キャンパスライフ

2018年11月6日

19歳が見た中国④ 爆走出前バイクに見る「超級」便利社会の裏側

念願のシェアバイクに乗って気づいた中国の交通事情

 

 中国で爆発的に発展したシェアバイクサービスは日本でも有名になった。30分につきたったの1元(=17円)で、街のどこにでも乗り捨てられる、アレである。旅行中には、その便利さを必ず体験したいと思っていた。シェアバイクは、微信支付(WeChatPay)や支付宝(Alipay)などでモバイル決済する必要があり、中国の銀行に口座を持っていなければ使えないのだが、武漢の街を案内してくれた武漢大学の友人の好意で、地下鉄駅とユースホステルとの2 kmの行き来にシェアバイクを使うことができた。

 

▲シェアバイクは、もはや街の風景に溶け込んでいる(写真は広州で)

 

 シェアバイクに乗るという念願が叶い、武漢の街中をスイスイと走る私は有頂天だった。気分爽快でいられなくなったのは、ある交差点に差し掛かったときだ。折しも夕方のラッシュアワー、車道は渋滞していた。信号のタイミングが悪く、路線バスが右折しきれずに交差点を塞ぐ格好で止まってしまった。たちまち、バスを追い越そうとするバイクや乗用車のクラクションが鳴り響き、すり抜けようとする自転車や歩行者も混じって、交差点は大混乱に陥った。誰もが我先に我先にと交差点に殺到するのは、日本ではおよそ想像できない光景だ。私が乗っているようなちっちゃなシェアバイクでは本当に押しつぶされそうだったので、混雑が解消するまで、私は歩道で待ち続けざるを得なかった。

 

 中国を旅していて、交差点や横断歩道を渡るときは常に気を張っていた。一番注意すべきはバイクだ。日本の道路でならありえない方向から、ありえないタイミング、ありえないスピードでやってくる。シェアバイクに乗せてくれた友人に

 「道を渡るのは冒険だよね。渡るたびに決心しないといけなかった」

と話すと、

 「ここで暮らしている私たちにとっても、道を渡るのは冒険なのよ」

と返してきた。

 

 ところで、バイクの中でも特にせわしく走り回っているのが、外卖(ワイマイ;食事宅配)のバイクだ。黄色いカンガルーの「美团外卖(メイトゥァンワイマイ)」と、青色の’e’がロゴの「饿了么(アーラマ)」が二大勢力である。私が訪れた大都市では、街中で見かけるバイクの実に半分以上が、イエローかブルーの外卖バイクだった。配達員は、決まって10代〜20代の若いお兄さん。注文待ち中なのか、車道の脇に何人かでたむろして談笑しているときもあるが、基本的には一日中、街をあくせくと走り回っている。ずっと観察していたのだが、配達員の急ぎ具合は少々度を越していると感じた。というのも、歩道に乗り上げてまで渋滞をかわそうとしたり、一方通行と思われる道を逆走したりしているのを見かけたからだ。

 

 南京では、実際に危ない思いをした。歩道を歩いていると、前から突然バイクが突進してきた。相手を見る間もなく、ぎりぎりの距離ですれ違った。「前を見て歩け!」という怒声に振り返ると、例のブルーのバイクだった。どうして外卖の配達員はあんなに焦っているのか、という疑問が自然と湧いてきた。

 

バイク配達員「安全を気にかける暇なんて」

 

 疑問を掘り下げていく前に、外卖がどんなサービスであるか、解説しておきたい。外卖は日本の出前によく似ているが、不特定多数の店の料理を配達するというのが、出前と決定的に異なる画期的な点だ。出前の場合、飲食店は配達員を雇う必要がある。一方、外卖のシステムでは、飲食店は美团外卖や饿了么のオンラインプラットフォームに登録するだけでよい。顧客からアプリを通して飲食店への注文があると、数分のうちに黄色か青色のバイクが店に料理を受け取りに来て、店の代わりに配達してくれる。

 

▲こちらに向かってくる黄色いウェアのお兄さんが外卖の配達員。右手に商品を持って、スマホで届け先を確認している。狭い歩道には、外卖のバイクが5台も止まっている(写真は深圳で)

 

 外卖の驚くべき点は、少ない量でも(たとえばコーヒー一杯でも)運んでくれることだ。外卖の登場によって、家族経営の小さな飲食店でも、価格やメニューを工夫して顧客の関心を引き、従来の数倍の顧客を獲得できるようになった。私が卤肉饭(ルーロウファン)を食べた広州の店では、店内の客はまばらなのだが、外卖のバイクがひっきりなしに立ち寄り、オンラインでの人気の高さを物語っていた。外卖は、顧客の側から見ても、いつでもどこでも作りたての料理が食べられるので、とても便利なサービスといえる。外卖はもともと、大学のキャンパス内での食事配達サービスから始まったが、シェアバイクと同様、ここ数年で社会全体に広まった。

 

 しかし、外卖は中国社会に便利さをもたらすと同時に、歪みももたらした。私が現地で買ったニュース雑誌『Vista看天下』(2018年9月8日号)には、「俺は安全が大事だと知らなかったわけじゃないが、気にかける暇がなかった」という見出しで、外卖の功罪が特集されている。それによると、外卖の配達員は、決められた時間内に配達できなければ、そのたびに一定の罰金が課されるという。外卖企業は、競争を勝ち抜くために、顧客に約束する配達時間を短くする傾向にあり、配達員の心理的プレッシャーは重くなり続けているのだ。

 

▲「俺は安全が大事だと知らなかったわけじゃないが、気にかける暇がなかった」(『Vista看天下』(2018年9月8日号)より)

 

 まさにこれが、「なぜ外卖のバイクのお兄さんはそんなに急いでいるのか?」という問いへの答えだ。何としても配達時間内に届けるために、一方通行の道を逆走する無理な運転をして事故を起こし、結果的に月給の何倍もの治療費や損害賠償費を負担した配達員の例が、『Vista看天下』の特集には紹介されていた。もっとも、事故直前の彼にとっては、遅延罰金をいかに免れるかで頭がいっぱいであり、見出しの通り「安全を気にかける暇なんてなかった」はずである。

 

 特集によると、上に挙げた外卖2強の資本投入競争が激化するなかで、配達員のなり手が不足している。バイクに乗れさえすれば採用され、安全研修を受けずに仕事を始めさせられることもあるという。配達員の多くが、農村世帯や都市の低所得世帯など、社会的に立場の弱い層出身の若者たちだ。「オフィスに10分で昼食が届く」という外卖の便利さは、彼らが資本主義の圧力のもとで、身の安全を保障されることなく働いている、その歪みの上に成り立っている。

 

日本の海に流れ着く赤いペットボトル

 

 外卖は、環境負荷の面でも問題がある。中山大学の友人はこう打ち明けてくれた。

 

 「本当はね、バイクで運んでくる分だけエネルギーを浪費してるし、配達用の容器や袋でゴミも多くなるし、かなり無駄遣いをやっている。でも便利だからね、僕はやっぱり外卖のアプリを開いちゃうんだよ」

 

 外卖の普及に代表されるように、中国の都市住民には、日本と同様、エネルギーや資源を大量消費するライフスタイルが定着しつつある。中には日本人以上に浪費が大きいのではないかと思われる局面もある。

 

 例えば、中国の飲食店で、人々が沢山の料理を残すのを見た。食べきれなくて残すというよりは、もっと積極的に残しているというか、分かっていながら食べきれない量を注文している風なのである。復旦大学の友人と上海で会食したとき、このことを聞いてみた。

 

 「中国の会食では、客人を満腹にさせることが最高のおもてなしだと聞いたことがある。だから、あえて食べきれるよりも多めに食事を注文して、万が一にも客人が空腹のまま帰らないようにする。いま周りのテーブルを見てみると、沢山の食物が残されているけど、これも中国の伝統文化によるものかな?」

 

 「いえいえ、とんでもない!」と彼女は驚いた顔で言った。「客人を満足させるのは伝統だとしても、食事を残すのは伝統じゃないよ!50年前(文化大革命の時代)の人々は、限られた食物を決して無駄にしなかったらしい。いま私たちが食べ物を捨てるのは、社会と経済が発展し、食料に余裕ができ、捨てても別に生きるのに困らなくなったからだと思う。日本では、小さい頃から「残さず食べよう」って教えられるんでしょう?私たちが見倣うべきところね」

 

▲「食事を残すのは中国の伝統じゃない」と友人は強調した(写真はイメージ)

 

 もう一つ、浪費が大きいと感じたのは、ペットボトルである。中国の上水道は飲用に適した水質ではない。このため、ペットボトル飲料水は、街角のどんな小さな飲食店や雑貨店にも陳列してあり、飛ぶように売れている。一人1日3本のペットボトルを消費するとして、14億人で1日42億本に積み上がる。問題は、そのうち数%がリサイクルも焼却もされず、海に流れ出してプラスチックごみになっている可能性があることだ。

 

 农夫山泉(ノンフーシャンチュァン)という赤いラベルの飲料水がある。中国国内で1、2位のシェアを争うブランドで、私も3週間の旅行中で10本はお世話になった。帰国のフェリーが上海市内を流れる黄浦江を出発するとき、水面に农夫山泉のペットボトルが数本浮かんでいた。黄浦江には他にもいろいろなゴミが浮かんでいるから、特に気に留めなかった。

 

▲上海市内を流れる黄浦江。水面をよく見るとペットボトルなどのゴミが浮かんでいる

 

 フェリーが進んで長江の河口に達したときも、黄色く濁った水面に赤いペットボトルが目についた。このときも、まだ中国の水域だから、と思って、気にしなかった。

 

 1日後、フェリーは私の故郷九州の沖合を進んでいた。海の色は子どもの頃からよく馴染んでいる美しい青色に戻り、遠くに島影も見えた。日本に帰ってきた感じがして嬉しくなって海を眺めて続けていると、真っ青の中にチラッと赤が見えたような気がした。幻覚かな、と思ってじっと見てみると、確かに赤い破片が浮かんでいて、白字で「农夫山泉」の文字。

 

 衝撃的な発見だった。中国の人々のライフスタイルの変化が、海を通して世界中の環境に影響を与えつつあるのだ。

 

文・写真 松藤圭亮 (理Ⅰ・2年)

 

【19歳が見た中国(全7回)】

①フェリーに乗って、ぶっつけ本番中国語

②学校の近くに、安くてうまい飯あり

③石橋を「叩く前に」渡る

⑤字は書けなくても、スマホは使いこなす ~テクノロジーの都・深圳へ~

⑥大学生、世代差、対日観、党

⑦あのスピード感を逆輸入しよう

タグから記事を検索


東京大学新聞社からのお知らせ


recruit

   
           
                             
TOPに戻る