文化

2021年7月6日

【漫画×論評TODAI COMINTARY】諫山創・『進撃の巨人』

 今や日本が世界に誇る文化となった漫画。編集部員自らがぜひ読んでほしいとおすすめする漫画作品(Comics)を、独自の視点を交え、論評(Commentary)という形(Comintary)でお届けする本企画。今回は、今春に完結した『進撃の巨人』を取り上げます。

 

 『進撃の巨人』(講談社)諫山創著

 

差別と争いを描くファンタジー

 

 ある日突然、壁の外から人を食う巨人が攻めてくる。衝撃的な始まり方と読者の予想を裏切る展開で多くの人を引きつける本作。巨人に対抗すべく自らの命を犠牲にしながら戦う調査兵団と、その団員でありながら巨人になれる力を持つエレンを中心に、巨人対人類の戦いを描く。

 

 本作には現実世界がはらむさまざま問題が投影されている。人種差別や暴力と報復の連鎖が生む悲劇、ある人にとっての正義は別の人にとっての悪となり得ること。現実が繰り返してきた過ちと悲劇がストーリーの中で突き付けられる。

 

 

 調査兵団を舞台に繰り広げられてきた物語は、23巻を境に、軍事国家マーレ国内の収容所に暮らすエルディア人の子どもたちの視点に切り替わる。先祖が世界中の人々を虐殺したとされ、世界中から憎まれる彼らは、所属するマーレ軍で活躍するしか地位向上の道はない。そうした中「悪魔」と教え込まれてきた敵、歴史を知らず世界から離れて暮らすエルディア人たちとの戦闘に巻き込まれる。

 

 敵地に潜伏する中で「悪魔」と共に日常生活を送ることになった子どもたちは、過去のマーレ軍エルディア人部隊の奇襲により母親を失った少女と対話する。「今生きている私達は…一体何の罪を犯しているの?」。そして、ただ平凡な日々を過ごしていただけの人々の命を「正義」の名の下で奪っていたこと、自分たちの人権も不当に剥奪されていることに気付くのだ。

 

 かつて日本でも、アジア・太平洋戦争はアジア諸国を「解放する」ための「正義」の戦争とされ、協力しない者は「非国民」だという考えが広く行き渡っていた。敵国の人間は「悪魔」であり、それを討伐することは「正義」、協力しない者は「非国民」。こうした思想統制で戦意をあおり、国の思い通りに国民を動かそうとした例は世界史の中で決して少なくない。本作はこれを「被差別民族の少年兵」という、最も弱い立場にあり、現場にいる者の目線から描く。

 

 

 思想の対立や報復が生み出す戦いはその後もいや応なく続く。「突然無差別に殺されることがどれほど理不尽なことか知ってるはずだろ!?」と嘆いても「私達は…見たわけでもない人達を全員悪魔だと決めつけ全員悪魔だと決めつけて」「ずっと同じことを…繰り返してる」。現実世界でも人は戦争や暴力、差別が引き起こした凄惨な歴史を知りつつも、それらを止めることはない。

 

 

 仲間の裏切りを目にし、巨人に食われた調査兵団の兵士は最期に叫んだ。「まだ…ちゃんと…話し合ってないじゃないかぁあああ」。この言葉こそ、他者の言葉に背を向け暴力と差別の歴史を繰り返す私たちに対する、本作の「叫び」なのではないか。

【松】

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