インタビュー

2026年3月12日

ただひたすらに、ひたむきに「好き」を描いて STUTSさんインタビュー

 

 東大卒業後一度企業へ就職を経験したのち、音楽の道に集中し現在はトラックメイカー、音楽プロデューサー、MPCプレイヤー、DJなどさまざまな形で活躍の幅を広げ続けるSTUTSさん。そんなSTUTSさんの今まであまり語られてこなかった学生時代から、進路選択・就職、そして現在の活動に至るまでの話を聞いた。(取材・茂木和葉、撮影・岡拓杜)

 

「好き」と出会い、夢中になった学生時代

 

──音楽作りを始めたのはいつ頃でしたか

 

 中3の終わりから高1頃ですね。とにかくHIPHOPが好きで、気付いたら自分でラップしようと思うようになって、それならラップのバックの曲も作ってみたいなと思ったのがきっかけです。

 

──東大を目指したきっかけは何でしたか

 

 元々高1くらいまでは医学部に行くつもりでしたが、その頃すでに音楽がすごく好きになっていて、曲作りも始めていたんです。だから医者になるイメージがあまり湧かなくて、東京に行きたい思いもあって東大を志望しました。当時はエネルギー関係のことをやりたい気持ちがあったので理Iを受験しました。

 

──受験生時代の思い出はありますか

 

 人生で一番頑張っていたかもしれないです。寮生活で、お風呂とご飯の時以外はずっと勉強して、本当にストイックでした(笑)。高2までは曲作りに没頭して、全然勉強していなくて成績も悪かったのですが、高3になって一度MPC(「MIDI Production Center」または「Music Production Center」の略称。横列4個、縦列4段で構成される格子状の16個のパッドを備え、さまざまな楽器の音をサンプリングし演奏することができる)を封印して実家に送り返したんです。そうしたら、曲作りに向いていたエネルギーがうまく勉強に向いた感じでした。

 

──前期教養課程はどのように過ごしていましたか

 

 ドイツ語選択だったのは覚えています。でも1年次はあまり真面目な学生ではなくて。上京して2日目とか、大学に行き始める前から、携帯サイトで知り合ったラッパーさんのバックDJという形でクラブに行っていたので、朝の授業に出られなくなってしまって。でもそういうクラブで、自分と同じ音楽を好きな人がこんなにたくさんいるんだと驚きました。中高では自分と同じ音楽を聴いている人があまりいなくて、頑張って布教しようともしたのですが、あまりみんなにはまらなかったんです。でも東京のクラブで友達の輪が増えて、仲間みたいなものが出来ました。携帯サイトで知り合ったラッパーさんのライブに自分も参加したり、そこで出会ったラッパーさんとまた一緒に活動したり。JJJやKMCさん、PUNPEEさんなど、今も一緒に曲を作っている人の中には当時出会った人も多いです。PUNPEEさんはその頃すでにHIPHOP界隈で有名だったので、憧れの人と喋るような感覚でした。東大音感とかPOMP(東大が拠点の音楽サークル)の新歓にも行ってみたんですけど、楽器経験を記入するところがあって、経験したことないなと思って入るのを辞めてしまいましたね。どちらか入っておけばよかったなとも思います(笑)。

 

──勉強と自分のやりたいことのバランスの取り方はどうしていましたか

 

 自分に関しては一番優先することとして音楽をやることがずっとあったので、バランスが逆転してしまったのかもしれないですね。でもそれが本当にやりたいことなら、やったらいいと思います。でも規則正しい生活は心掛けた方がいいかもしれない(笑)。

 

──東大で印象的な出会いはありましたか

 

 自分のクラスが結構数学好きな人が多くて、1年次の最初の集まりの時、クラスの人たちが数学の本をバンって出してみんなで解き始めて。あ、これが東大なんだ、と思った記憶がありますね。でも、なんかみんな楽しそうで、それはすごく素敵なことだと思いました。

 

──大学の行事で印象に残っているものはありますか

 

 KOMAMO(KOMAMORPHOSE)というイベントが印象に残っています。2005年から10年ぐらいまで学祭でやっていて、当時アングラのシーンで活躍しているようなラッパーさんやDJが来るイベントだったんですが、その人たちがやっているクラブのイベントに1、2年次に行ったりしていました。クラブミュージックっていうかテクノとかハウス的な感じだったので、その時自分がやっている音楽とは少し違ったのですが、大学院生の時にライブアクトで呼んでもらえて、駒場祭でパフォーマンスしたこともありました。あとは1年次に学祭でたい焼きみたいなものを作った記憶もあります。

 

 
 

「好き」との付き合い方を考えたモラトリアム期

 
──進学選択はどのように考えましたか
 
 
 元々エネルギー関係に行きたかったので、工学部のシステム創成学科を第1志望にしましたが、電子情報工学科や都市工学科なども考えていましたね。当時は第3希望ABCというものがあって、第1希望、第2希望、第3希望のABCまで選べたんです。でも、第3希望のCに何を入れようかなと思っていたら友達に、どうせ第3希望の学科になんて決まらないから書いてよと言われて、農学部の生物・環境工学科を書いたらそこになってしまって。すごく絶望したのを覚えています。駒場Iキャンパスの食堂につながる通路に小さい庭みたいなところがあって、そこのベンチでずっと、なんで東大来たんだろう、みたいな(笑)。でも留年しても意味がないので、そのまま進学しました。
 
 
──進学後はどのような勉強をしましたか
 
 
 入ってからは割とこれ楽しいかも、ということに出会えて、センサーデータから森林の健康状況を推定するリモートセンシングを扱う研究室で研究をしました。そこでプログラミングやコンピューターが面白いかもと思うようになって、大学院でもそういうことをやりたいと思って東大大学院情報学環学際情報学府に進学しました。
 
 
──当時は学問と音楽をどのように捉えていましたか
 
 
 進学振り分け(当時)の時も大学院の時も、卒業の時も、音楽で生活することは全然イメージが湧いていませんでした。音楽は好きだけど、それもやりながら別の仕事をしよう、という考えはずっと変わらずで。コンピューター的な分野を面白いと感じていたので、ソフトウェアエンジニア的な働き方がしたいなと思って修士課程で就活を頑張っていたのですが、自分が思っていたような企業の面接に合格できなくて。1社推薦で決まったところあったので、そこに入った感じでした。
 
 
──音楽を仕事にしようと決断したのはいつでしたか
 
 
 16年ですね。社会人2年目でした。入った会社で求められた仕事が自分のやりたかった仕事と違っていて、転職活動を始めていたんです。そのタイミングがファーストアルバムが出た年で、音楽で生活できるかもしれないと思うようになりました。実際その年の音楽の収入と会社の収入がほぼ変わらなくて。転職活動をしていても、結局第一に来るのは音楽を作る時間がちゃんと確保できるか、みたいなところだったんですよね。ずっと叶わないと思っていたけど、いつか音楽で挑戦できたらしたいという気持ちはあったので、会社を辞めました。でも決断するのはすごく勇気が必要だったというか、めちゃくちゃ悩んだんです。
 
 
──もっと早くから音楽だけをやっていたら良かったと思いますか
 
 
 いや、思わないです。自分の性格的に、最初から音楽だけをやっていたらあの時就職しておけばよかったなと思うと思うので。一度試した上で今の道に進めたので、それは本当に変に悩むことがなかったなと思います。
 
 
──このタイミングで音楽の道を選択したことで苦労したことはありましたか
 
 
 でも自分は一番タイミングが良かったというか、ちょうど時流的に自分が好きで作っている音楽の感じが受け入れられやすくなっていたところもあると思うんです。最初から音楽だけやっていてもどうなっていたか分かりませんし、このタイミングで良かったのかもしれません。
 
 
STUTSさんが音楽の道に集中するきっかけとなった思い出深い1stアルバム、『Pushin’』。『夜を使いはたしてfeat.PUNPEE』などが収録されている。(写真はSPACE SHOWER MUSIC提供)
 

「好き」を見つめ、表現し続ける現在

 
 
──今と大学時代の活動で変わったなと感じることはありますか
 
 
 変わったなと思うことは、単純にできることがすごく増えたことですね。自分で楽器を弾いて作ることやいろいろな人と作るようになったこと、あとはそういう時にどうしたらうまくいくのかということも、分かるようになってきました。そういう単純にスキル的な部分や作品のクオリティは、確実に上がったと思います。でも基本的な曲作りのスタンスとして、やはり自分がいいと思うものを作ることだったり、作っていて楽しかったり、いい曲が出来た時すごく感動することだったり、そういう感覚は何も変わっていません。本当に高1ぐらいの時に、初めてビートを作った時から何も変わってないことかもしれないですね。
 
 
──さまざまなアーティストと共同で制作を行うスタイルになったのはいつからですか
 
 
 ずっとそうかもしれないです。最近はたまに自分で歌うこともありますけど、基本自分はプロデューサーなので。大学生の頃から、ラッパーさんと一緒に作っていたのでそれが普通でした。
 
 
──共同で仕事をする時に心掛けていることはありますか
 
 
 基本あまり決めつけたり何かを強制したりしたくないですし、相手もいいと思うものを作りたいので、相手がどう思っているかを大事にしたいと思っています。頭ごなしにこういう曲を作ってくださいと言うよりは、こういうのがいいと思うんですけどどう思いますか、みたいな提案をする感じです。
 
 
──東大出身のドラマプロデューサー佐野亜裕美さんとも、「大豆田とわ子と三人の元夫」や「エルピス」の主題歌で一緒に仕事をしていました。佐野さんの印象はいかがですか

 

 強い信念を持っていて、でもそれが押しつけがましくないすごい人だと思います。佐野さんも信用している人としか仕事をしないので、ある程度のところまでは任せてくれます。基本的にドラマの曲というのはそれほどフィーチャーされるものではなくて、こういう風にしてくださいというディレクションがたくさん入ったり何回も作り直すことになったりという話も聞いたことがあったのですが、佐野さんと一緒に作らせてもらったときはそういうことはなかったです。

 

──謙虚な人柄が印象的ですが、人と関わるときに心掛けていることはありますか

 

 本当に、何も偉ぶれるようなことはないと思うんです。結局自分が今こうやっていろいろ曲を作らせてもらえるのも、自分だけの力ではないという気持ちがすごくあって。運もそうだし、一緒に作っている人との関わりで生まれたものというか。だから、あまり何かを成し遂げただとか、そういう感覚はなくて。曲を作っている時のスタンスも、昔の誰にも聴いてもらえていないような時からあまり変わっていないんです。その方がいろいろな可能性があるような気がするので、あまり変わりたくないとも思います。出会ったすごいなと思う人って、本当にみんな謙虚だしフラットなので、そうありたいなって思いますね。

 

──楽曲のテーマやメッセージはどのように決めていますか

 

 すごく明確なメッセージがある場合が多いわけではないです。でもテーマとか風景とかそういうものは曲を作っている時になんとなくイメージが湧いてきて、このラッパーさんにこういうテーマで歌ってもらったらいいかも、ということがだんだん思いついてきてお伝えする感じです。

 

──例えば「大豆田とわ子と三人の元夫」の主題歌である「Presence」のテーマは何でしたか

 

 一言では言えないんですけど、脚本を見ながら、こういう音楽がエンディングで流れたらいいな、みたいなことを想像しながら作りました。あの曲はトラック制作と曲のプロデュースは自分がして、ゲストボーカルである松たか子さんが歌うメロディーと歌詞はbutajiさんというシンガーソングライターの方と一緒に作ったんです。だから曲に込めたメッセージっていうのはbutajiさん側にもあることなので、自分一人だけが言うことはできないんですけど。でも、やはり人生や恋愛にはいろいろなことがあるけど、それでも前を向いていこうというか、基本的な方向性としてはシンプルにそういうものがありました。

 

実際に楽曲制作の様子を見せてくれたSTUTSさん

 

──STUTSさんは今までHIPHOPを聴いてこなかった人にもHIPHOPへの門戸を開いた存在という印象がありますが、自身ではそういったことを意識していますか

 

 自分が高校生の頃は本当にHIPHOPが全然流行っていなかったので聴いている人もいなくて、こんなにいい音楽なのになんでみんな聴かないんだろう、いろんな人がもっと聴いたらいいのにな、みたいな思いはずっとあったんです。広めるってことが第一じゃないんですけど。自分が割と分かりやすいもの、分かりやすいけど芯が通ってかっこいいものが好きなので、自分が作っている音楽の方向性も割とそういう感じになっているのかな。それが結果として門戸を開くようなことになっているとしたらそういうことかもしれません。でもあまり何も考えていないです。とはいえHIPHOP以外の人からもオファーが来て、この人とだったらいい曲を作れそうという場合はやらせてもらうので、そういう時は、自分が好きなエッセンスやいいと思うエッセンスみたいなものは絶対に入れたいなと思ってやっています。

 

──今までやってきた仕事の中で特に印象に残っているものはありますか

 

 ファーストアルバムを出して会社を辞めた年は、やはりすごく印象に残っています。仕事の休憩時間にPUNPEEさんたちと会社で電話をしながら作った思い出もあります。会社を辞めてから新しい人生が始まったみたいな感覚はあったのですが、不安よりもワクワク感の方が大きかったんですよね。だからその感じはすごく印象に残っているし、忘れたくない感覚です。

 

──MPCプレイヤーや音楽プロデューサーなどいろいろな形態の仕事をしていますが、仕事内容によって何か変わる感覚はありますか

 

 あんまり別の仕事をしているとは思ってないというか。結局MPCという機材を使って演奏するのも、自分の作った音楽を人前で生で表現する手段としてやっているので、曲作りなどとはそれほど変わらない感じもします。ただ、とは言え、曲を作る作業に関わるのは基本的に少人数なんですよね。自分はミックスという最終的な仕上げの作業も自分でやっていて、それも割と1人の作業なので、結構1人の世界で楽しんでいるというか、そこでいろんな感情になりながら作っている感じです。一方でライブの時はやはり目の前に見てくれている人がいるので、よりコミュニケーションがある感じがしますね。自分は結構ライブの時も自分の世界に入り込んでいる感じもあるんですけど(笑)。でも、その入り込んでいる時に、ふと顔を上げて、お客様が楽しんでいるのを見るとすごく安心したりテンションが上がったりします。

 

──自分の作品や音楽で、これが個性だと思うことはありますか

 

 一言では言えないですが、やはり自分が好きな音楽を作っているので、その「好き」というものが反映されているということなんじゃないかなと思いますね。

 

──これからの活動でしてみたいことや目標はありますか

 

 具体的な目標を言うと、それに縛られたりそこがゴールになったりしてしまいそうなので、あまり目標は考えないようにしているかもしれないです。これからも変わらず、自分が好きで、いいと思う曲を作れて、それがいろんな人に聞いてもらえて、国内だけではなくいろいろな場所でそれをライブできたらいいなあ、という感じです。

 

──生き方が多様化する時代で、STUTSさんが人生で大切にすべきと考えることはなんでしょうか。東大生へ向けてメッセージをお願いします

 

 難しいですね。自分は運良くすごく好きで夢中になれるものがあったので、最初からは志せなかったけれど、結果的にはそこに行ってしまった人間で。だからやはり自分がやっていて楽しいこととか、好きだなって思うことを見つけることは結構大事だと思っています。見つかったら、そういうことができるような会社に入ったり、自分で事業を起こしたり、そういうところに進むのがいいのかなと思います。就活、難しいですよね。自分も就活成功したとは全然言えない人間なので何も言うことはないかもしれないんですけど(笑)。でも周りを見ていても、就活がうまくいっていわゆるいい企業に入った人も、入ってからこれ本当にやりたいことだったのかなって悩んで転職した人も結構いますし。初めのうちから、これ好きになれるかも、みたいなものを見つけられたらいいですよね。学生生活で見つからなかったとしても就職後に見つけられるケースもありますし。努力して出会えるものではないかもしれないですが、そういう自分が好きと思えるものに出会おうとする気持ちが大切だと思います。

 

STUTSさん(プロデューサー、トラックメイカー)

15年東大大学院情報学環・学際情報学府修士課程修了。学部在籍時からDJやトラック提供活動を始め、現在は自身の作品制作のみならず数多くのプロデュース、コラボレーションやテレビ・CMへの楽曲提供など活躍の幅を広げている。23年に日本武道館公演、25年には初となるアリーナ公演を成功させた。

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