スポーツ

2022年10月23日

「日々、目の前のことを全力で」東大出身箱根ランナー 近藤秀一さんインタビュー

 

 2019年1月に開催された第95回箱根駅伝に東大生として出場した近藤秀一さん。その後、陸上に強い実業団GMOアスリーツの一員として競技に打ち込みつつ、東大大学院総合文化研究科で身体運動科学を研究する異色の経歴を歩んだ。今年4月に現役を退いた近藤さんに、高度な文武両道に挑んだ半生から得た知見、受験生へのメッセージを聞いた。(取材・清水央太郎)

 

箱根も東大も、夢にも思っていなかった

 

━━陸上を始めたきっかけは何ですか。またどのような幼少期を過ごしましたか

 

 きっかけは消極的なものでした。小さい頃って誰しもがサッカーやソフトボールなどの球技をプレーする機会があると思うのですが、僕はどれも向いてなくて。走るのは嫌いではなかったので、住んでいた町に偶然あったランニングクラブに通い始めました。当時は校内ですら一番になれてなかったですし、将来箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)に出られるなんて夢にも思っていませんでした。

 

 勉強についても、地元の小中学校ではいずれもトップクラスの成績だったと思いますが、なにぶん田舎の狭い世界しか知らなかったので(笑)。自分も周りも、東大に行くことになるなんて全く思っていませんでしたね。

 

   

 

━━箱根駅伝や東大を目指し始めたのはいつですか

 具体的な「ここ」という瞬間はないのですが、どちらも高校時代だったと思います。箱根駅伝自体は、出身の静岡県函南町(かんなみちょう)が箱根に近く、中学生になってからは応援にも行っていたのでずっと憧れはありました。そのため漠然と、大学に行くなら箱根駅伝の出場資格のある関東の大学に行こうとは思っていましたね。

 

 そんな自分が高校2年次、5000m走で当時同世代のなかで 30番以内に入れるタイムを出せました。この時に箱根駅伝が「夢」から「手を伸ばせば届きそうな目標」になった気がします。箱根駅伝で優勝も経験している強豪校からのお誘いも頂いたのですが、不思議なことにそういった厳しい環境で寮生活をして箱根を目指すイメージは湧きませんでした。

 

 その点東大は関東学連選抜チーム(注1)から箱根駅伝を目指せますし、学業と競技を両立して続けられる。当時の自分の学力では遠く及びませんでしたけど、自分にとって理想的な大学でした。だから受験生の頃「学連選抜が廃止されるかもしれない」というニュースが流れた時は、気が気でなかったです。結局名前を変えて存続してくれましたけど、もしあのまま廃止されていたら東大は絶対受けてなかったですね。

 

注1:箱根駅伝予選会で敗退した大学の中から、好タイムを残した選手を選抜し、箱根駅伝本選に参加するチームのこと。2014年には編成されず、15年以降は関東学生連合チームとして存続した。

 

「自分は頂点には立てない」高校時代に探ったオンリーワンの道

 

━━ここまでのお話を踏まえると人生の転機はやはり高校時代ですか

 

 そうですね。僕が通っていた静岡県立韮山(にらやま)高校は地域で1番の進学校であると同時に陸上の強豪校でもありました。同級生に200m走の日本中学記録保持者や、後に東大理Iに+100点以上で合格するような秀才がいる環境は、狭い世界で育ってきた自分には衝撃でした。この時に「自分は何かの分野でトップに立てる人間ではないんだ」と悟りました。

 

 ただもともと僕は「自分の完全上位互換となる存在は作りたくない」という信念を持っていました。他人に「陸上」や「勉強」といった一つの分野で負けたとしても、他の全ての面で負けることだけは絶対に避けたかったんです。だからこそ、こうした環境の中で自分を差別化するために「東大から箱根駅伝に出場する」という目標が生まれたのだと思います。ある意味、適者生存的な考えですよね。

 

 勉強にしろ、スポーツにしろ、同世代でトップに立てるのはせいぜい上位 10人程しかいません。でも東大には年に3000人も合格するし、箱根駅伝も毎年 200人出場できます。勉強か陸上のどちらか一つで、同世代の上位10人を目指すよりも「東大に入る 3000人と箱根に出場する200人の両方に選ばれる存在」を目指す方が自分に合っていたし、しかもそんな存在を目指すライバルはほとんどいないことに気付いたんです。

 

東大在学時代の近藤さん

 

━━目標を実際に達成することは簡単ではなかったと思います。勉強と陸上を両立するコツはありましたか

 

 本当はここで効率の良い勉強法とか授業への取り組み方を言えたら良いんでしょうけどね(笑)。高校の頃は本当に陸上に打ち込んでいたので、あまり具体的な勉強のコツなどは教えられないです。すみません。

 

 ただ後から振り返ると、当時の自分を助けた理屈が一つあると思うのでそれを紹介します。

 

 それは成長には「閾値」(いきち)が存在するということです。勉強にしろスポーツの練習にしろ「本人が投入した努力量」と「成長の度合い」は、常に比例関係にあるわけではありません。もしそうなら、人間は自分の知能や身体能力を極限まで引き伸ばせてしまえますからね。だから努力と成長が釣り合わなくなるとき、つまり成長し切ってしまい、努力して伸びしろが生まれなくなる瞬間がいつか必ず来るんです。自分は陸上でも勉強でもこの現象を体感できました。だからこそ、伸びしろがない状態になっても無駄に努力を割いたりせず、勉強にも陸上も成長が止まる直前の最適な努力量の分配が出来たのだと思います。この考え方は、2次試験の目標点の設定と、それに応じた勉強計画の策定をする際にもとても役立ちました。

 

 ただ一つ覚えておいてほしいのは、自分は勉強や陸上に取り組む前からこの「閾値」の考え方を理解し、リソースを配分していたわけではなかったということです。あくまで目の前にあった「陸上競技」と「勉強」という二つのタスクから逃げずに、真正面から取り組み続けた結果得られた知見なんですよね。だからこそ、難しく考える前にがむしゃらに取り組むのも大切な気がします。

 

━━現役時に不合格となってしまった後、予備校に行かず自宅で浪人生活を送りました。また大学入学後も自主的な練習が多かったそうですが、一人でも成長できるコツはありますか

 

 浪人期も、現役時から取り組みや考え方は変えず地道に頑張っていただけなので苦ではなかったですね。予備校に行かなかったのは、予備校が近くになかったために毎日電車で移動せねばならず、その結果陸上の練習時間が削られるのが嫌だったからです。大学1年次から学連選抜で箱根駅伝を走ることを目標にしていたので、浪人期も陸上のトレーニングは欠かしておらず、毎日20km近く走っていました。東京まで陸上の記録会に参加しに行って、秋には高校時代の自己ベストを塗り替えることができたんですよ。

 

━━それはものすごいですね。ただ箱根を争うライバルたちは近藤さんが浪人している間に、レベルの高い環境で成長していたと思います。このことに焦りは感じませんでしたか

 

 「差が付いてしまったな」とは思いました。ただ焦ることはなかったです。さっきあれほど「他人との差別化」の話をしておいてこんなことを言うのもあれですけど、比較って無理にする必要は無いと思うんですよね。たとえば僕は大学に入って以降、けがなどもあって大体月に500kmほどしか走れてなかったんです。箱根駅伝に出場する大学生は月に平均800km 前後走ると言われています。当然他の選手に比べたら少ないわけですけど、そんなこと比べるまでもなく分かり切っているじゃないですか(笑)。だからわざわざ比較して落ち込むぐらいだったら、自分の成長の足しになることを考えた方が良いと思ったんです。他人という存在は自分の立ち位置を知ろうとする時に比較して照らし合わせられれば助かる存在であって、他人との比較が自分を成長させてくれるわけではないんですよね。あくまで、過去の自分と現在の自分を比べて成長を実感することが大切だと思います。

 

19年、第95回箱根駅伝で関東学生連合チームの1区走者として大手町をスタートする近藤
さん(右端)

 

「今までの延長線上にない自分が見られるはず」信じた直感

 

━━東大卒業後は強豪実業団のGMOアスリーツに入団しています。入団を決めたきっかけは何でしたか

 

 GMOからは大学3年の秋に花田勝彦前監督に声を掛けていただきました。当時のGMOアスリーツはまだ結成されて間もない新興チームだったのですが、一色恭志さんや高校時代に県内でライバルだった下田裕太さんなど、強豪青山学院大学のエース格の選手が何人も入団していて、すごく面白そうなチームでした。

 

 ただ引退して転職活動を経験した今だからこそ分かるのですが、実業団でたった3年競技を続けただけのキャリアって、陸上以外にほとんど使い道がないんですよね。実際僕が卒業した翌年に、同じように東大から箱根に出場した選手が居たのですが、彼は実業団には入りませんでした。その後の人生のキャリアを考えたら「入らない」という選択の方が、合理的なのかもしれません。仮にもう一度同じ人生を歩めたとしたら、おそらく実業団には入っていないと思います。

 

 でも当時の自分は、そんな実業団という環境に魅力を感じたんです。大学卒業後に実業団で競技を続けている選手って、先ほど話した成長の閾値で考えたらほとんど全員「伸び切ってしまった」選手だと思います。それでも、その残り1%あるかないかの伸びしろを生み出すべく、自らを極限まで追い込んで練習するわけです。そんな環境では「今までの延長線上にはない自分が見られるのではないか」という「直感」がありました。この直感に動かされた選択って、当時の自分にしかできないものだったと思います。今でも、直感を信じてチャレンジを決めた当時の自分のことは誇りに思っています。

 

━━GMOアスリーツに入団してから今年4月に引退するまでの3年間で培った経験について教えてください

 

 他人のやり方を一度参考にしてみることの大切さを学べた気がします。振り返れば自分は高校でも大学でも、陸上部に入った瞬間からエースでした。同じ部の仲間たちと競い合う経験をしたことがほとんどなかったんです。でも GMOに入部した時点での自分の実力は、間違いなくチームで一番下でした。そこではじめて自分よりもレベルが高い仲間たちと同じ練習方法に必死で喰(く)らいついてみる経験をしたんです。決して楽ではありませんでしたが、この経験があったからこそ、1万メートル走の自己ベストタイムを1分程度更新できましたし、ニューイヤー駅伝にも出場できたんだと思います。現在の職場でも、この「他人のやり方を参考にすることの大切さ」はものすごく実感していますね。

 

━━最後に受験生へのメッセージをお願いします

 

  高校時代って「ただ目の前のことを全力でやる」経験ができる最後のチャンスだと思います。大学に入学して以降は、高校の頃とは比べ物にならないほどの情報が流れてきて、目の前のことに夢中になるのは難しくなってしまいますからね。そうなると人って、経験してもいないことを一丁前に理解した気分になってしまうんです。

 

 僕はそれがいいことだとはあまり思いません。今日僕が話した内容は「生まれた時から知っていたもの」や「他人から聞いたもの」ではなく、常に僕の目の前にあった「練習」や「勉強」に必死に取り組んだからこそ、得られたものばかりです。必死に何かに取り組んで手に入れた知識や経験って、たとえ結果が伴わなくても一生忘れないし、自分を助けてくれると思います。時にはしんどいこともありますが、がむしゃらに頑張った人だけが見える景色があることは忘れずにいてほしいなと思います。

 

 

近藤秀一(こんどう・ しゅういち)さん 静岡県立韮山高校を卒業後、1年間の浪人生活を経て15年に理IIに合格。大学4年次に第95回箱根駅伝に出場し、「東大総長賞」を受賞した。21年東大大学院総合文化研究科修士課程修了。現在は一般企業に勤務。

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