
現在放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)〜』の脚本を担当する森下佳子さん。東大在学中に演劇に没頭し、卒業後はリクルートを経て脚本家デビューに至るという異色のキャリアを歩んだ。『JIN─仁─』『ごちそうさん』など数々の国民的ヒット作を手がける森下さんは、知性をいかにして「世間を動かす物語の力」に生かしたのだろうか。そして、その経験は未来に不安を感じる東大生にどのような希望の道筋を示すのだろうか。トップクリエイターの原点と創作論に迫る。(取材・種子田空里)
演劇に熱中した東大時代今につながる学びと経験
──東大を目指したきっかけは何ですか
現役のときは京都大学を受けたんですが、落ちてしまって。私は大阪出身なのですが、どうせ浪人するのであれば親元を離れたいと思い、東京の大学を目指すことにしました。東大になぜ受かることができたのか、今でもただのラッキーだったとしか思えませんね。というのも、現役だった年は共通1次試験の国語でマークミスをして、全ての問題を解き終えたタイミングで解答番号が一つずつずれていたことに気付くという最悪なことをやらかしたんですよ。逆に浪人した年の東大の2次試験本番では直前に見ていた日本史の問題集に載っていた朱印船貿易の類似問題が出題されたんです。ラッキーとしか言いようがないですよね。こういうのがご縁というのかなと思います(笑)。ただ、いまだに自分が受かったのはやっぱりバグだと思っているところがあって、50歳を超えても時々東大を受験する悪夢を見ます。
──学生時代に熱中したことは
大学ではとにかく芝居に熱中。Theatre Level 4という学生劇団に所属していました。こちらはもうありませんが、同時期に活動していたTheatre MERCURYの人たちとは今でも飲みますし、自分の娘の同級生がMERCURYに入ったと聞いて、時の流れを感じました。進振り(当時、現・進学選択)では文学部宗教学宗教史専修に進みましたが、当時同期だった冨澤かな准教授(東大大学院人文社会系研究科)とは今でも飲み仲間なんですよ。その頃のご縁はまだ続いてますね。
──駒場祭は、演劇サークルとして重要な舞台だったと思います。駒場祭の思い出や、現在の創作に生きているエピソードがあれば聞かせてください
当時は文三劇場と言って、駒場祭で文Ⅲのクラスで舞台をやる風習があったんです。で、ドイツ語のクラスで芝居をやった記憶はあります。出店をした記憶はないですね。名前を置いてるだけのサークルの出店をちょっと手伝ったりはしたかな。今でもよく覚えているのは裏門の方にある学生会館でおでんを食べたこと。出店とかそういうのではなく、誰かが勝手にこんろを持ち込んで作ってたんじゃないかな。炊き出しみたいな感じ?そこにいるのは知らない人ばかりでしたが、厚かましくお邪魔して。今は学祭のルールも厳しいと聞きますから、も見られない光景かもしれませんね。劇団の芝居の公演は駒場祭でやったかなぁ。やったような気がするなぁ。みんなで立看板描いたりしてた気がする。しょっちゅう公演やってたんで、30年以上前のこと、いつ何をやったかきちんと思い出せないんですけどね。
あの頃は旧駒場寮のところに野田秀樹さんが作った駒場小劇場ってのがあったんですよ。鉄骨が組んである大きなバラックみたいなもので。そこが割と自由に使えたんで、誰でも芝居しやすかったんです。当時は、如月小春さんなどプロになりそうな人たちは既に卒業してしまっていて、スターも出尽くした後だったんで、私たちの世代はのんびり仲良くやってましたかね。変に競争もなく「こんなの面白くない?」「こんなのやってみない?」って、その場のノリでやりたいことを好きなようにやってましたね。所属するところ以外の劇団に出たり、プロデュース公演なんかもよくありましたよ。
──宗教学宗教史専修で学んだことは何ですか
宗教学宗教史専修では、物事の根本にある見方を学びました。キリスト教とユダヤ教、イスラム、ヒンズー教などのいわゆる大きな宗教を学ぶ授業も面白かったですが、なじみのない地域、例えば小さな部族のいる地域の暮らしや宗教を学んだりする授業も面白かったですね。私たちは言ってしまえば「科学教」の信者で、現代医学を信じているから病気になったら病院に行きますが、まじない師を信じている人は病気になったらまじないを受けに行きます。これは、実は「何を信じているか」が違うから行き先が変わるだけで、行動原理そのものはまったく同じなんですよね。実はそこに優劣はないんです。
これを創作に当てはめると、一人一人の登場人物がそれぞれの信念や価値観を持っている、という描き方になります。ドラマなんかでは主人公の価値観で物語が動いていて、その生き方が一番太い流れとして存在します。でも、周りにもそれぞれの脇役の川が流れているイメージなんですかね。おのおのの価値観は主人公のそれとは違うし、主人公と違うからと言って簡単に断罪して良いものでもありません。安易に切り捨ててしまうと一方的なプロパガンダになってしまい、エンタメとして成立しなくなっちゃいます。ドラマを書く面白さは、まさにそこにあると思っています。
まぁ、でもそんなことを学んだ当初は「印象的な話だな」くらいにしか思ってなかった。長いキャリアの中で徐々に自分の創作の骨格になっていったような感じですかね。学問ってそういうもんじゃないですか。
世間知らずからの脱却とプロとしての仕事の流儀
──社会に出て、これは東大では学べなかったと感じたことはありますか
やはり体育会系の強さですね。就職したリクルートは体育会系の社風で、私には一生かけても敵わないバイタリティーやコミュニケーション能力を持った人が大勢いました。私は会社の中で情報誌の編集部に所属し、広告部分ではなく記事部分を作ってましたが、利益に直結する仕事ではなかったため、社内での地位は高くなかったと思います。稼がなくて良いんで、プレッシャーもなく、すごく楽しかったですけどね。東大では、知識や議論の深さが評価軸でしたが、社会では結果と利益が何よりも優先されるという当たり前のことをようやく知りました(笑)。飛び抜けて頭が良い、余人をもって代え難い発想が出せる人はまた別でしょうが、私のように多少勉強ができるだけではどうにもならない、そんなものでは世の中で大した価値はないと学びましたね。でもすごくいい経験でした。社会の在り方や人の欲望、経済原理を肌で知ったことは、後にさまざまな作品を描く上で、私の肥やしになっていると感じます。
──正社員からアルバイトに切り替え、脚本家を目指すという大きなリスクを乗り越えられた要因は
そんなに深刻に考えたわけではなく、どちらの道を選んだとしても、私ごときの人生、大当たりも大外れもないだろうと考えました。だったら、もう少しお芝居、お芝居に近いことをまだもうちょっとやっていたい自分がいて。ぶっちゃけて言えば、その頃にちょうど結婚もしたので、後ろに支えてくれる人がいる安心感もありましたね。彼も芝居をやっていたので理解があるし。そういうところでは甘えた人生だと思います。
後にアルバイトもやめフリーライターになり、その後シナリオライターになるわけですが、仕事は縁があるものをこなす、とにかくもらえた案件や巡り会えた事案に向き合うだけで手一杯でした。それしかできなかったし、先のこととかそんなに考えられなかった。でも、必死でやってると不思議とその中で次が見えてくるんですよ。成功ばかりではないですが、ま、失敗も、経験という果実ではあるわけで。自分のやりたいことをやっている、ということが、結果的にリスクを乗り越える原動力になったってことですかね。

多様な価値観を巡る、生きた議論の推進力
──作品の評価は気にしますか
この商売をしてて気にしない人なんているのかなぁ。私は気にします。今は匿名ではあるけれど、一人一人の受け取り方が分かる時代なので、私はこういう人には評判がいい、こういう人には悪いということまで分かります。そうなってくると、それをチェックするのも興味深いものです。他人というのは本当にいろんなことを考えるもので、私が気付かなかったことにまで考えが及んで深い解釈をする人もいたりして、思わずこちらがうならされたり。まぁ、辛辣(しんらつ)を越えて悪意のあるものもありますから、食らいすぎないように要注意ではありますかね。とはいえ、私は自分が面白いと思うものと、他人が面白いと思うものを、常に擦り合わせる作業をしなければいけない気もします。それはある意味業務というか。
──脚本はどうやって作っていくのでしょうか
書き手によって違うと思いますが、私の場合はプロデューサーやディレクターなどからかなり意見をもらいつつ、手を加えていきますね。説明不足や足りないシーンを入れたり、逆に要らない要素を削ったり。時には話をまるっと変えてしまうこともあります。
そういう風に作ってく時に「前に言っていたことと違うじゃん」は禁句なんですよ。とはいえ、私は不出来な人間なので、たまに言っちゃうんですけどね。何が良くないかっていうと、お互いに言質を取り出すと、考え尽くしたことしか言えなくなって、結局みんなリラックスして意見が言えなくなるからです。いつでも方向転換ができる柔軟性って大事だと思うんです。この暗黙のルールが、制作現場の生きた議論と改革の推進力を担保していると思います。あと、プロデューサーのキャラクターによっても作り方は変わるかな。ビジョン強めの人がボスだと「その人の考えをみんなで実現しよう!」という風になるし、「みんなでベストを探していこう」という人だと、あんなのは?こんなのもあるよ?という感じになります。現場によって風景は変わりますね。
あとこの仕事をする上で大事なのは忍耐力ですね。書いている時は浪人生のような生活で、毎日が書いて直しての繰り返しです。それがあまりに長くなると社会との断絶をも生み出します。最近は打ち合わせもオンラインで済むことが多くなっているので、今やっている『べらぼう』はずっと家にいる生活が3年近く続きました。3年経ってお外に出て、今、街を歩く外国人が増えていたり、何をするにもアプリがないと困るようになっていたり留守の間に起きたことに驚いています。ちょっとした浦島太郎のような状態です。長期作品は、体力と精神力、そして社会に置いてけぼりを食らう覚悟も必要かも(笑)。「家」とかついて若干偉そうな感じがする肩書ですが、私の現実はそんなもんです。
──原作のある作品を映像化する時の工夫とは
どういう工夫をするかは原作にもよるし原作者の意向、映像化への向き合い方にもよるので、一概には言えないですね。例えば『世界の中心で、愛をさけぶ』のドラマ版をやる時は、既に映画版ができていました。映画が原作に近い2人の世界なので、私たちは周りの登場人物の視点や思いを補完するという手法を取りました。『白夜行』なんかは主人公視点の描写がない原作のため、あえて、主人公視点で物語を描き直すという形をとりました。原作者さんが許してくださったのでできたことですね。小説をドラマ化するときに難しいと思うのは地の文ですかね。ドラマでは詩的な表現はセリフで言わせるとちょっと「そんなこと言う人いないよ!」ってなっちゃうので。そこはセリフと役者の芝居を組み合わせて汲み取ってもらえる表現を試みるとか、もしくはナレーションとして組み込む、とか。メディアの特性に合わせた表現をすることが、脚本家の仕事ですかね。
──多様な現代で脚本家はどんなテーマを提示すべきでしょうか
それが提示すべきテーマだなどということは到底私ごときには分かりませんが、「私の常識は人の非常識」と思うことは多々あります。お互いの正義がぶつかり合って、相手が間違っていると言うつもりもない、けど自分が間違っているとも思えないことが近頃割と多いです。詩人である茨木のり子の「自分の感受性くらい自分で守れ」という言葉があります。まずは素直に自分の価値観を立てて、他の人とぶつかった時に理解したり受け入れたり、あるいは受け入れなかったりするしかないのでしょうね。
そもそも私そんなにコミュ力ないんですよ。人とうまく融和できなかった経験もたくさん。大学時代の友人の1人は急に口を聞いてくれなくなって、理由も特に追及しないまま時を過ごしていたら、亡くなってしまって。事が起こってから10年くらい経っていましたが、その間お母様にはどうも私の良い話をしてくれていたそうです。彼女の中で何かが変わっていたんですかね、もう確かめることもできないですけど。そんなうまく付き合っていけない私だから書けるもの見えるものがせめてあればいいな、とは思います。『べらぼう』の主人公蔦屋重三郎は周囲のさまざまな人や問題とぶつかることが多いです。うまくいかない部分については私自身の経験や考えが少なからず影響してるかもしれませんね。まぁ、蔦重はコミュ力お化けなんで、最終的にはうまくやっちゃうんですけど。私は蔦重がうらやましいんだろうな、結局。

未来へ工夫と挑戦学生への助言と教訓
──テレビドラマはオワコン(終わったコンテンツ)と言われますが
なかなか難しい時代になりまして、長いものを見たくない、倍速で視聴するという傾向がある中で、「これならみんな見てくれる」なんていう突破口はまだ見つかっていない気がします。私もだけど、みんな必死で探してるんじゃないかなぁ。それが今のテレビドラマの現状です。きっとシンプルに「面白けりゃみる」んだろうけど、そのシンプルが一番難しいですね。「こうすればいいよ!」って私自身が誰かに教えてもらいたいです。
──この先何に挑戦したいですか
私はそれなりにわがままなのでやったことのないことをしたいんですよ。とっぴなことというより、自分的にこの手のことやってなかったなということをやってみたいです。サイレント、ホラー、子供の世界とか、やったことのない要素が一つあれば挑戦していきたいですね。それが楽しいことですし。評判を気にすると言いながら、つまるところ自分が楽しみたい。矛盾してますが、まぁそれが「人」ってことでお許しいただきたいです。

──現代の東大生にアドバイスをお願いします
東大生にもいろんな人がいますが、8割型は頑張って入っていると思います。そういう人たちの何がすごいかというと、まず「頑張れる人である」ということです。人っていつも評価されるわけじゃないし、自分より能力の高い人間は必ずいると思った方がいい。でも「努力できる人間である」ということは環境や事態がどうあっても変わらない、揺らがないものですよね。
──具体的に学生時代をどう過ごせば良いでしょうか
社会に出ると時間がなくなります。学生時代とは比べ物にならないほど時間的な制約が増え、仕事以外のことをする余裕がなくなるんです。だからこそ、時間があるうちにできるだけいろんな体験をしてほしいです。一つ二つのことをやるのがせいぜいな大人になる前に、複数のバイトを掛け持ちしたり、いろんなことにちょい噛みしたりしたほうがいいんじゃないか、と思います。さまざまな視点や価値観に触れ、自分の感受性を豊かにすることが、生きていく上で必ず役立ちます。その感受性が困難にぶち当たったり、迷ったりした時に、皆さんの進むべき道を教えてくれるのではないでしょうか。











