文化

2026年1月5日

「スキップとローファー」 から考える「普通」とは 能登半島地震・豪雨を経て

 

 

 2024年に石川県の能登半島を相次いで襲った地震・豪雨災害。インフラは大きく損壊し、コミュニティーはその在り方にダメージを負った。2次避難が長引いたことに加え、地域の商業施設が閉鎖したりお祭りが開催できなくなったりしたという事実は「普通の生活」の前提に石を投げる。

 

奥能登地方ではキリコ祭りが各地で行われる(撮影・宇城謙人=写真は能登町の様子)

 

 主人公の岩倉美津未(みつみ)は能登半島の先端にある架空の凧島(いかじま)町の出身。故郷の深刻な過疎化を解決するため、官僚になるという目標を立てた。T大に合格するため都内の高校に進学したが、生まれ育った能登との生活の違いを体感することになる。

 

 記者は知人に言われたことがある。大学受験のために、高校進学にあわせて地元を離れる人など見たこともない、と。しかし美津未のように、出身地が大学進学に不利な状況に置かれ、都市部に転出する生徒は存在する。

 

 東京に移り住んできた美津未にとって、これまでの「普通」は普通ではなくなる。遠い存在だったカラオケは、高校帰りに友人と訪れる場所になる。友人関係の構築は、頻繁にクラス替えがある都会育ちの同級生のようにうまくいくものでもない。美津未が友人と出かけるために着て行った「いっちょうら」は、東京で同居する親戚・ナオちゃんから「待って、待って」と止められるセンスだ。化粧には失敗するし、前髪は切りすぎる。

 

 記者の地方出身の友人は「地方女子がダサいというステレオタイプには抗議したい(笑)」と半ば冗談じみて話す。確かに、「地方=ダサい」というステレオタイプは前提としてはならない一方で、この書きぶり、そしてそれに対する彼女の批判は「普通」の概念に示唆的だ。確かに美津未の格好は「東京の普通」ではないかもしれない。その尺度で測れば「待って、待って」と止められるセンスなのだ。一方で美津未のセンスは「自分にとっての普通」だった。そしてそれぞれが自らの「普通」の中に生きていて、その外は想像がつかないというのはこの友人が示唆していることだ。

 

 作中では度々、凧島町の描写が登場する。ナオちゃんいわく「美津未の友達を連れて行きたい場所」。ファッションセンスでおとしめられた地方─東京の構図は、ここで逆転する。地方には東京とパラレルに生活が存在し、パラレルな高校生が存在する。美津未は高校進学で、新たな「普通」に触れた。実際にこの作品で描かれているのは、クラスメートと遊びに行ったり、学校行事にせっせと励んだり、恋愛関係で一喜一憂したりと、ありふれたものとして想像可能なものだ。最初は電車に乗れないほど東京での生活に慣れなかった美津未も、凧島町とはパラレルであった東京の生活に徐々に慣れ、高校生活を送っていくのだ。

 

作品の舞台となったとされる珠洲市の海。中央の見附島は地震で崩落した(撮影・宇城謙人)

 

 高校進学にあわせて地元を離れる美津未のような存在は、数字の面では「普通」ではないかもしれない。しかし、その存在をなかったことにして良いわけではない。そうした人々にはパラレルな「普通」が存在する。自らの「普通」の範囲を疑い、パラレルな「普通」という存在に自覚的である必要はなかろうか。美津未の高校進学の動機は「地元で深刻化する過疎化の解決」だった。しかしそれは美津未にとっては普通の問題でも、同じような境遇になければどれほどまで「普通」たり得るだろうか。美津未にとって過疎化とは、数字を並べて少子高齢化や人口減少を議論したり、写真で見る空き家の問題より、よほどアクチュアルな問題であるはずだ。ネット上では震災を巡って政治的イデオロギーに結びついた対立があおられているが、美津未のような地元の人にとってはむしろ被災地の捉えられ方ももっと地に足のついたものであろう。

 

 しかし、当事者ではない人間が、その身辺にない問題に対して無関係でしかないかと言われれば、そうではない。美津未が東京の生活に適合していくように、本質的にパラレルなものであっても、その理解に近付くことは可能なはずだ。能登を襲った2度の災害は、「普通」の前提を揺るがした。ピュアな高校生活を描く本作を通じ、自らの持つ「普通」について疑う冒険ができるのではなかろうか。【宇】

 

高松美咲『スキップとローファー(1)』講談社、税込792円
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