学術

2019年11月13日

社会保障の安定へ 増税後の日本社会は?

 10月1日に消費税が10%に引き上げられはや1カ月。増税前には不安の声が聞かれ、長期的な家計への負担拡大は確かだろう。本記事ではこれからの日本の社会を支える税制と社会保障の仕組みについて、財政の専門家である林正義教授(経済学研究科)に話を聞いた。

(取材・黒川祥江)

 

林 正義(はやし まさよし)教授(経済学研究科)98年カナダ・クイーンズ大学大学院博士課程修了。Ph.D.(経済学)。明治学院大学講師、財務省財務総合政策研究所総括主任研究官、一橋大学准教授などを経て、14年より現職。

 

財政安定化への動き

 

(図1)日本の債務残高の対GDP比は、主要先進国の中で最悪の水準だ(図は財務省ウェブサイトより)

 

 日本の現在の財政にはどのような特徴や問題があるのか。日本の国と地方の債務残高の対国内総生産(GDP)比は240%近く、他の先進国と大きな差がある(図1)。歳出を支える税・社会保障収入に関しては「経済協力開発機構(OECD)諸国の中では国民負担率は相対的に低いです」と林教授。内訳を見ると租税負担率が社会保険負担率に対して低めだという。

 

(図2)従属人口と生産年齢人口が接近し、人口構成のバランスが崩れていく(図は林教授提供)

 

 問題としては少子高齢化が進行すると人口構成上立ちゆかなくなることが挙げられる。国立社会保障・人口問題研究所の中位推計によると、2065年には生産年齢人口と従属人口の規模がほぼ同じになり、約1人の労働者で1人の高齢者か子どもを支えることになる(図2)。また、公平性も疑問視される。例えば、社会保険料負担に関しては低所得者ほど収入に対して負担額が占める割合が高いという問題があると言われ、不公平との指摘がある。

 

(図3)高所得者の所得税の税率が引き上げられた(図は財務省ウェブサイトを基に東京大学新聞社が加工して作成)

 

 財政安定化のため当局は「歳入を増やしながらできるだけ無駄な歳出を減らす方向」で動いているという。林教授は「高所得者への課税を強めています」と話す。2015年から高所得者の所得税(国税)が増加。課税所得を額に応じていくつかに区分し、その区分ごとに異なる率で課される税率を限界税率というが、課税所得が4000万円超の区分の限界税率は45%に引き上げられ(図3)、国税・地方税合わせて55%となった。

 

 同年には相続税も増加した。以前は相続した資産が「5000万円+法定相続人の数×1000万円」までは課税対象外だったが「3000万円+法定相続人の数×600万円」まで課税対象が拡大したという。また、海外移住による相続税逃れを防ぐため、相続人・被相続人ともに国外居住が5年超の場合は国内財産のみの課税であったが、2017年からは10年超へとルールが改正された。

 

 加えて、高額所得者に対する配偶者控除を2018年から減額もしくは廃止。また、給与所得者の仕事用の必要経費の概算額を課税対象から差し引く給与所得控除の上限は2020年分から195万円に下がる。

 

 その一方で、生活保護の削減も進められている。政府が適切な額に戻そうとしているのか、今後の資金不足に備えているのかは判断しかねると林教授。「統計データを公開して削減は妥当かどうか政府外の人間がチェックできるようにすべきです」

 

 貯蓄が少ない場合、退職後に国民年金だけで生活するのは難しくなっており、不足分は生活保護で補うことになる。高齢者が増える中で生活保護の受給者も確実に増えていくため「今の制度は持続的とは言えない」という。

 

 生活保護の中でも特に重要なのは医療扶助。全国民が受けられ、幅広い治療をカバーできる日本の公的医療は「世界に誇れるシステム」だというが、医療技術や薬の開発が進展し高額化するにつれ財政への負担が増加している。

 

 現行の社会保障を保持するためにも「消費増税はやむを得ません」と林教授。少子化により働いて収入を得る人が減少するため所得税中心では税収上昇は見込めない。「消費活動は人生のどんな局面でも行われるので、分かりやすく安定した税収が期待できます」

 

負担・給付の均衡が鍵

 

 少子高齢化が進む中、安定した社会保障を実現するため、林教授は税制と社会の在り方についていくつかの提案をしている。

 

 消費増税は必要とはいえ社会保険料負担と同様の不公平が問題視される。その解消のため、外国で行われている低所得者への還付の仕組みを参考にできるという。例えばカナダでは所得や配偶者・子供の有無などの条件を満たした世帯は、消費税からのみなし還付を申請できる。「私もカナダ留学中、博士課程の時には還付を受けていました」と林教授は話す。ただしシステムが複雑化し、事務作業も増えるため、日本の課税当局には抵抗があると見ている。

 

 税収増加のためには相続税をさらに上げることが考えられる。所得税を増税しなくても所得のうち消費に回される分は消費税の増税を通じて徴収することができるが、貯蓄され使われずに相続される分は相続税を増税することで徴収が可能だという。「亡くなった時に税を取って公共部門が使えるようにする『相続の社会化』がもっと進んでもいいと思います」と林教授は語る。

 

 高齢化が進む以前は、親が亡くなる頃は孫世代を育てるのにお金がかかる時期だったが、今日では孫が既に成人しているケースも少なくない。相続税の増加には高齢者に生前相続を促進し、若い世代の消費を増やせるという効果もある。

 

 株式に関わる税を上げるという手もある。高額所得者層ほど所得に占める株式などの譲渡所得・配当・利子所得などの割合は高い。日本におけるこれら資産所得に対する税率は、特定の種類の所得について他の所得と合算せずに課税する分離課税の場合、いずれも20%だが、欧州の先進国などではより高く設定されている国もある。「インセンティブの面からは労働所得の最高限界税率である55%よりは低くあるべきですが、もう少し上げる余地はあります」

 

 高齢者からの批判が予想されるが年金の課税を増やすこともできるという。支払った社会保険料が全額課税所得から控除されるにもかかわらず、公的年金を受け取る際には比較的大きな控除があるため、税の取りこぼしがある。「実際は高齢者比率は増加していきますし、選挙に行く高齢者も多いこともあり、政策的に実現するのは難しいかもしれませんね」

 

 人口が縮小していく日本社会では、生産性の向上も必要になってくる。林教授は「一極集中は何かと問題視されがちですが『集積の経済』の観点からは都合が良い」と語る。一方、人々が点々とした複数の集落に住んでいる中山間地域ではインフラ維持費がかさむため、本来はある程度は集住していた方が良いという。

 

 地方創生がうたわれ観光に力を入れる地方も多いが、実態は各地で人やお金を取り合っているだけとも言える。「地方の生産性が上がっているわけではなく、根本的な解決には至らないでしょう」

 

 個人のレベルでも生産性向上を図るため、仕事の在り方も再考すべきという。非正規雇用が広がり、仕事内容に連続性がなくスキルアップしにくい人も多い。「自己防衛も大切で、今の若者は良く考えて働き方を選ぶことを勧めます」と林教授は話す。

 

 消費税が注目を集めるが、税制を考える上では制度全体を見て負担と給付のバランスを探る必要がある。日本全体を支えると同時に一人一人の生活を支える制度として、税制と社会保障を改めて検討すべきだろう。


この記事は2019年11月5日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を公開しています。

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