学術

2019年12月11日

駒場学生相談所相談員に聞く ストレスと向き合うには

 勉強、研究、仕事、人間関係など日々の生活で何かしらのストレスを抱える人は少なくないだろう。ストレス社会と称される現代でストレスとうまく向き合い、有意義な学生生活を送るためにはどうすればいいのだろうか。16年間にわたり駒場学生相談所で東大生の悩みと向き合い、心をタフにする精神分析的心理療法が専門の橋本和典特任准教授(立教大学)を取材した。(取材・友清雄太)

 

 

現状維持の焦燥感

 

 現代はよくストレス社会と称される。その要因や東大生のストレスの特徴とは何だろうか。まずはストレスの概念を整理しつつ、段階的に探っていこう。

 

 人間を含む動物は、ある要求や刺激(ストレッサー)を受けると、それに対応するために一時的に体が緊張状態になる。これをストレス反応と言う。危機に対処することを本来目的とするこの反応は、血圧や心拍数の増加、覚醒水準の上昇、免疫や消化の機能低下、性欲の低下など生存に必要な機能を優先させる。

 

 このストレス反応は、太古の昔は人間の生存に貢献していた。野生生活を送る際に、目の前に肉食動物などの天敵が現れるとストレス反応を起こし、一時的なばか力を得て、その場に対処することができた。「闘争か逃走か」。米国の生理学者ウォルター・B・キャノンはそう表現した。

 

 しかし、社会が複雑化するにつれ、ストレッサーと闘ったり逃げたりすることが必ずしも容易ではなくなってきた。そのため、ストレス反応が長期化し、逆に、高血圧、睡眠障害、感染症、消化不良、うつなどの弊害を引き起こしてしまうのだ。これが現代がストレス社会と称される一つの要因だ。橋本特任准教授はこれに加え「グローバル化による苛烈な競争」を大きな要因に挙げる。グローバル化は国境をなくし世界のあらゆるものを経済活動の対象とする。このシステムはリーマンショックのように、一つの箇所で崩壊が起きるとそれが地球規模で連鎖的に広がっていく弱点がある。その際、組織はリストラなどで個人を捨ててでも生き残ろうとする。

 

 「グローバル化が進んだ現代では上層と下層の較差があまりにも大きい上に、中間的な集団による底支えも弱く、一度下層にこぼれ落ちるとはい上がるのは難しいのが現状です。人々は意識的・無意識的にこのことを自覚し、何とか上層に留まろうとこれまでの歴史にない程の熾烈な競争に身をさらしているのです。これが、現代がストレス社会と呼ばれる根底にあります」。この傾向は世界的に見ても特にエリート層に強く、東大生や難関大の学生にも当てはまるという。上層に生き残る過程で不手際や低いパフォーマンスを出すと一気に下層に沈んでしまう。難関大学を目指して受験に失敗した浪人生などを想像すると分かりやすいだろう。この競争は上層を目指す限り終わらない。

 

 こうした競争は東大入学後さらに顕在化するという。もちろん全ての人に当てはまる訳ではないが、周囲の優秀な学生に対する劣等感で自己像の喪失を経験し、ストレスに感じる人は多い。

 

 進学選択の存在も東大生特有のストレスとして挙げられる。進学選択には競争と進路の選択という二つの側面がある。競争のストレスの概要は今までに述べた通りだ。人は選択と決断を迫られると大きなストレスを感じる。これは青年期に誰もが直面するが、東大生の場合それが進学選択だ。「今まで親や周囲からの承認に頼って人生を進めてきた学生には危機になります。こういうケースは東大生のように小さい頃から周囲の期待を引き受けてきた優秀な人によく見られます。進学選択は自分の人生に対する最初の選択になる場合が多いです」。いわゆるシケプリやシケ対制度という、学問に正面から向き合っているとはいえないシステムが東大に根強く存在するのは、その選択の重さ故のひずみだと橋本特任准教授は言う。

 

 後期課程や大学院に進むと研究を続けるべきか就活をすべきかなど、よりシビアに自分の将来を考えるようになる。これは全ての大学生の宿命と言っても過言では無い。

 

 

早めに相談を

 

 では、ストレスとうまく向き合うにはどうしたら良いのだろうか。ストレッサーから逃れるのが難しい状況で、重度なものでなければ、ストレスを「自分を強くしてくれる友達」と見なすことが日常生活を有意義にするための第一歩だと橋本特任准教授は語る。「ストレスを感じるのはチャレンジや生存の意欲がある証拠です。ストレスから逃げようとすると楽な方に流されてしまいます。これでは人生の意味が半減してしまいます」。ストレスと向き合う際に大切なのは「助けを求める」ことだと強調する。ストレスを言語化することで思考が整理され進むべき方向が見えてくる。

 

 また、東大は必ずしもストレスフルな環境ではない。「東大が学術的な宝庫であることには変わりがない」。橋本特任准教授はそう語る。「いかに受動から能動に姿勢を変化させられるかが重要になります」。東大という恵まれた資源を活用出来るようになると、より高いレベルで自己実現が可能となり、ストレスよりも日々の充実感が増してくることもある。

 

 一方で、激しい競争システムから一度外れるのも意外と悪くないという。「吹っ切れることも悪くありません。システムから外れることでこれまでの生き方に隠れていた本当の自分が見えてくる可能性があります。外れた当初は苦しいですが、道筋が見えるとよりタフに人生を歩める場合もあります」。もちろんこうした心の持ちように加え、規則正しい生活や適度な運動、休息などセルフケア力を高めることも大切だ。

 

 ストレスを感じていることを自覚している間はまだ大丈夫な方だと橋本特任准教授は言う。ストレスを感じていることすら分からなくなってくると危険な状態だ。抑うつ、心身症などの発症リスクが大きく上がる。そうなる前に専門家に相談することが大切だ。

 

 しかし、こうした「心の相談に対する偏見」がいまだ根強くあると橋本特任准教授は強調する。競争社会では「メンタルに不調をきたす=負け」などの意識がいまだ存在し、心の相談に足が遠ざかる。「相談に来て自分と真摯に向き合おうとしている人をさげすむ」ような風潮は改善が求められる。心理療法の社会化が今後の課題となる。「少しでも自分に違和感を感じたら、学生相談に来て下さい。グローバルを生き抜く勇気ある第一歩になりますから」

 

橋本和典(はしもと・かずのり)特任准教授(立教大学) 13年、国際基督教大学大学院卒。博士(教育学)。03年より駒場学生相談所非常勤講師、13年よりPAS心理教育研究所理事、18年より現職。

この記事は2019年12月3日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を公開しています。

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