INTERVIEW / OBOG 2014年6月13日

「『東大生思考』を捨てよ!」 ボルテージ津谷会長からのメッセージ

東大を卒業後、大手広告代理店在職中にUCLA映画学部に留学し、帰国後に起業。そんな経歴を持つ津谷裕司氏は、今では携帯向け恋愛ゲームで知られる株式会社ボルテージ(東証一部上場)の会長を務めています。『コンテンツビジネスのすべてはUCLA映画学部で学んだ。』(幻冬舎)の著者でもある津谷会長に、今回東京大学新聞社オンラインの記者がインタビューを行いました。家庭環境の影響、東大での学生時代、新しい事業まで、著書には書かれていないことについてもお話してくださいました。最後には東大生へのメッセージも。

tsutani-kaicho1.jpg

——津谷さんは、学生時代をどのように過ごされていましたか?

大学時代は、表面的に言うと楽しい時間でした。僕は、工学部の都市工学科の出身なのですが、学科では実験が多く毎日忙しかったですね。忙しい中でも、在学中に友人とこぢんまりとした学習塾を作ったことがあり、そのメンバーでテニスやスキーに行ったりしていました。ですから、パッと見は普通に楽しい大学生活をすごしていたように思います。

ただ、入学当初は、目的を見失ってしまいました。僕は福井県出身なのですが、通ったのは特別な進学校ではなく、現役東大合格は僕が初めて、というような高校でした。そのためか、勉強に対するスタンスが都内の進学校出身の学生とはだいぶ違いましたね。

僕は「NASAでロケットを飛ばしたい」という願いを持って大学に入ったのですが、そういう自立した目的意識を持たずとも、大人の作ったレールに乗っかってまじめに勉強がこなせてしまう人が東大には多いように思いました。それでどうにも勉強する気が起きなくなってしまい、先に進む目標が見えなくなってしまいました。

——そうした中で、博報堂に入社されます。どのような背景があったのでしょうか?

子どもの頃から物を作ったり絵を描いたりするのが大好きだったので、そういうクリエイティブなことを仕事にしたいと思いました。実は、大学受験も「東大か美大か」と迷ったほどです。

広告代理店だけでなく建築事務所からも就職の内定をいただいたのですが、マスメディアの仕事により強く興味を持っていたので、博報堂に入社しました。当時(1985年)はテレビの全盛期でもあったので。

就職活動の時から今に至るまで、「ものづくりとビジネスをつなげたい」という思いを持っています。芸術的な、クリエイティブなことに憧れる一方で、実家が町工場を経営していたこともあり、ビジネスという観点が幼い頃から染み付いていたのだと思います。「親が起業家だと、子どもも起業家に育つ」パターンがありますけど、よく分かる気がします。自助心の強さが受け継がれるというか・・・。都会で両親ともサラリーマンをやっているような、いわゆる「普通の」家庭とは、もしかするとテンションの波が違うのかもしれないですね。

——博報堂在職中に、UCLAに留学されていますね。

会社に入って2年が過ぎると、下働きのアシスタントから脱皮して一人前として仕事をこなすことができるようになると同時に、将来が見えてしまう部分もあるんですよね。ある意味、仕事がつまらなくなってしまうとも言えます(笑)。

そんな時、コンサルティング会社に行っている友人からMBAの存在を聞きました。外国の大学院に行くという選択肢について考えた時、仕事でプロモーション映像の作成に携わった経験もあり、映画について新たに学んでみたいという思いが出てきて、UCLAを受験しました。合格通知を受け取ると、休職してUCLAに私費で行きました。その時には退職する覚悟でしたね。

——UCLAへの留学後、ボルテージを起業しています。起業するにあたって、留学はどのように役立ちましたか?

観客から共感を得ること、そのために自分自身ととことん向き合って弱さを知ることが重要であることを学びました。それと同時に、成功をつかむためには、コンテンツ制作に注ぐエネルギーや時間は半分に留め、残りの半分は「いかに売るか」に費やさなければならない、ということに気付けたのは大きかったですね。

そして、アグレッシブであることの大切さ。それがアメリカの良さでもあり、起業する時に必要なマインドの部分であると思います。

とにかく、起業するにしても、コンテンツビジネスでクリエイティブなことをするにしても、待っているだけではチャンスは与えられないんですよね。自分から扉を叩いた時に、初めてチャンスが訪れます。それは、100回叩いて1回しか開かないかもしれない。でも、誰かが開けてくれる時が来るかもしれないので、99回無視されても諦めずに叩き続けるべきです。

——津谷さんから見て、今の学生はどのように見えますか?

僕たちの時代から変わった点としては、今の学生は大学時代に分かりやすいことをわざとやっている気がします。就活の面接によどみなく答えるためか分からないけど、例えば「ボランティアをやっていました」、「学生団体でリーダーを務めていました」とか・・・。爽やかな学生、といったステレオタイプな印象は残りますけど、「この人本当にそれをやりたくてやっていたのかな」と疑いたくなるような人もいます。僕は基本的にそういう経験自体は評価しないですね。それよりも、自分の頭で考えていること、自分自身の問題として悩んでいることを表現する方が、よりよく自分のことを分かってもらえると思いますよ。

——今後の夢を教えて下さい。

まずは、ボルテージをアメリカで成功させることですね。シリコンバレー発のクールジャパンのような取り組みを進めていくつもりです。

それと、新しい映画の脚本も執筆中です。新しい映画のスタイルを構築することを目指しています。楽しみにしていてください。

——最後に、東大生へのメッセージをお願いします。

東大出身の経営コンサルタントに邱永漢さんがいます。その方が以前おっしゃっていたことなのですが、「どんなに有名な企業に入ったとしても、自分が『どうも違うな』と感じたらそこから飛び出せ」ということです。人生は1回しかないんだから。27歳頃って、誰しもが「このままでいいのだろうか」と迷う時期なのだと思います。僕が留学を決めたのもその頃でしたし。

東大卒の肩書きは20代のうちはプラスになるだけではなく、色眼鏡で見られたり過剰に期待されたりと、自分を縛る要素になるかもしれません。でも、会社の名前ですら30歳をすぎたら関係なくなりますから、自分が一体何をやりたいのかを自問し続けることが大切ではないでしょうか。

東大卒で、起業している人はそれほど多くないと思います。出来上がった道を探してそれに従おうとするのが、東大生的な思考なのでしょうね。ただ、「それって面白いかなあ」と僕は言いたくなりますね。

海外に行く、外の世界に飛び出してみる、といったことを体験してみてください。学生の皆さんには、前人未到の道を自ら切り開いていってほしいと思います。

tsutani-kaicho2.jpg

プロフィール

津谷祐司(つたに・ゆうじ)
ボルテージ会長
1963年生まれ。85年東京大学工学部卒業後、博報堂入社。93年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)映画学部大学院監督コースに留学。97 年帰国し、復職するも99年に独立し、ボルテージを設立。携帯向けの恋愛ゲームで急成長させる。2010年マザーズ、2011年東証一部上場。13年に社長から会長に就任。アメリカ・サンフランシスコに拠点を置く。

文 東京大学新聞社オンライン編集部 荒川拓・後藤美波

本インタビューは、東洋経済オンラインとのコラボレーション企画として行われました。東洋経済オンラインのインタビューでは、取材時の写真も多数掲載。こちらのバナーから!img_b07b7f495d75049e7192d3e49adcfa6325359.jpg

同じ記者の記事

関連記事

合わせて読みたい

INTERVIEW / FEATURE 2015年05月13日

「起業は学べる技術」帝国大出身の祖父を持つ木寺氏が後進育成に熱心な理由

INTERVIEW / FEATURE 2014年11月04日

【ショート・ターム試写会特別企画】フォスターケアの現場で働くということ

INTERVIEW / OBOG 2016年07月25日

これからのエンジニアに求められるもの プリファード西川徹さんの青春に学ぶ

NEWS 2016年07月18日

予定調和を崩すには? 交流会に東大生・卒業生400人が参加

EVENT 2016年04月13日

金融機関の生き残り策は“プラットフォームビジネス”…FinTechイベントレポート①

TOPに戻る