には人気のない道に連れていかれ、催涙スプレーを掛けられ、鞄を取られてしまいましたね。催涙スプレーは、とてもつらいです(笑)。その後大通りに戻り、停まっていた車の運転手に警察と救急車を呼んでもらい、病院に搬送されることに。催涙スプレーを英語で何て言うのか分からなかったのですが、何とか事情を説明して目薬を打ってもらいました。その一件は自業自得でしたが、何事も人の言うままに行動するとその人の都合の良いように乗せられてしまうので、自分で積極的に判断・行動しないといけないですね。

 

  後期課程での生活の様子はどうでしたか

 

建築学科の卒業制作のポスターセッションにて(写真は栗林さん提供)

 

 後期課程は工学部建築学科に進学しました。昔から折り紙や工作が好きで、ものとして残ることに愛着を抱いていたことに加え、当時建築学科は人気も進学選択の点数も今ほど高くなかったことが大きいですね。当時は特にやりたいことが定まっていなかったので、だったら元々考えていた建築学科が良いかなとも思っていました。進学後も部活とバイトが中心で授業にはあまり行かず、生活はあまり変わりませんでしたね…(笑)。卒業論文執筆の際にようやくちゃんと研究の初歩に触れたという感じです。古くなったコンクリートにさまざまな薬剤を塗り、修復の度合いを比較する研究をしていたのですが、毎日研究室で測定や記録、計算などをする中で、研究ってこうやって地道にやっていくんだなと実感しました。

 

卒業式にて(写真は栗林さん提供)

 

次回は、大工として働いていた社会人時代と再受験の話題に。栗林さんの仕事に対する考え方と、多忙な社会人生活の中で芽生えた学問への情熱をひもときます。お楽しみに!

 

東大建築→大工→結婚→東大理Ⅲ !? 栗林熙樹さんが語る柔軟な生き方とは(中編)

東大建築→大工→結婚→東大理Ⅲ !? 栗林熙樹さんが語る柔軟な生き方とは(後編)

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