サッチャーこの名前を聞いて何を想起するだろうか。昨年10月に刊行された『サッチャー 「鉄の女」の実像』(中公新書)はサッチャーの一生を描き、その中で「信念の政治家」として描かれがちなサッチャーは実は非常に柔軟で、世論への嗅覚が鋭く、ときには自らの信念との矛盾を受け入れることもあったという実像が明らかになる。2020年の英国のEU離脱に見られるような近年の英国政治の動向はサッチャーの存在なしには語れない。また、本書が発刊された25年はサッチャー生誕100年にあたる節目の年でもある。加えて、日本では史上初の女性首相に就任した高市早苗首相がサッチャーを尊敬する政治家として言及したこともあり、サッチャーはあらためて注目を集めている。そこで本書の著者である池本大輔教授(明治学院大学)に本書について話を聞いた。(取材・峯﨑皓大)
英国とEU関係の分岐点としてのサッチャー
━━英国・EU関係を専門にしていますが、専門について詳しく教えてください
専門は通貨統合です。もともと英国政治を専門にしていました。大学院に進学したのが98年ですが、ちょうどその頃、日本において政治改革、とりわけ政権交代可能な政治制度を作ろうと議論されていました。そのときに英国が一つのモデルとされていたので英国に興味を持ちました。しかしながら、英国政治と日本政治は大きく異なるため、二つを比較するのは難しいと思うようになりました。一方で英国政治を研究するにつれて、英国がEUとどう向き合い、EUの一員であることで英国がどう変化したのかといった、英国とEUの関係に関心を寄せるようになりました。
通貨統合に興味を持つようになったきっかけは、当時のユーロを作ろうという流れでした。国際政治ではなく民主政治の視点から見たときに、通貨の発行という主権国家の重要な権能を超国家的な機関(EU)に委ねるという大きな政治の変化に民主政治がどうなるのか、ということに関心を持つようになりました。今思うと、グローバル化や地域統合が進む中で、民主政治がどのように対応していくのかに興味があったのだと思います。その中の一つの例として通貨統合に着目しました。通貨に関する研究を行おうとすると、どうしても経済学のテクニカルな知識が必要になるので、通貨統合について経済学の視点からの研究は多くありましたが、政治学の視点か らの研究は当時あまり多く存在しませんでした。政治学の視点から通貨統合の研究があっても良いだろうという考えで通貨統合の研究を進めました。
━━今回、サッチャーの評伝を書こうとしたきっかけは何でしょうか
2013年にキャメロン首相(保守党)が、15年に行われる総選挙で与党が勝利したらEU離脱に関する国民投票を行うことを表明しました。保守党のヒース政権の時に英国はEC(EUの前身、ヨーロッパ共同体)加盟を果たし、保守党はもともとは親EUの政党でした。その親EUの政党が変わり始めるきっかけ、また、英国のEUに対する姿勢が変わり始めるきっかけだったのがサッチャーです。サッチャーは欧州統合と距離を置く一方で、米国との関係を重視していました。また、多くの人はサッチャーの辞任の理由は人頭税の導入だと誤解していますが、実際はそうではなく、冷戦が終結に向かう中でドイツ統一や欧州統合の進展に強く反対し、国際的にも国内的にも孤立したことが原因でした。このような面からみても、英国とEUとの関係について分岐点とも言えるサッチャーについて研究することには意味があるだろうと思い、評伝を書くことにしました。

欧州統合をめぐるサッチャーと欧州諸国首脳の対立
━━本書の中でも触れられていたように、サッチャーは欧州統合を推進して国境線を開放すると移民が押し寄せ、社会不安が発生することや、東西ドイツが統合することで欧州のパワーバランスが崩れることを懸念していました
前者に関しては先見の明があったといって良いと思います。サッチャーは一般的な中流家庭に生まれ、庶民的な暮らしをしていました。その後、会社経営者の男性と結婚し、結婚後は比較的裕福な暮らしをしていました。しかしながら、社会階層を上昇してもなお、庶民的な感覚は持ち続けた人でした。ある政策に対して、どのように一般の人は反応するのか、ということに常に敏感で鋭い政治的嗅覚を持ち続けたことが、政治家としての成功の秘訣(ひけつ)でした。
一方で、サッチャーはEUの中からその制度を変えていくという手法を取るのではなく、通貨統合に関わらず、外から批判し続けたので、他国の指導者はサッチャーの意見にだんだんと耳を傾けなくなりました。
━━「信念の政治家」というイメージとは裏腹に、サッチャーは自らの目標を実現するためさまざまな手段を駆使した老練な政治家であったというのが、本書のメッセージだと思います。そうだとすると、ドロール報告書(1989年、欧州委員会委員長ジャックドロールによってまとめられ、了承された、通貨統合を最終的に目指す具体的なスケジュールに関する報告書)に強硬に反対し続けたのはなぜなのでしょうか
欧州統合は第二次世界大戦の惨禍を鑑みて、戦後、民主的で平和なヨーロッパを作るために主権を超国家機関に一定程度委ねようという考えのもとで進められました。しかし、英国は他の欧州諸国と異なり、民主的な体制が揺らいだという経験やナチスドイツに占領されたという経験をしていません。そのため、平和で民主的なヨーロッパを作るという目的には賛同するものの、主権を超国家機関に委ねることへの反対が根強く、もともと欧州統合に対して距離を置いていました。それに加えて、英国の国際社会に対する見方の特徴として、主権国家体制は各国の国民がその国のことについて決める自由と、一定程度の国際秩序とを両立できる優れた仕組みだという考えがあります。そのため、通貨発行権という国家の基本的権能を超国家機関に委ねることには反対が強いのです。
もう一つにはサッチャーがドイツ嫌いであったということがあります。通貨統合の一つの目的として、西ドイツと東ドイツが統一したあと、統一ドイツを欧州統合に結びつけておくことがありました。しかし、サッチャーは通貨統合はドイツに対する歯止めではなくむしろ通貨統合によってヨーロッパがドイツに支配されてしまうと考えていました。
━━サッチャーがドイツ嫌いな理由には何があるのでしょうか
サッチャーがなぜドイツ嫌いなのか、なぜドイツ統一に反対し続けたのか、その理由はよく分からないところがあります。一つ考えられるのは、サッチャーが生まれ育ったグランサムという町には軍需工場があったため、ナチスドイツから激しい空爆の被害に遭ったということです。空爆の経験をブッシュ大統領によく話したと伝えられています。それ以外にドイツ嫌いになるきっかけを説明するのはなかなか難しく、よく分からないところが多いです。
ただサッチャーの言動からは、大陸ヨーロッパの国々は英国にいつも迷惑をかけている、という思いがあるように見受けられます。第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも、英国は欧州大陸での問題解決のために引っ張り出されて、大きな損害を被った、と捉えており、欧州諸国に対しては上から目線なところがあるとも言えます。
━━サッチャーの経験を踏まえれば、多くの欧州諸国がドイツに対する嫌悪感や警戒感を持っていると予想されます
ドイツに対する警戒感はありました。しかしながら、フランスは戦後、独仏和解を果たし、ドイツと協力して平和な欧州を築くことが国の基本方針とされました。そのため、政治的な主流派からはドイツに対する警戒論はほとんど出てこなくなりました。他の多くの欧州諸国でも欧州統合を国の基本方針としていく中でドイツに対する警戒心が和らいできましたが、英国に関しては欧州統合を外交の基本方針に据えず、米国との関係の維持を最重要視してきたので、欧州統合に対する批判的な発言は他の欧州諸国に比べて英国ではしやすいです。そのため英国ではドイツに対する警戒心が政治的な場でも表面化しやすかったのではないかと考えています。
2000年代に国連改革が国際的なアジェンダになった際には、日本やドイツ、ブラジルやインドを新たに常任理事国に加えようという議論がされていました。日本、ブラジル、インドの常任理事国入りにはそれぞれ中国・韓国、アルゼンチン、パキスタンが反対していましたが、ドイツの常任理事国入りには英国やフランスが公に支持を表明しており、これはヨーロッパ統合の一つの成果だろうと考えます。このことからも分かるようにドイツに対する警戒心は和らいできてはいます。
━━現在の中欧・東欧諸国を見ると、EUによる経済的な恩恵は受けながら、環境規制や性的マイノリティーの権利保護というEUの政治的なアジェンダに強く反対している国があります。このように経済的なものと政治的なものを分けて捉えることはできなかったのでしょうか
通貨統合というレベルになると政治的な要素と経済的な要素を完全に切り分けることは難しいと思います。政府による経済運営は財政政策と金融政策の二本柱で成り立っています。現在のEUの仕組みは財政政策に関する縛りはそこまで大きくなく、EUの予算の規模もそこまで大きくありません。近年、財政均衡が要請されるようになりましたが、それを踏まえても各国がある程度の自由をもって財政政策を行えるようになっています。しかし、単一通貨の実現には欧州中央銀行を設置し、金融政策を集権化する必要があるので、通貨統合は政治的な要素と経済的な要素が深く絡み合った問題になります。
EUが実現したものに、関税同盟があります。関税同盟は対外的な関税を一本化することを各国に求めるものです。そのため、関税同盟が議論されていた頃には、これは単なるFTA(自由貿易地域)ではなく、政治的な一体性を求められるものだという反対論が英国ではありました。
欧州統合は主として経済面で進展したとはいえ、元来の目的は民主的で平和な欧州を作ることです。そのため、EUの政策が単に経済的なものであるように見えても、多くの場合には政治的な含意があります。例えば、EU域内での人の自由移動は経済活動の自由を担保するものですが、少なからぬ反対がありました。もしこれが純粋に経済的な目的ならば、制限付きで人の自由移動を認めるような制度設計にしても良いはずですが、EUが人の自由移動に関して妥協することは困難です。なぜなら近代のリベラルデモクラシーにおいて移動の自由は国家の基本原則であり、EUも1つの政治体を構築しようとする以上、その原則を曲げることは出来ないからです。サッチャーは純粋に経済的な便益のために欧州統合を推進するのは良いという立場でしたが、EUの場合は経済を手段として最終的な目標には政治統合があるので、それに対しては警戒心をもっていました。
━━サッチャーが外交的に孤立した背景には欧州統合、ドイツ統一に対する欧州首脳との意見の相違がありますが、サッチャーと非常に良い関係を築いたレーガンの退任という要因も大きな影響を及ぼしたように考えます
サッチャーとレーガンの関係は非常に特殊で、保守で新自由主義者という点では共通する指導者ですが、よく見ると立場が異なる点もありました。例えば、サッチャーは抑止力としての核兵器の保持を支持していましたが、レーガンは核兵器の廃絶を目指していたというように、核兵器に関する考え方は根本的に異なっていました。しかしながらその意見の相違を見せないように緊密な関係を演出していました。
レーガン退場というファクターはサッチャーの孤立を説明する上で大きいと思います。しかしながら、レーガンという個人的な要因のみでは説明しきれない部分もあります。サッチャーとレーガンの時代は、東西両陣営が異なるイデオロギーを奉じることを前提としつつ、軍備管理や平和共存を進めていく現状維持、デタントの時代でした。その段階においては、戦後国力が低下した英国でも、第二次世界大戦の戦勝国として、一定の影響力を行使することが可能でした。しかし、東西対立が克服されドイツの統一が実現する、つまり新しい国際秩序を作る段階に入っていくにつれ、戦後直後ではなく、80年代当時のパワーバランスが反映されるようになるため、ドイツの影響力が相対的に大きくなります。そのため米国としても、英国だけではなく、ドイツの意見も尊重する必要が出てきましたし、欧州の中で孤立するサッチャーの意見に耳を傾ける意欲は低下しました。サッチャーのアキレス腱は、英国の影響力の相対的な低下や、その解決策であるはずの欧州統合とどう向き合うか、という点にあったのです。
経済政策の対立軸から社会的な価値観をめぐる対立軸へ
━━サッチャーの登場は「戦後コンセンサス」が限界を迎える中で時代の要請であったように感じます。一方で、サッチャーという政治家のユニークさがあれほど大胆な構造改革を可能にしたという見方もできるように思います。他方で、ハウやローソンのような新自由主義の信奉者の存在を考えれば、サッチャー以外の首相であっても同じような構造改革を実行したのではないかとも考えます
当時、石油危機後の経済的な混乱や産業構造の変化に伴う労働組合の弱体化で高福祉高負担を支えてきた左派政党の集票力が落ち、右派政党が台頭するという現象は英国以外の先進国でも起こっています。そのため、英国での構造改革をサッチャーという個人の要因で特徴付けることには慎重であるべきで、サッチャーの役割を相対化すべきだという見方はありうると思います。
しかし、フォークランド紛争がなければ83年の総選挙で保守党が敗北していた可能性もあり、そうすれば構造改革は頓挫(とんざ)していたでしょう。サッチャー自身はそこまで新自由主義者ではなく、大蔵大臣を歴任したハウやローソンの方がより急進的な改革を支持していました。その中でサッチャーの役割は、ハウやローソンの推進する改革をどこまで踏み込んで実行しても政治的な支持を失わないか、その政治的嗅覚を生かして判断することでした。党内や支持者の団結を維持しながら構造改革を推進し、長期政権を実現するのは、そうしたサッチャーの高い政治的スキルなしには難しかったと思います。
━━ボリス・ジョンソン党首(保守党)の元での2019年の造反議員の除名に見られるように以後の保守党の党首には欧州懐疑論者が就くことが多くなっています。これは党内の権力政治の色合いが強いものなのか、世論を反映したものなのか、どのように考えますか
16年に国民投票が行われたときには、キャメロン首相はもし離脱派が勝利した場合にどのように英国は行動するのか、というビジョンを示しませんでした。保守党の離脱派と英国独立党の離脱派では描くビジョンが異なっていたこともあり、離脱派が勝利すると保守党の中では激しい路線対立が起こりました。
戦後すぐの時期は、先進民主主義国の政治の対立軸は経済政策をめぐる左右対立でした。保守党(右派)の中にも労働党(左派)の中にも親EU派と反EU派が混在していました。しかし時代が進むにつれ、イングルハートが言うように、社会的な価値観をめぐる対立の重要性が増してきました。社会的に保守の人は反EU・反グローバル化の立場を、社会的にリベラルな人は親EU・親グローバル化の立場をとる傾向があります。国民投票を経てブレグジットを実現する過程で政党制の再編が起き、旧残留派と旧離脱派が対立する形になりました。その中で、保守党の中で親EU的な人が排除されるようになったのだと考えられます。












