キャンパスライフ

2018年10月30日

19歳が見た中国③ 石橋を「叩く前に」渡る

待って、私を乗せてくださぁーい!

 

 国内では「ムーンライトながら」や「サンライズ出雲・瀬戸」を除いてほとんど廃止された夜行列車が、中国では今でもびゅんびゅんと走り回っている。上海、深圳など沿海部の大都市と内陸地帯を結ぶ路線が多い。広州とウルムチを2泊3日で結ぶような超長距離列車には驚かされる。

 

 出稼ぎ労働者や学生が数億人単位で帰省する春節(旧正月)には、春运(チュンユン;春運)と呼ばれる特別増便ダイヤが組まれるが、「2ヶ月前くらいに予約しなければ、切符をとるのは至難の技」と武漢大学の友人は嘆いていた。輸送力強化のために、高铁(ガオティエ;高速鉄道)が猛烈なスピードで中国全土に張り巡らされつつある。

 

▲高铁の利用者は、ビジネスマンなど中・高所得層が多い(写真は南京駅で)

 

 中国旅行では、長距離夜行列車と高铁に乗ることを楽しみにしていた。期待通り、夜行列車は3段ベッドが狭いものの寝転ぶと快適だし、高铁も日本の新幹線と同じくらい清潔で快適だった。

 

 中国の鉄道の特徴は、圧倒的な「標準化」だ。日本列島は、北は「宗谷」から南は「指宿のたまて箱」まで、名前も構造も個性豊かな列車が走り回っているのに対し、中国は全土で同じ構造の深緑色の車両が使われ、列車名も「Z47」「T204」「K1033」などと素っ気ない(停車駅の少なさや運行速度に応じてコード化されている)。高铁もまた標準化の権化であり、中国のどこに行っても「和諧号」か「復興号」が走っている。高度な標準化が、輸送キャパシティの急速な拡大と複雑な運行を可能にしているのだ。

 

 私のような鉄道オタクが喜ぶ話はこれくらいにして、今回の本題に入りたい。

 

 長沙駅で広州行きの夜行列車を待っていたときのことである。ちょうど夏休みの終盤で、広州行きの第6待合室は、椅子はおろか、座る床を見つけるのさえ難しい混雑ぶりだ。一方、隣の第5待合室はスッカスカ、椅子を5人分使って寝られる。迷うことなく第5待合室に入った。中国の鉄道駅の構造は空港に似ている。列車が着くと搭乗口が開き、第6待合室の乗客が列をなしてホームへ降りていった。列がなくなるまで私は待った。

 

 ひとりでホームへ降りたとき、出発予定時刻まではあと10分。時間に余裕があるから第5待合室で待ち続けたのである。しかし、何かがおかしかった。乗務員がタラップを引き上げ、笛が高らかに響き、列車は今にも出発しようとしている!駅員は、まとまった乗客の列が途切れた時点で「皆乗った」と判断し、予定時刻にお構いなく合図を出したのだ。

 

 「等一下!(ダンイーシァ!;待って!)」と叫び、目の前の車両に飛び乗るやいなや、ガタンという振動を感じ、駅員の姿が後方に流れていった。間一髪で、空っぽの長沙駅で一晩明かさずに済んだ。

 

▲旅客の多い中国では、列車は20両編成になることもある。全席指定なので、自分の車両まで、ホーム上を数百m歩くこともある。山手線のような駆け込み乗車は本来ありえない(写真は上海南駅で)

 

 中国旅行で得た大事な知恵の一つは、集団と共に行動するということ。中国では、時と場合によっては、集団の秩序に沿って行動しなければ、思わぬ不利益を被ることがあるようだ。

 

▲乗り遅れなくて良かった…おじさんとおばさんの四方山話を聞きながら、夜行列車の長い夜を明かす。

 

「短い列より長い列に並ぶ」機械の故障と人々の知恵

 

 こうやって夜行列車に乗って到着したターミナル駅で、前回注目した食文化や学校の制度よりももっと面白い(と同時に骨の折れる)中国の当たり前を体感した。「機械が頻繁に故障する」という当たり前だ。武漢駅の地下鉄の切符売り場での事件を語りたい。

 

▲旅客の多い中国のターミナル駅は、いつでも混んでいる(写真は広州駅で)

 

 あくびをしながら早朝の武漢駅に降り立つと、中国全土から私と同じように夜行列車で到着した人々が通路を埋め尽くしていた。市内へ出る地下鉄の切符売り場にも長蛇の列ができる。20台もの券売機がぎっしりと一列に並んでいるが、数百人が一斉に押し寄せ我先にと並び、銀行の取り付け騒ぎかと見紛うほど。自らも切符を求め混乱に飛び入ろうと決心したとき、私は変なことに気付いた。

 

 新しく来た人たちが、短い列よりむしろ長い列を選んで並ぶのだ。当然、長い列ほどますます長くなる。長い列に並んだ挙句、前の人に「早くどけ!早く!」と叫ぶ人もいる。「そんなら短めの列に並べばええやん」とツッコみたくなる。列によって券売機のタイプが違うようにも見えない。少数派より多数派に帰属したい、という群集心理でも働いているのだろうか?私は、しめたとばかりに5人くらいの短い列に行った。

 

 自分の番になった。罠は券売機にあった。紙幣挿入口のロールが動かない。券売機の画面には「正在使用(正常に使用できます)」の文字。これを信じて何回も試すが、ダメだ!すぐに後ろの方から叫び声が響いてきた。紙幣がダメなら硬貨で払えるが、たまたま硬貨の持ち合わせがなく、ゲームオーバー。がっかりして、20人くらいの長めの列に並び直した。

 

 冷静に観察すると、短い列の先の券売機には、タッチパネルが反応しないとか、紙幣や硬貨を受け付けないとか、何かしら故障があるようだった。面白いことに、不具合がある券売機にも列はできる。人が密集しており、自分の番まであと2、3人にならなければ前の人が困っているのが分からないからだ。もっとも、異変を察知した人は他の列に移動するので、短い列は短いまま。中国では、券売機に限らず、ドアやトイレやエレベーターも頻繁に故障するのを見た。人々は経験的に、敢えて長い列に並ぶほうがうまくいくことを知っているのだろう。

 

速やかに故障するが、復旧も速やか

 

 ここで終わってしまえば、中国の機械はよく故障するというだけの話だ。だが「機械が頻繁に故障するのに、人々の生活にそこまで支障がなさそうなのはなぜか」と考え続けると、表面に見えるものの一段奥にある「中国流の発想」が見えてくる。

 

 実は武漢の別の地下鉄駅でも、券売機の不具合を見かけたが、作業員が来て修理していた。ショッピングモールではエスカレーターが止まっていたが、ここでも作業員が数人がかりでその内部をこじあけて修復していた。私はこう考えた。機械が速やかに故障する代わりに、作業員が来るのも速やかであれば、人々にとってそこまで不便ではないだろう。

 

 帰国後に参加した日中関係学会の青年勉強会で、中国での豊富な事業展開経験をもつ化学メーカーの元会長がこう話されたので、私は自分の仮説に多少自信をもった。

 

 「我々が中国にプラントを建てるときにね、これも一つの実験だと思って、信頼性の高い日本製部品を敢えて使わないで、ほとんど中国製部品を使ったのね。案の定、バルブは止まらないし、パッキンは漏れる。私が見たかったのは、そういうときに中国の従業員がどう対応するのか、と」

 

 「彼らは壊れたらすぐ取り替えたらいいじゃないか、と考えるんだね。高すぎる部品を使うより、安い部品を何回も取り替えていったほうがいい、とね。いつの間にか、工場の中でうまく使い回していく」

 

 「日本人はあらゆるリスクを考えてプラントを設計するんだけど、中国の人はとりあえず動かしてみて、壊れたらすぐにラインを止めて修理すればいい、という発想なんだね。それだから、運転中に予期せぬ故障が起きた時の対応力は、中国の従業員のほうが強いかもしれないよ」

 

 「石橋を叩いて渡る」の日本流に対し、すぐさま一歩踏み出し、橋が落ちても這い上がる中国流。この鮮やかな対比に、旅の至る所で気づくことになる。

 

▲石橋を「叩く前に」渡る…?(写真は広州市内の水路に架かる橋で)

 

文・写真 松藤圭亮 (理Ⅰ・2年)

 

【19歳が見た中国(全7回)】

①フェリーに乗って、ぶっつけ本番中国語

②学校の近くに、安くてうまい飯あり

④爆走出前バイクに見る「超級」便利社会の裏側

⑤字は書けなくても、スマホは使いこなす ~テクノロジーの都・深圳へ~

⑥大学生、世代差、対日観、党

⑦あのスピード感を逆輸入しよう

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