インタビュー

2019年2月12日

学生に戻るという進み方 就職後の大学院進学

 学部生にとって、就職して実社会に飛び出すのか大学院に進学するのかは重大な選択だ。しかし、教育を受けてから就職してそのまま定年まで働くだけが人生ではない。一度は民間企業に就職したが後に東大の大学院に入学した2人の学生に取材し、どのようにして進路を決めていったのかを聞いた。

(取材・上田朔 撮影・小田泰成)

 

科学と社会をつなぐ

 

五十嵐 美樹さん(学際情報学府・修士1年)
 株式会社東芝、エルピクセル株式会社を経て、2018年現課程に入学。女子を対象に理科教育などを実践する個人・団体を表彰する日産財団「第1回リカジョ賞」準グランプリ。

 

 五十嵐美樹さんの一貫した目標は「科学と社会をつなぐ」こと。きっかけは中学校で行われた虹を作る実験だった。「科学が意外と身近なところにあることに感動しました」。上智大学では物理から機械工学まで幅広く学ぶ理工学部機能創造理工学科に入学。ものづくりを通じて科学技術を社会に役立てることに魅力を感じ、学部卒業後は(株)東芝に就職。エンジニアとして交通管制システムを管理した。

 

 この頃から五十嵐さんは小学生向けの科学実験教室を始める。「科学に触れる機会のない子供に科学の面白さを伝えることで、今までの学びを社会に還元しようと思いました」。しかし、科学実験教室を全国で続けるうちに「技術の知識はあっても、全国の科学館と交渉して実験教室を企画するためのビジネスの知識がない」ことに気付いた。

 

 入社した当初は「この会社で一生働く」つもりだった五十嵐さん。しかし、周りを見てみると「その時々の自分の興味に応じてキャリアは自由に変えていい」という人が多かったという。五十嵐さんはビジネスを学ぶため東大発ベンチャー企業エルピクセル(株)の経営企画部に転職した。「やりたいことは常に変わり続けるものだから、特定の職業に自分を縛らないようにしています」

 

 転職後も週末の実験教室は続き、活動が広がるにつれて実験教室と仕事の両立は難しくなっていった。エルピクセルに愛着が強く、退社前には大いに悩んだが「最後は自分の直感を信じて決断しました」と五十嵐さん。「頭で考えるよりも、直感で決めた方が後悔がない」と話す。

 

 独立後、科学を一般の人々に伝えるための方法論などを研究する「科学コミュニケーション」という学問領域に出会った。「自分の活動がまさに科学コミュニケーションだと気付いた時、実践だけでなく学術的にも学びたいと思いました」。現在五十嵐さんは実験教室の運営の傍ら学際情報学府の修士課程に在籍し、科学コミュニケーションを専攻している。

 

 科学コミュニケーションの研究は実験教室の企画にも変化をもたらした。「大学院に入るまでは実験教室を開いても、相手に科学の面白さが伝わったかどうか考えられていなかった」と振り返る五十嵐さん。「科学的な正しさに気を配りながらも、聞き手の関心をいかに引きつけるかを意識するようになりました」

 

 一方でビジネスの考え方が学術の世界では通用しないことに驚いたと話す。「学術では一歩一歩検証を積み重ねることが重視され、ビジネスのように目的に向かって一直線には進んでいかないことに最初はもどかしさを感じました」。学業と科学実験教室の企画実施を両立することも並大抵の苦労ではない。しかし「全て自分のやりたいことなので、今はとても幸せです」と語った。

 

 

自分の価値観明確に

 

辻 和洋さん(立教大学大学院経営学研究科博士課程1年)
 読売新聞社、産業能率大学総合研究所を経て学際情報学府修士課程に入学、2018年より現課程。オンラインメディア「スタディ通信」編集長、武蔵野大学グローバル学部非常勤講師も務める。

 

 辻和洋さんは読売新聞社に就職するも退職後、再び東大の修士課程に入学した異色の経歴の持ち主。現在は立教大学で博士課程に在籍する傍ら、ウェブメディア「スタディ通信」の編集長などを務める。

 

 学部卒業時から「物事を探究したい」気持ちが強く大学院進学を検討したが経済的事情がこれを阻んだ。「親にこれ以上迷惑をかけながら進学するのか」悩んだという。結局「いろいろな人に話を聞きながら社会の事実を探求する新聞記者の仕事は研究者に近い」と考え、新聞社に就職した。

 

 入社後は事件・事故、教育問題からスポーツ、経済、選挙まで幅広い記事を執筆。しかし、編集業務は多忙を極め「一つのことを深く掘り下げるような記事をあまり書けなかった」とこぼす。同時に、職場の人材育成法への問題意識も生じていた。「新聞社の職場では『できるやつは勝手に伸びる』という雰囲気があり、人材を育成する体系的な仕組みが導入されていませんでした」。辻さんは新聞社を退社し「迷ったらGo」の精神で、組織マネジメント・人材育成の歴史ある研究機関である産業能率大学総合研究所の職員に転職。「どうにかあの現場を救いたい」という実体験に基づく問題意識は辻さんの研究の原動力となった。

 

 産業能率大学総合研究所では経営学の知見を用いて企画立案された教材が、教育工学に基づいて編集される。「記者の経験のおかげで書く力はあっても、それ以外の専門性が自分にはない」と痛感した辻さんは東大大学院に進学。当時情報学環に所属していた中原淳教授(立教大学)の下で組織の人材育成に関する研究を始めた。

 

 職場の勤務時間は融通が利いたが、仕事と研究の両立は容易でない。仕事の優先順位を明確にし、外部から連絡が入りにくい朝の時間を活用して時間を捻出した。さらに、ビジネスと学術の考え方の違いにも戸惑ったという。最短の時間で成果を出すことが求められるビジネスと異なり、大学では「さまざまな研究者から批判を浴び、蛇行しながら時間をかけて洗練させていく」という考え方に頭を切り替える必要があった。

 

 一方、社会人の経験は決して無駄にはなっていない。「記者として多くの人に取材したことで、研究対象者に対する物おじがなくなったことは研究をする上で役立った」。さらに「締め切りまでに必ず成果を出すという、やり切る力が培われた」と辻さんは語る。

 

 現在の研究室は「研究について本気で話し、助け合える仲間のいる日本一の研究室」と満足度が高い。進路を決める上で重要なのは「自分の価値観」を明確化することだと話す。「現代は価値観が多様化した時代。企業で働き続けることに幸せを感じる人もいれば、私のように何かを探究することに幸せを感じる人もいる。自分の幸せの定義を決めることが大切」と語った。

 

2019年2月13日9:30【記事訂正】五十嵐さんの所属が「学際情報学部」となっていましたが、正しくは「学際情報学府」です。お詫びして訂正いたします。


この記事は、2019年2月5日号に掲載した記事の転載です。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。

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