インタビュー

2022年2月8日

失敗しても、もがき続ければきっと夢は叶う 鹿児島市長・下鶴隆央さんインタビュー

 

 現鹿児島市長の下鶴隆央さんは、地元鹿児島県に貢献する政治家になるために文Iから法学部に進学し、官僚を目指していた。しかし官僚になることはできず、当初の希望通りではない就職をすることになった。その後の20代は夢の実現に向けて「もがき続けて」いたという。政治家になるまでの経験や現在の仕事のやりがいについて話を聞くとともに、夢を追いかける就活生に向けたメッセージをもらった。(取材・葉いずみ)

 

政治家になるため、もがき続けていた20代

 

──政治家を志した時期と理由を教えてください

 

 私が高校生だった90年代後半は国会議員が金銭面の不祥事で相次いで逮捕された時期でした。高校の友人とこうした政治への不満を言う中で、不満を言うだけではかっこ悪い、政治家になって自らで変えてやろうと決意しました。ただ私の実家は小さな車の修理工場で、親戚に政治家は一人もいません。こうした状況で政治家になる方法を考えた時、官僚経由で政策を勉強すればいいのではないかと思い、文Iに入学して官僚を目指すことにしました。

 

 元々の志望は文IIIでした。日本史学を学んで高校の先生をやろうかなと思っていました。余談ですが、政治家を引退したらどこかの大学でまた日本史を勉強し直したいなと思っています。

 

主催していた旅行サークルが伊豆で合宿を行った(写真は下鶴さん提供)

 

──学部卒業後、東京のIT系コンサルティング企業に就職しています

 

 正直言って私の就職は希望通りにはいきませんでした。元々官僚になることを目指しており、筆記試験は受かったのですが、最終面接で落ちてしまいました。そこで民間企業の就活をしたのですが、当時は就職氷河期最後の時期だったこともあり、内定をもらえたのはIT系 コンサルティング企業と外資系保険企業の2社のみでし た。私は面接で「数年したら政治家になるために鹿児島に帰ります」と、若さ故に馬鹿正直に答えていましたので、今考えるとそんなことを言う人を企業が採用するわけがなかったのですね。そんな中、短期間で貢献してくれるなら働いてもいいよと割り切る文化があるコンサルティング企業が採用してくれました。

 

 ただあえてIT系コンサルティング企業に就職したのには理由がありました。元々ITが好きだったことに加え、さまざまな業種の大企業が顧客であるコンサルティングの仕事を通し、政治家になるための経験値を短期間で上げられるだろうと考え、就職を決めました。

 

──2年で東京の企業を退職し、鹿児島で政治家になるための活動を始めています

 

 コンサルティングの仕事は楽しかったのですが、その仕事が政治家になるためにどうつながっているのだろうかと悶々とした日々を送っていました。本当にやりたいことからずれてしまったキャリアを再構築するために、焦りを覚えつつ、政治家になりたいという思いに突き動かされて退職を決意しました。

 

 私自身は鹿児島のために政治家になりたいとずっと考えていたため、退職し鹿児島に戻るに際しての迷いは全くありませんでした。ただ親や親戚は面食らっており、もうやめてくれという説得は多々ありましたね。最後は納得したというより諦めたという感じでした。

 

──2007年に鹿児島県議会議員選挙に初めて立候補しています

 

 選挙活動を始めるに当たり、選挙参謀の方たちが書いた本を読んだり選挙を一度手伝ったりと手探りで準備をしましたが、今考えると準備不足でした。そのため、07年に26歳で鹿児島県議会議員選挙に立候補するも落選してしまいます。自分は親戚など周囲に政治家がいない分、もっと政治家の話を聞きに行くべきでした。政治家に限らずなりたい職業があったら、それを実際に仕事にしている人の話を聞きに行って準備をしなさいと若い人にはよく伝えています。

 

 落選した際、自分が伝えたいことを聞いてもらうにはまず自分という人間を認知し信頼してもらう必要があると学びました。そこで4年間ひたすらいろんな集まりに参加し地元回りをして、自分という人間を知ってもらいました。終バスがなくなる夜遅くまで集まりに付き合い、12kmほど歩いて帰ることもありました。鹿児島に知り合いがほとんどいない中、どうやって政治家になるのかという不安と焦りを抱きながらも、20代の頃の私はやりたいことにたどり着くため、ひたすらもがき行動し続けていましたね。

 

県議時代に暑さの中で議会報告紙を一軒一軒配布(写真は下鶴さん提供)

 

夢を叶え、時代の転換点で責任ある仕事ができる喜び

 

──11年に県議会議員に初当選後20年まで議員を務め、20年12月23日からは鹿児島市長を務めています。こうした仕事のやりがいは何ですか

 

 今、国も地方も人口減少という時代の転換点にあります。人口が減少すると、人口ボーナスを享受できていたかつてと同様の制度では福祉も産業も維持できなくなります。新たな制度設計でミスをしたら次の世代に大きなツケを残すことになり責任が大きいです。時代の転換点で責任がある仕事ができることに大いにやりがいを感じます。

 

 また市長だからこそのやりがいは、政策の大きな方針を作りスピード感を持って実行できることです。議員時代も自分の得意とする分野の政策に修正をかけたり提案をしたりして、政策に対する部分的抑止力はありました。しかし基本的に当選回数順で序列が決まっている議会では、多数の賛同を得て方針を変えるには当選回数を重ねるしかなく、とても時間がかかります。変化が激しい世の中に対して20年、30年待つことはできないため、時代の転換点に重要な仕事を、迅速に実行できる市長の仕事は非常にやりがいがあります。

 

県議として本会議質問登壇(写真は下鶴さん提供)

 

──東大での学びや経験は、政界進出以降どのように生かされていますか

 

 何といっても駒場での学びが有意義でした。特に基礎演習(現・初年次ゼミナール)が印象的です。大量の情報の中でフェイクニュースが氾濫し、若い人たちがそれに煽られるようになっている現在、正確に一次情報に当たり、先行研究を参考にしながら自分の論を組み立てていく経験は大変重要だと思います。理系分野に触れる機会があったことも役立っています。例えばエネルギー論の授業でエネルギー効率の話を聞いたり、今注目されているFCV(Fuel Cell Vehicle、燃料電池自動車)の話を聞けたり。20年前は概念的な話だったのでしょうが、こういった知識は今の仕事にも役に立っています。

 

 また第二外国語で中国語を学んだことも役立っています。県議会議員時代によく中国を訪問し、シェアリングエコノミーやQRコード決済などの情報をいち早く集めるようにしていましたが、この時中国語を片言でも話せたので1人で中国にいても何とかなりました。

 

 履修の自由度が高く、他学部の授業を履修できた点も視野を広げるのに役立ちました。私は他学部履修の上限まで教職課程の授業を履修し、母校での教育実習も経験しました。この経験を通し、先生方は教材開発などのためにどれほど準備をしているか知ることができました。小中学校は基本的に市立ですし、学校の先生の給料を払っているのは県であるように、実は地方の予算で大きなウエートを占めるのは教育です。教育実習を通して教育の実態を体感できたのは地方行政に携わる上でも有意義でした。

 

 課外活動では00年に旅行サークルを立ち上げ、運営をしていました。この経験も現在観光政策を立案する上で非常に役に立っていますね。

 

 東大出身であること自体のメリットも二つあります。一つは地方議員に東大出身者はほとんどいないため自分を認知してもらう時に大変役立つ点です。名前を覚えてもらうことは大変ですが、その前段階として「名前は知らないけど東大出身の若い人が県議に出るらしい」というふうに「東大卒」でタグ付けすることができました。もう一つは東大卒業者のネットワークです。いろんな首長の方や官庁の方とお会いすることもありますが、この場合は逆に東大出身者が多いので、話をする上でまず共通の話題ができて役立っています。

 

常に目的意識を持って自分の目指す姿に向かって

 

──今後鹿児島市をどのような市にしたいですか

 

 まず市外の方に対しては、観光地としての地位を確立したいと考えています。鹿児島市は目の前に活火山の桜島と海を臨みます。また県全体では牛・豚・鶏とも全国一の生産量を誇り、牛は全国和牛能力共進会(通称「和牛のオリンピック」)で優勝もしています。このポテンシャルを生かし、世界中からお客さんが来て観光で稼げる鹿児島市を作っていきたいと考えています。

 

県議時代に県肉用牛改良研究所を視察(写真は下鶴さん提供)

 

 また市民の方が「いつでもどこでもやりたいことができる街」を作りたいと考えています。例えば、人口減少と高齢化の中で地域交通をどう維持するかは大変重大な問題です。しかし単純に赤字を補填してバスを走らせていては持続可能性がないので、AIで効率的なルートを組んでコミュニティバスを維持することで市民の移動手段を確保します。また今進めているのがITを積極的に活用し、直接来なくていい役所を作ろうという取り組みです。こうすることで市内のどこに住んでいても市民の皆さんが不便さを感じることなく役所を利用でき、生きたい暮らしができます。

 

──東大生に伝えたいことはありますか

 

 就職で希望の企業に行ける人、行けない人それぞれいるかと思いますし、実際私は東大では就職が希望通りいかなかった方です。しかし、常に目的意識を持って自分の目指す社会貢献の姿に向かってもがき、その時できる行動を続けることでやりたいことに近づけると思います。というのも、私の当初の就職先は目標とは一見無関係の業界でしたが、実は今の仕事に非常に役立っています。一つ目は会計の知識がついたことです。コンサルティング企業なので入社までに簿記資格を取ることが義務付けられ、おかげで財務諸表などを読めるようになりました。議員も首長も経営者ですから非常に役に立っています。二つ目は、今でいうビッグデータやAIの先駆けに関する仕事を担当したことです。これもITを活用して地方行政を改良する現在の仕事に非常に役に立っています。一緒に仕事をした先輩・同期とは今でも連絡を取り合う仲ですし、このIT系コンサル会社での経験・出会いに感謝しています。

 

 就職が希望通りいかなかった時、果たして自分がやりたいことにたどり着けるのだろうかとへこむんですよね。でも私はもがき続けて今やりたい仕事をやっているので、こういった例もあることを皆さんに知ってもらい、勇気づけたいと思っています。

 

下鶴隆央(しもづる・たかお)さん 04年東大法学部卒業後、IT系コンサルティング企業に入社。11年から20年まで鹿児島県議会議員を務め、20年に鹿児島市長選挙に立候補。当選し20年12月より現職。
hidari_handle

タグから記事を検索


東京大学新聞社からのお知らせ


recruit




TOPに戻る