今回は、1945年8月21日発行の『大學新聞』より、「玉音拝し血涙滂沱 東大 大講堂で厳粛な誓」を転載する。1945年8月15日、東大では総長を筆頭に教職員や学生が安田講堂に集まり、全員で玉音放送に立ち会った。終戦の詔勅に、彼らがどう反応したか。当局による検閲下の記事ではあるが、「当時」について考えるきっかけにしてほしい。(構成・溝口慶)
玉音拝し血涙滂沱 東大 大講堂で厳粛な誓
天皇陛下には十五日正午、ラジオを通じて大東亜戦争終結に際し厳かに渙発(かんぱつ)あらせられた詔書を御放送、今後皇国の向かうべき大本を御自ら国民に昭示し給うた。
これより先ラジオの告知その他により重大放送の行はれることを予め承知した東大では定刻前十一時四十五分、内田総長以下教職員、学徒が大講堂に参集、二分前全員宮城を遥拝(ようはい)した
嘗て時変下異例の行幸を拝した東大─教職員、学徒は粛然頭をたれて玉音を拝す、民草思ふ切々たる御言葉、御軫念(しんねん)を拝しては、全員声をのんで断腸の思いにかられたのである
内閣告示に次いで滂沱たる血涙をぬぐいあえぬ内田総長起って
“畏くも大詔を玉音に拝し、草莽の一人にいたるまで御軫念あらせられ感涙を止め得ない、諸君は最高学府の教職員、学徒であり、大詔を拝しては承詔必謹御大心に帰一し奉り冷静に臣子の分を尽し、学徒の本文に邁進、荊棘の道を乗り越えて宸襟(しんきん)を安んじ奉らねばならぬ”
旨強調、参列者一同襟を正し、頭をたれて皇国護持と苦難の国家再建を心肝に銘じたのであった
※1944年7月から1946年4月の間、全国の学生新聞は『大學新聞』に一本化され、本紙の前身『帝國大學新聞』の編集部が編集を主に担っていました。終戦から80年の節目を迎え、戦争の当時を語る人々は減る今、遠い存在となりつつある「当時」を考える一助になれば幸いです。