インタビュー

2022年12月31日

普遍的ではない 自分だけの世界 藤田一照さんインタビュー

 

 藤田一照さんは、愛媛県新居浜市で生まれ育ち、文IIIから教育学部へ進学した。東大大学院教育学研究科博士課程在学中、地元を出るまでに体験した、死の不可解さや自己の独在性の実感を背景に坐禅に傾倒し、大学院を中退して禅道場へ入山、禅僧となる。以後日本や米国で禅の修行を続け、現在は神奈川県の葉山で坐禅会の主宰、講演やワークショップ、仏教書の翻訳や執筆などを通して禅の魅力を世間に発信している。藤田さんが禅に出会い、修行を重ねてきた半生について、また、1年の振り返りに、自身を省みる教えとして大切な禅や仏教について話を聞いた。(取材・清水琉生)

 

バレー、哲学、合気道…興味に素直に、全力で

 

━━どのような幼少期を過ごしていましたか。仏教の関わりへのルーツは

 

 僕が生まれた愛媛県新居浜市は別子銅山があったことで栄えていた地方の工業都市でした。学校の友人も社宅住まいの人が多く、集団で登校していました。勉強は学校でするだけで、残りの時間は暗くなるまで海や川で遊んで体を動かすのが大好きでした。年長の仲間に遊び方を教えてもらって、ザリガニの釣り方とかこま回しの技術などいろいろな技を身に付けて喜んでましたね。思えば、大人に監視されない自分たちだけの貴重な時間でした。

 

 「仏教として」ではないですが、祖父母と同居していたことで仏教に由来する特有の習慣をまねしたり、教わったりしていたことは自分に染み込んでいます。当時はそういう年寄りたちが多かったと思いますが、朝起きて日の出に手を合わせたり、神社仏閣の近くを通るときはお辞儀するように言われたり、お大師さんについて教わったりと生活の一部に仏教がなんとなく存在してました。

 

━━学生時代はどのように過ごしましたか。灘高校や東大へ入学した経緯や当時の学問的興味は

 

 中学では、部活でバレーボールに没頭しました。部長さんがとても厳しく、当時の根性主義的なスパルタの指導を受けました。負けず嫌いだったのでなんとかついて行きました。中3でキャプテンになった時、県大会、四国大会で初優勝できたので、努力の成果を手にするという経験ができたのは良かったですね。

 

 中3の夏休みが終わって部活を引退したところで部長から「今度は勉強にチャレンジしろ。灘高校という進学校が神戸にあるから受けてこい」と言われたんです。灘高校という名前も知りませんでしたし、誰も受験対策のことなんか教えてくれませんでした。なんの準備もせずに受けたら成績上位で合格してしまいました。両親にとっても想定外だったのですが、面白そうだと思って結局灘高校に行くことにしました。

 

 高校ではまかない付きの下宿で3年暮らしました。中高一貫校への高校からの編入ですから、最初の一年は中学入学組に追いつくために体力にまかせて必死に勉強しました。そのせいか脳がすっかり変化した感覚になり、自分でも驚きました。高2以降は勉強でも余裕ができました。もともと宇宙や素粒子への興味があり京都大学で物理をやろうかと漠然と考えていましたが、図書館の本を読み耽(ふけ)っているうちに哲学に惹(ひ)かれていきました。当時流行していた実存主義のカミュやサルトル、キルケゴールなんかを分からないなりに読んだり、ニヒリズムにも興味がありました。

 

 東大へ進学することを決めたのは「有名な学校へ行けば面白い授業が受けられるだろう」と考えたのと、東京は文化の中心ですし、読んで面白かった本の作者に直に会える可能性が高いという期待が主でした。就職のことは全く考えていなかったですね。東大では駒場寮(当時)に住んで、合気道の稽古と乱読に耽(ふけ)るといったような生活をしていました。合気道では勝ち負けにとらわれない武術的な精妙な動きを身に付けようといろいろ試したりする一方、いろんなジャンルの本を読み漁(あさ)って本当に自由で楽しかったです。今もそんな感じですけど(笑)。

 

大学時代の合気道演武(写真は藤田さん提供)

 

━━東大で発達心理学の専攻に至った経緯は

 

 哲学を勉強しようと入学したんですが、授業でとった哲学はあまりにも抽象的でどうもピンとこないという印象でした。哲学的な問いを科学的に探究しているのが心理学かなと思ったんです。それと、僕は宇宙、生命、意識といった「ものの起源」に特に知的な興味を感じるところがあって、赤ちゃんが母国語を話したり歩けたりするようになるプロセスで何が起きているのかを知りたいなと思ったのが発達心理学への興味の中身ですね。それから、ブッダのような聖人や武術の達人、優れた芸術家は大人になってさらに飛躍的成熟を遂げた人たちですが、赤ちゃんや幼児の研究をすることで彼らのような成人してからのもうワンステップの発達の秘訣(ひけつ)を探れるかもと思って専攻しました。学部の2年じゃ足りないのでさらに大学院に進んで専門の研究者になるつもりでした。

 

答えは向こうからやってくる

 

━━坐禅との出会いについて聞かせてください

 

 坐禅に惹かれるルーツとなる体験を10歳の時に二つしています。一つは祖父が昼寝した状態で自然に亡くなっているのを目の当たりにしたこと、もう一つは私が「星空体験」と呼ぶある夜の出来事です。

 

 ある日、祖父が畑仕事の後、風呂に入って自室で昼寝をしていました。いつも聞こえているいびきの音が急にしなくなったので、なんとなく祖父の部屋に入ると、雰囲気がいつもと違うのです。祖父に声を掛けても目を覚まさないので父を呼んだら、「じいちゃん、死んでる」と言うのです。え、じゃあここで寝ているのは何? 死ぬって一体何が起きること? と大きなショックを受けました。

 

 星空体験は、夜自転車に乗りながら星空を見上げた時の出来事です。「この星空を今この見方で見ているのは、無限に広い宇宙の中で、この自分しかいない」。自分の自分性、独在性の不思議さにふと気付きました。こういった体験が淵源になって、坐禅と出会った時に「自分が探していた探究の道がここにあった!」と感じたのだと思います。

 

 当時は、発達心理学を研究している中で違和感が生じていました。科学では独在する自分は問題にされず、平準化された共通法則を探求しますから、唯一無二の自分が「たくさんの自分の一例」として扱われます。当初は学者になろうと思っていましたが、だんだん研究に身が入らなくなっていきました。

 

 博士課程に進み2年ほどしたころある漢方家と出会いました。それまで自分が触れていた西洋医学の科学的な治療法とは異なるやり方で患者が治っていく様を見て大変興味を引かれたんです。そこで、弟子にしてもらいたいとお願いしたら「まず禅の修行をしてからだ」ということになりました。その人の勧めで鎌倉の円覚寺の居士林(こじりん)で坐禅の接心をしたことが禅との出会いです。以降、大学院に通いながら禅の修行を始めました。

 

 

━━坐禅のどのような魅力に引かれましたか

 

 反復可能性に立つ科学では普遍的法則を求め第三者の視点に立って「研究」をしますが、坐禅では第一人称の視点で唯一無二の今の自己を直接に「参究」します。そこがまさに過去の祖父の死や星空体験とつながっていると感じました。また、朝から晩まで修行をする雲水の姿を目撃し、いい生き方だなあと思ったんです。子供の時に、社宅から会社に向かう人々の自転車の行列を見ていて、自分には会社員は無理だなと思っていたこともあり、お金や地位と関係のない修行三昧の生活への魅力を強く感じました。

 

━━博士課程中退の決断をするまでの印象的な出来事はありますか

 

 大学院生として生活しながら、並行して坐禅の修行をすることに満足できなくなりました。坐禅修行に惹かれる一方で、今まで積み上げてきた学究生活を捨て去ることへの未練のようなものがありましたので、アタマで考えても埒(らち)が開かないとふと思い立って四国遍路をやりました。行く先々で偶然に起きることに身を晒(さら)して自分と向き合おうと、お金を持たず、すべて歩き、野宿したんです。旅をしているうちに「禅の道に進もう」ということが自然にはっきりしてきました。連絡もせずにボロボロの姿で実家へ立ち寄り、玄関先で父に「大学院を中退して禅の道場に入ることにした」と伝えて旅を続けました。千年以上続くお遍路の伝統はよくできているなと思います。理性で考えるわけではなく、ただ日々黙々と歩いているうちに心が整理されて向こう側から答えがやって来る感じでした。とりあえず10年くらいは禅の修行に専念しようと、正式に退学届を出して、自給自足をしながら生活ぐるみで禅の修行ができる道場に入りました。

 

━━渡米して坐禅を勉強・指導するに当たって苦労したことやうまくいったことは何でしたか

 

 6年ほど日本で修行してから、師匠に「アメリカの禅堂で指導するお坊さんがいなくなっているからお前行かないか」と言われました。禅の指導などしたことがなかったのでどうすれば良いかと尋ねると「教えたりしなくていい。彼らと一緒に坐(すわ)っていろ」と言われました。新天地での生活にわくわくする気持ちも感じていたので渡米を決めました。

 

アメリカの禅堂の仲間たちと(写真は藤田さん提供)

 

 アメリカ東海岸の林の中の小さな禅堂で15人くらいのコアな人たちと一緒に坐禅をしたり禅の勉強をしました。「お布施は要求もしないが拒否もしない」というポリシーで、現金収入はベビーシッターやペンキ塗りといった頼まれることはなんでもやる便利屋稼業で得ていました。近隣の三つの大学で毎週坐禅会をしたり、時にはそこで講義をしたりもしました。愉快な生活でしたね。米国では、日本で学んだ漢語の仏教を英語で学び直さざるを得なかったので、ある意味で仏教を「立体的に」理解する貴重な機会になりました。現在の日本語での執筆や英語の仏教書の翻訳の基盤はそこにあります。

 

 坐禅を指導する際に困ったのは、熱心ではあるもののなんでも結果を早く求める連中にどのように坐禅修行の奥深さを伝えるかという点です。自力的な努力でなんとかなるという考え方を持っているために「俺が必ず悟れるプログラムを作ってくれ」と言われたりしました。修行は欲しいものを手に入れるためのマニュアルを一生懸命こなすような営みではありません。彼らのそうした「いいものを手に入れたい根性」に迎合せず、正しい修行の態度に気付いてもらうのには苦労しましたね。

 

世界と相対化せず自己を定義する

 

━━現在では定期的な坐禅会やワークショップを行っていますが、その目的やモチベーションは何ですか

 

 50歳までアメリカで坐禅の修行と指導を行った後、帰国した時にはひっそり隠居したかったのが本音です。高校時代にも同級生が官僚や銀行家になりたいと夢を語るそばで「俺は山奥の秘湯で湯男をやって、時々訪れる客の悩みを聞くくらいでひっそりと暮らしたい」と語っていました。今は別荘の管理人として暮らし、自分の坐禅会を定期的に開いていますが、外での講演や執筆を頼まれることも多く、結構忙しいです。東日本大震災が起きてから10年間は「何かしなければ」という思いで仏教塾やオンラインの禅コミュニティを始めたりしました。現在は忙しくなりすぎたので活動規模を縮小して自分を再充電しています。

 

 坐禅会は、坐禅を探究するさまざまな実験を試みて参加者と一緒に考察を深める「ラボラトリーとしての坐禅会」にしようと愉(たの)しんでやっています。オンラインでは若い世代に向けて、伝統的な禅の殻を破ってアップデートされた「これからの禅」を語ろうとしています。私ももう人生の終盤に入っていますから、いくつかの自分自身のテーマに本腰を入れて取り組んでいきたいと思っています。

 

━━年末年始は世間の仏教への関心が高まるかと思います。禅の考え方が現代社会に生きる点はありますか

 

 仏教はまだその有効性がフルに生かしきれていないと思います。仏教を欲望の否定や心を落ち着かせるというイメージだけでとらえてしまうと、特に今の若者に対して仏教の魅力を発信できません。欲深さや落ち着かなさというよりは希望のなさや無気力感が現代的な問題だと思うので「より生き生きと生きるための教えと実践」として仏教を提示する必要があります。

 

 年末年始に除夜の鐘などで仏教への注目が高まることについてはいまいちピンときません。日々の行いを振り返る機会としては大変良い慣習だと思いますが、それが仏教の本質につながっているかどうかは疑問です。本来の仏教は社会の中の一員というだけには収まらない独一無比のこの自己をどこまでも参究する教えです。時流に流されず、今ここで奇跡のように息づいている第一人称の自分を見失わずに生きようという人には禅が良い指針になると思います。

 

 

藤田一照(ふじた・いっしょう)さん 79年東大大学院教育学研究科教育心理学修士課程修了。教育学修士。82年博士課程中退。83年曹洞宗で得度。87年に渡米し、マサチューセッツ州パイオニア・ヴァレー禅堂で禅を指導。2005年に帰国。10年より18年まで曹洞宗国際センター所長。著書に『ブッダが教える愉快な生き方』(NHK出版)、『現代「只管打坐」講義』(角川ソフィア文庫)など。共著に『禅の教室』(中公新書)など。訳書に『【新訳】禅マインドビギナーズ・マインド』(PHP研究所)など

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