GRADUATE

2018年2月24日

東大卒起業家から就活生へ 前編 「秀才のジレンマ」から抜け出す方法

 「人を軸にした産業創出エコシステムをつくる」というビジョンの下、日本のスタートアップを牽引してきたスローガン社。創業から12年間、ベンチャー企業と学生をつなぎ続けてきた。IBMに就職後、スローガン社を創業した文学部卒業の伊藤豊CEOに、「日本の就職活動」について聞いた。(インタビュー後編はこちら

(取材・沢津橋紀洋)

 

 

――伊藤さんは、東大に入る前はどういう高校生活を送っていたのですか

 栃木県に住んでいたのですが、中学1年生のときに、部活を首になってしまって(笑)。両親も共働きで、上の兄弟も部活で忙しくて、周りの友達はみんな部活してるしで、暇だったので勉強してたんです。そこで、全国にどういう高校があるのか調べて、「せっかくだったら最高のところに行きたい」と思って、親を説得して開成高校を志願しました。栃木県から都内まで、新幹線で通学する毎日でした。

 

――東大生のときはどのような生活をしていましたか

 やりたいことがなかったんですよね。理系で入ったので、建築学科とかかっこいいなと思ったのですが、授業を受けてみると、僕は線がまっすぐ引けないんですよ。定規を使ってもずれてしまうんです。これは向いていないな、と思って。でも他に進学先として行きたい専修もなくて。「心理学」なら、自己紹介でネタになるかなと思って、文転して文学部の心理学に行きました。要は、何も考えてなかったんですよ(笑)。

 

――そんな伊藤さんが、起業しようと思ったのはなぜですか

 新卒で何も考えずにIBMに入社したのですが、「夢がないな」と思ったんですよね。IBMに勤めると、40歳まではサラリーマン的にいくのですが、40歳を超えると辞めていく人が多いように見えました。パフォーマンス低くてもリストラされるし、出世して役員になっても、厳しい要求に応えられなくて辞めていく。IBMで終身雇用されるには、絶妙に中間のほどほどを行かなくちゃいけないのかな(笑)なんて感じました。長く勤めて辞めた後も、IBMに20年いた人を欲しがる会社は同業種かパートナー会社がほとんどで、確率的に給与も下がる可能性も高いし、夢がないなと。

 

 そのときに、「起業した方がむしろ安定するな」と思えたんです。誰かに雇われないと食っていけないって、それだけで不安定だなと。いざとなったら1人、あるいは仲間数人とスモールビジネスでやっていける設計ができれば、世の中景気が悪かろうが関係ないなと。会社で自分の席を守ろうとする方がよっぽど不安定だなと。実はみんなが安定だと思っている方が、不安定なんだなと気付いてしまったんです。

 

――そこからスローガンを立ち上げて。でもしばらくは売り上げも上がらなかったんですよね。それでも会社を続けられたのはなぜですか

 今思えば勘違いかもしれませんけど、「これは社会的にやった方が良いことだ」と、自分だけが気付いてしまった状態、とでも言えばいいでしょうか。優秀な人が伝統的な大企業に行って、志を失うことを繰り返している。これをやめさせないと、行く前に気付かせないと、と。

 

 そこでの僕の活動は単純で、大企業の内定もらって自分が勝ち組と思っている学生と一人一人会って、ビンタみたいなことをすると(笑)。本当にビンタするわけじゃないですよ(笑)。「お前は何をしたいの?」と。「自分のため自分のためってやってても虚しいだけだよ」「本当の幸せは社会にいい影響与えられたときだよ、そのレベルでやらないと満足感ないよ」と、自分の経験も交えて話していくんです。内定して就職前の学生ならば、「自分にはこういう夢があった」と話してくれるんですね。そういう志があるのなら、その会社にいたらできないぞ、と。一回大企業行ってもいいけど、志捨てるぐらいなら出て外で実現しろ、と。こうして、一人一人会ってビンタしているっていう活動だったわけですよ(笑)。誰からもお金もらえないけど、社会に必要なことだと確信して続けていました。

 

 そのうちに、何人か大企業行くのをやめる人が出てきた。そういう人たちを、志持ってやっているベンチャー企業とつなぐんです。こうしてベンチャー企業が「ありがとう」と感謝してくれて、だんだんビジネスになって行ったんですね。自分たちがやっていることは、世の中にグッドインパクトを与えるはずだと信じられた。それが続けられた理由ですね。

 

――なるほど……最近、東大生の中でも、起業する人が増えてきているという実感がありますね

 僕もそう感じます。かつて、手堅く努力をすれば報われるというのが、戦後長い期間においてはあった。戦後の復興から右肩あがりで来たのが日本経済で、その中でリーディングカンパニーにいて、その中で序列トップに入れば、いい人生設計ができる時代は確かにありました。しかし、それがもう崩れていますよね。特に今の大学生世代からするとここから20-30年かけてもっと崩れていくことは確実ですよね。大学生からすると、もうそういうものに期待しない。ある程度、学生のうちからちゃんと社会について知ろうとしたら、それに気付かざるを得ない。だから起業が増えているのかもしれませんね。

 

――確かに、情報を集めて総合的に考えれば、そういう結論になるとは思います。しかし、その未来予測を信じられない学生も多いと思います

 僕の就職時は2000年くらいで、まだインターネットビジネスはこれから、という時でした。「モノをネットで買うのは怖い」「ウェブでクレジットカードを登録するなんて危ない」という時代でした。インターネットを使うのが、経済のメインストリームではなかった時代です。もちろん、「インターネットが世界を変える」といわれてはいたんですけどね。「テレビや新聞はこれから大変なことになる」といわれつつも、インターネットで一番大きな会社であるYahoo! Japanでさえ、社員数は200人ぽっち。「こんなちっぽけな会社にテレビ局や新聞社が負けるはずがない」と誰もが思っていました。確か当時、インターネット会社の平均給与はまだ500万ほどで、その瞬間のスナップショットで見ると、「やっぱり平均年収1500万円のテレビ局だよね」と。

 

 しかしそこから18年たって、インターネットのトレンドがじわじわ実現していきました。今ではテレビ局に行くよりもネット企業に行った方が面白いと思う学生が増えているんじゃないですかね。物事を10年スパンで見ることができればいいのですが、その瞬間を生きている若者がその動的な時系列を捉えるのが難しいですよね。

 

 

――未来の変化への確信を持つにはどうすればいいでしょうか

 経営者の自伝とかを読んで、産業の移り変わりを感じられればいいのではないでしょうか。それこそ東大新聞の大先輩でしょうけど、リクルートの創業者について書かれた『江副浩正』(日経BP社)という本、いいですよ。その本で、「東大から初めて証券会社に行った人が出た」と書いてあるんですよ。当時、証券会社は銀行の格下と見られていたので、証券に行くと「株屋」呼ばわりされて、「親不孝者」とか言われてた時代だったんですね。でもご存知の通り、証券会社は金融の中では今や花形ですから。時代の常識は変わり、良いとされているものも、40年経てば様変わりです。学生は自己分析もいいけれども、経済史をきちんと学ばなければと思いますね。

 

――伊藤さんも学生時代、本をたくさん読んでいたのですか

 いや、恥ずかしながら全く(笑)。だから僕は、大学での学びの在り方について、批判する権利すらないと思っています(笑)。

 

 僕が学びに目覚めたのは、社会人になってからで、さっきも言った限界を感じたときからです。同期も「このままではまずい」と気付く人が多かったのですが、彼らはみんなITの勉強をし始めたんですね。「情報処理何級」とか、「上級システムなんとか」とか、わかりやすい「資格」の勉強にみんな走るんですよね。でも僕は資格の勉強にはテンションが上がらなくて。それで、大前研一さんとか堀紘一さんの本とか、果てはドラッカーとかを読んで、「こっちだな」と。問題解決力と言うのでしょうか、重要な力なのだけど、決して資格にはできない力。「上級問題解決資格」とかないじゃないですか(笑)。

 

 他の人は資格として分かりやすい方の勉強を頑張っている中、僕は「ふわっとした」方に努力をした、ストイックに資格の勉強をする人は多いけど、ストイックにドラッカーを読む奴はあまりいない。だからこっちで突き抜けられるなと。そういう構造があると、当時気付いたんです。東大生はこういう「ふわっとした」勉強は苦手なんじゃないかな。用意されたハシゴを登りたがるし、実際登れちゃう力があるから、市場価値を上げにTOEICの勉強に走っちゃう。次はMBA取ろうとか思っちゃったり。ドラッカーを読むとか、心理学とか哲学とか人間について学ぶ人間学みたいな「ふわっとした」勉強は、ハシゴは用意されていないけど、長い目で見ると、そっちの方が価値があるのではないか、と思ってました。何故それに価値があるのかと言うと、ビジネスは人間を理解することに、究極は尽きるからです。何かをするにしても、人を介して人を動かさなければならないからです。しかし、「人間学1級」というのはなくて、そこをストイックに学び続ける人がいないからこそ、逆に秀でられるチャンスなのではないか、と考えていました。

 

――なるほど、学びにまつわるその対立した二つの捉え方は面白いです

 僕も東大卒なので、自虐を込めて言いますが、東大生の半分以上は、中高時代に他にリスクのあるボラティリティー(*金融の言葉。「価値変動性の度合い」ことを意味する)の高いところに投資できなかった。スポーツとか音楽とか。勉強という手堅い努力の向かう先に突っ込んだだけで、リスクに張る勇気がない人が来てる。ボラティリティーが高いところに張れなかった自分をメタ認知しないと。どこかで大きいなのを狙わないと、ほどほどの人生で終わるよ、と。僕はこれを「秀才のジレンマ」と読んでいます。

 

――しかし東大生たるもの、「自分の学歴が優遇されないところ」には行きたくない、学歴が評価されるところに行きたいと思っている人が多いと思います

 いやあ、他ならぬ僕もそう思っていましたよ。高卒だろうが東大卒だろうが関係ない、実力主義だ!という組織には行きたくないですよね(笑)。コミュニケーションが上手、明るく低姿勢でペコペコ、が重視される仕事より、ある程度インプットが必要で、難しいことを説明する必要がある仕事の方がいいなと。

 

 しかし、ただ東大卒であることが有利だっていう会社はむしろ危ない。実力主義でない時点で、その会社は20-30年後落ちぶれて崩壊する可能性が高いと思った方がいいと思います。

 

 はっきりと認識を変えなければいけないのは、「報われるかどうか分からない努力をできることが世の中では重要」だということです。やれば報われる努力をすることの価値って、実はそんなに高くない。医者・弁護士・会計士といったライセンスビジネス、経済的リターンが確実に保障されているように思える仕事を目指して頑張ることを褒めるのは、実は程度が低い。一方で、起業家の本を読んで起業家を目指すなどといった、不確実性の高い努力は価値が高いのではないでしょうか。リターンが怪しい所に努力量を投下できるのは貴重な才能です。そちら側の努力を東大生は避けてきた可能性が高いのではないでしょうか。「このままではやばいぞ俺たち」と思って、リターンが比較的見込めない所に努力した方が、「結果的に安定」するのではないでしょうか。

 

2018年2月26日17:50【記事修正】1枚目の写真を差し替えました。

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