GRADUATE

2025年8月29日

より多くの人に届く音楽を目指して もがき、まなび、つくる日々 シンガーソングライター キタニタツヤさんインタビュー

 

 TVアニメ『呪術廻戦』第2期「懐玉・玉折」のオープニングテーマ「青のすみか」を歌い、『第74回 NHK 紅白歌合戦』への出演を果たした、シンガーソングライターのキタニタツヤさん。

 東京大学を卒業後、異例の進路としてミュージシャンの道を選んだキタニさん。幼少期から大学時代に至るまでの歩みを振り返りながら、進路選択の背景にあった葛藤や苦悩、そして決断の瞬間について話を聞いた。
(構成・松本雄大、取材・清水央太郎、高橋柚帆、松本雄大、写真は特記ない限り2024年に日本武道館で行われたライブの様子、全てスマイルカンパニー提供)

 

アジカンに触発された音楽への熱意

 

──音楽や勉強に興味を持ったきっかけは何ですか

 音楽に関しては本当に幼い頃から好きでした。父親はミーハーな音楽好きだった一方で、母親はマニアックな海外のロックとかパンクとか反骨精神系の音楽が好きで、生まれた時からいろんな音楽に触れていました。二人とも歌うのも好きで、家の近くのスナックに連れて行かれて歌うなんてこともしばしばありましたね。

 

 小学2年生くらいの時にASIAN KUNG-FU GENERATIONがデビューし、その曲を聴いてからは親に影響されるだけでなく、能動的に自分の好きな音楽を探しに行くようになりました。スペースシャワーTVといったケーブルテレビを契約してもらって、インディーズバンドのMVを永遠と流し続けながらお気に入りを見つけて、タワレコでCDを買ってもらったり、ライブに行ったりということをしていました。

 勉強に関しては、小学5年生の時にみんなが行ってるからという理由で塾に通い始めるようになりました。中学受験はしなかったのですが、塾内の全国模試を受けるとかなり上位の成績が取れて、自分は勉強が得意なんだと気付きました。勉強ができることによって親も塾や学校の先生も褒めてくれるので、子供ながらに承認欲求が満たされる感じがあり、中学校まではテスト前や授業中は頑張るといった模範的な感じでコツコツ勉強をしていました。

 

5歳の頃のキタニさん

 

──音楽制作はいつ頃から始めましたか

 

 高校生になると自分で楽器を触るようになり、音楽を聴くだけではなく、作ることにもハマっていきました。そこからライブハウスで自分の曲を披露するようにもなるのですが、だんだん学校の成績が下がり始めてしまって。高一の時は校内の実力試験でも上位20%を維持していたのですが、音楽制作にのめり込んだ高二では平均付近になってしまい。ただ音楽で人から認められるようになったことで、勉強以外で人から認められる経験を得られたのがすごくうれしかったですね。

 

 高三の夏前まではライブハウスでライブをしていましたが、そこから受験期になると学校全体が一気に受験モードに変わり、自分もそれに合わせる形で一度音楽活動は辞めました。

──音楽活動を辞めることに抵抗はありませんでしたか

 音楽活動を続けたい気持ちは当然ありましたが、半年間ほど休んで勉強に打ち込むことも良いかなと素直に思えましたね。友達と勉強を教え合ったりすることも結構楽しかったですし。

──受験生時代の得意科目は何でしたか

 自分は文系だったんですけど、地理や世界史などの社会科がすごく好きでストレスなく勉強できました。でも、国語はセンター試験と2次試験共に結構ひどくて、特に2次試験では10点か20点くらいしか取れなかった記憶があります。反対に数学や化学はセンター試験で満点を取れるほど得意でした。社会科にも共通して言えますが、カチッとした事実があって、型にはめて脳トレみたいなパズルゲームを解く感じでやるタイプの教科が得意でした。

──音楽制作は型にはまっていないものだという印象を持っていたので、型があるものが好きというのは少し意外です

 

 自分の音楽の作り方はどちらかというと型にはめていくことが多くて、その型が細分化していろんな形に派生していくことで独自のものを作っているように見えているのではないかと思います。なので作曲に関しては0から1を自分で生み出している感覚は全くないですね。天啓を受けてつくるクリエイティブなものではなく、既知のものでなるべく存在していない組み合わせをして新しいものを作ろうというイメージがあります。実際、音楽理論など音楽が成り立つ仕組みを学ぶのが好きで、大学の講義中も授業そっちのけでそういうウェブサイトを見て勉強したりしてましたし、今も理屈っぽく作られてる曲をよく聴いたりします。

 

 一方で、歌詞に関しては自分の心の内側から湧き出たものではないと書けないし歌えないので、全くないところから捻り出している感覚はあります。

━━型にはめていく作曲ということは、普段の作曲でもメロディが降ってくるというよりも、コード進行から作るパターンが多いのですか

 

 コード進行を自分でベタ弾きしながら、そこにメロディを当てにいくパターンが本当に多いです。たとえば「F-G-Am」というよくあるコード進行があるのですが「最初のFのコードに対してGの音程のメロディをあてる(結果的にコードとメロディでadd9thのようになる)と心地良い」など、今まで培った経験則からメロディラインが作られていくイメージです。こうした経験則を発見するために普段からアンテナは立てていて、某チェーン店で食事中に店内でかかっているオリジナルBGMのコード進行を聴き取って「どんなメロディを当てると心地よくなるのか?」と考えたりしていますね。

 僕自身「メロディが降ってくる」という感覚を味わえたことはほとんどないです。「降ってくるメロディで作曲してます」みたいに言えた方がカッコいいので、憧れてはいるんですが(笑)。

 

ライブ写真

 

 

教養を幅広く学んだ東大時代

──前期教養時代はどのようなことをして過ごしましたか

 主に音楽活動をサークルに入って行ってました。TOKYO COMというパソコンで音楽を作るサークルでは、部員が一曲ずつ出し合って作ったアルバムを五月祭などで売ったり、弾き語りサークルの東大アンプラグドでは、路上ライブによく出演したりしていました。アンプラグドの先輩だった伊沢拓司さん(株式会社「QuizKnock」代表)が、僕の作った曲のフレーズをコピーしてくれるなんてこともありました。五月祭ではクラス企画の唐揚げ串売りの責任者を担当したりして。今振り返ると、意外と大学生らしいことをやっていますね。

──複数のコミュニティーで精力的に活動していたのですね。クラスではムードメーカー的な存在だったのでしょうか

 全く違いましたね。中高まではクラスのムードメーカーを自負していたんですが(笑)。自分のクラスには私立中高一貫校出身の人が多く、公立高校出身の僕はなじみにくく感じていました。でも、先日の武道館ライブにクラスメイトが来てくれていて、僕はそこまでクラスで浮いていなかったのかなあと安心しました(笑)。ほろりと来ましたね。

──後期課程では文学部美学芸術学専修に進学されています

 卒論で選べるテーマの範囲が広く、苦労が少なそうだという消極的な理由で選びました。もともと興味のあった言語学や心理学、哲学などを扱う学科なら何でもいいかなと思っていたんですが、勉強を真面目にやっていて成績がよかったこともあり、進振り(現・進学選択)では第一志望の美芸に入ることができました。

──東大での学びが、今の音楽活動に影響を与えていると感じる場面はありますか

 

 東大では、何かを狭く深く勉強するよりも一般教養を広く浅く学ぶのが好きで、概論の授業ばかり履修していました。美学芸術学専修は必修が少なく、興味のある授業をたくさん取れるのもよかったです。講義というより、毎回違うテーマの講演会を聞きに行くような感覚で勉強していましたね。だからこそ、あらゆる分野に対して、分野特有の論理の組み立て方や文脈がある程度まで理解できるようになって、それは社会に出てもすごく役立っていると思います。大学でしかできない勉強の仕方でした。

──周囲の学生が就活を進める中で、音楽の道で生計を立てていくのではなく、一般的な企業に就職することを選択肢として考えることもあったのでしょうか

 就活はまったく考えていませんでした。そもそも、大学に入ってひとまずゴールしたような気持ちになっていたので、その後まさか就活をしなければいけないなんて全くの想定外でしたし。

 

 入学後は、東大内の友人より、インターネットを通じて知り合った、自分と同じように作った音楽をインターネット上にアップロードしているアマチュアの仲間と多く時間を過ごしていました。大学2年の時に、先輩が卒業後は就職をせずフリーで作曲を続けていくと話していて、衝撃を受けました。立派な作曲家の先生じゃなくても、駆け出しのアーティストの楽曲制作など、音楽でお金をもらう仕事は無数にあって、自分のスキルでもやっていく方法があるんだという当たり前のことに初めて気付いたんです。そこからは、音楽の仕事を受けるために少しずつ準備を始めました。今僕がアーティスト部門で所属している音楽事務所の作曲家部門に、自分で作った曲のデモCDを持ち込んで、楽曲のコンぺを紹介してもらったりしてました。10曲書いて9曲無駄になったとしても、1曲だけ引っ掛かればそれでいいわけです。そうして在学中から少しずつ仕事がもらえるようになり、卒業後もこの道に進もうと決意を固くしました。

 

ライブ引き画像

 

東大の外にも目を向け、視野を広く保つ

──一方で、東大ではなく音楽大学に進んで、専門的に音楽を学ぶという道を考えたことはありますか

 自分の周りには自分で調べながら音楽を勉強している人が多かったこともあり、それはあまり考えていませんでした。体系的に勉強したくなったら、大人になってからいくらでもやれますし、知識を身に付けるだけでは音楽を作れるようにはならないからです。実際に手を動かして失敗作をたくさん作りながら、なぜ失敗したのかを一つずつ学んでいき、足りないものを身に付けるという勉強の仕方が良いと思います。実際、自分にはそれが合っていました。

 

──今年の第97回五月祭では学生向けに講演会をされていました。久しぶりに東大を訪れて、東大に対して懐かしさや愛校心を感じましたか

 テレビ業界の人で東大出身の方とよくお話するんですが、普段はあんまり愛校心というものを感じていなかったんですね。ただ、いざ久しぶりに来てみると、懐かしさですごくテンションが上がりました。ここ(取材が行われた本郷キャンパス第二食堂)にも時々本を買いに来ていたので、当時の記憶をいろいろ思い出しますね。

 

 キャンパスの環境や居心地が良くて、自分はここで育ったんだという実家の安心感に近いものを感じます。これから時々散歩に来たいです(笑)。

──東大生は選択肢が多くあり、一見自由に思える一方で、大学以降の進路において、肩書きによるある種の制約を受けているように感じます。本当にやりたいことを貫くにはどうすればよいでしょうか

 本当にやりたいことが見つかっている人であれば、自分で道を切り拓いているように感じます。一方で重要なのは本当にやりたいことに出会えている人が少ないのではないかということです。

 

 東大が与えてくれる選択肢にも偏りがあるかもしれません。実際自分は大学1年の夏に初めて音楽の友達ができたんですが、その方はネットで知り合った人で、専門学校を出て、ライブハウスの音響をしている人でした。その時点では数ヶ月しか東大に所属してませんでしたがすでに自分も偏った価値観になっていたのか、話していてカルチャーギャップを感じることがありましたね。社会とずれがあることはどうしようもないことですが、どのコミュニティにも偏りがあり、視野が狭くなっているということにまず気付くことが大事だと思います。その上で自分が本当にやりたいことの種やその手掛かりを見つけられるのではないかと思います。

 大学の中にいるとやりたいことが見つからないという人も、外に目を向ければ広がっているはずの選択肢に気付けていないだけということがあると思います。一方で与えられた選択肢の中から選ぶことも悪いことではないと思っていますね。先人たちが築いてきた太い道を歩むことは非常に安全なルートですし。

 ただやりたいことに出会うためには自分が大学の外の世界にまで目を向けて、実際に足を伸ばさないといけないと感じます。自分は大学時代に外に出過ぎていたと思っていたけど、案外それくらいの方がよかったですね。

──本書のテーマ「もがけ東大」に関連して、一番もがいた経験は何ですか

 今ももがいている途中なのですが、もっと多くの人に自分の曲を聴いてもらいたいということです。大学時代からインターネットに動画を投稿していましたが、常に変動するランキングチャートがあり、リアルタイムで視聴回数やいいね数が見れるんです。一喜一憂しながらそれをずっと見ていました。最初の方は自分の曲の数字が伸びなくて、リスナーに歩み寄る努力をして少しずつ数字が伸びるようになっていくまでの試行錯誤が大変でした。

 

 自分の好きな音楽をただ発表して、それを一定の人に聞いてもらえれば幸せだという道もあったのかもしれませんが、自分は「まだ足りない」、「もっとたくさんの人に聞いてほしい」という自我や承認欲求が大きく、自分の良いと思った曲はたくさんの人に聞いてほしいと思ってしまうんです。その自我を慰めるために頑張って工夫して、より多くの人に聞いてもらえるように努力しています。

 

 そもそも自分はいわゆるポップな曲をあまり聞いてこなくて、小学校の時もORANGE RANGEの『musiQ』というクラスのほぼ全員が持っているアルバムがあったのですが、自分は存在も知らず、知名度の低いインディーズバンドの曲ばかり毎日聴いていました。なので音楽をやる上でみんなが共通して美しいと思うものが分からなかったんですね。世間の人は何が好きで、どうやったら自分の音楽が届くのかを知るために、大学時代からずっともがいています。

──最後に東大を志望している受験生にメッセージをお願いします

 先ほど東大が提供する選択肢は偏っているという話をしましたが、それでも社会の中で見たらとても多いです。そこは東大に十分に期待できるところだと思います。

 一方で縁起でもない話ですが、東大に落ちて第二志望、第三志望の大学に行くことになって、その人がその当時に望んだ結果にならなかったとしても、むしろそのルートでしか得られないものがあるので、捉え方次第でいかようにもなるとも思っています。もちろん受験生にそれを気付けというのも無理があることは重々承知していますが、受験に落ちたからといって、悲観的にならずに大学だけが全てではないと気楽に臨んでほしいです。

 どの道に進むことになっても、常に冷静に自分の立ち位置を俯瞰(ふかん)することが一番大切だと思います。その上でどう立ち回ろうかと考えることを意識しながら自分の視野をなるべく広く持つことを大切にしつつ、頑張ってください。

 

【PROFILE】
キタニタツヤ シンガーソングライター 18年東京大学文学部卒業。14年頃からボカロP「こんにちは谷田さん」という名義で楽曲をネット上に公開し、活動をスタート。23年に『第74回 NHK 紅白歌合戦』に出場。24年には初の武道館ライブ「10th Anniversary Live 彼は天井から見ている」を開催した。

 

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