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2019年4月3日

福島の放射線量過小評価か 早野名誉教授らの論文不正疑惑を概観

 東日本大震災以降、福島の放射能汚染問題について調査研究と情報発信をしてきた早野龍五氏(理学系研究科教授=当時)。早野氏が宮崎真氏(福島県立医科大学助手=当時)と共同執筆した、福島県伊達市の市民の外部被ばく線量に関する2本の論文について、放射線量の過小評価や伊達市民の個人情報の不正利用などの疑惑が浮上している。論文の不審な点を指摘し続けている黒川眞一氏(高エネルギー加速器研究機構名誉教授)の話を基に疑惑を概観するとともに、伊達市や福島県立医科大へ情報開示請求をしてきた伊達市民の声を紹介する。(取材・小田泰成 構成・山口岳大)

 

放射線量はいかにして過小評価されたか

 

 問題となっているのは、2016年の12月に発表された「第1論文」と17年の7月に発表された「第2論文」。第1論文は国の放射線審議会で政策決定の参考資料として使われたが、19年1月に参考資料から削除された。

 

(図1)線量計の一種であるガラスバッジ。伊達市はこの線量計を市民に配布し、個人の外部被ばく線量を測定した。2016年4月から、旧型(左)に代わり新型が使われるようになった(写真は島明美氏提供)

 

 第1論文は、ガラスバッジ(線量計の一種、図1)で測定された個人の被ばく線量と航空機で測定された空間線量の間に見られる相関を分析したもの。航空機で測定された空間線量率で各市民の個人被ばく線量率を割った値の平均値が0.15であり、政府が定めた値0.6の4分の1になると結論づけた。これは、政府の定めた規準が個人被ばく線量を必要以上に高く見積もっており、安全サイドに寄り過ぎていることを示唆している。

 

(図2)第1論文中の、個人被ばく線量率と空間線量率の関係を示した箱ひげ図の一つ。矢印(東京大学新聞社が挿入)で示したビンには、最小値から1%以内もしくは最大値から1%以内に当たる「外れ値」しかなく、その階級に属する市民の99%が外部被ばく線量ゼロになっている(出典:”Individual external dose monitoring of all citizens of Date City by passive dosimeter 5 to 51 months after the Fukushima NPP accident (series): 1. Comparison of individual dose with ambient dose rate monitored by aircraft surveys”Makoto Miyazaki and Ryugo Hayano 2017 J. Radiol. Prot. 37(1))

 

 黒川氏によれば、第1論文にはいくつかの大きな問題があるという。例えば図2のように、あるビンに属する市民の99%が外部被ばく線量ゼロになっている箇所が三つある(図2)。多くの市民がガラスバッジを正しく装着していなかったことや、バックグラウンド(自然界に元々存在する放射線量)の引き過ぎによる過小評価が考慮されていない。さらに航空機によって測定された空間線量率は、地上で測定された空間線量率よりも1.5倍ほど大きい。「これらの効果を含めると、0.15は0.36ぐらいになる」と黒川氏は語る。

 

(図3)第2論文中の、個人被ばく線量の推移を示す箱ひげ図「図6」(上)と、そのデータを基に累積線量を示した「図7」。「図6」の単位を変換し、3ヶ月ごとに個人被ばく線量を積み重ねていったものが「図7」に当たる(出典:”Individual external dose monitoring of all citizens of Date City by passive dosimeter 5 to 51 months after the Fukushima NPP accident (series): II. Prediction of lifetime additional effective dose and evaluating the effect of decontamination on individual dose” Makoto Miyazaki and Ryugo Hayano 2017 J. Radiol. Prot. 37(1))

 

 生涯被ばく線量の評価と除染の効果が主題の第2論文にも不可解な点がある。図3に示す通り、第2論文中の「図6」は、一定の条件のもとで選ばれた市民425人の、事故後7ヶ月から38ヶ月までの個人被ばく線量の推移、「図7」は、「図6」で用いたものと同じデータを基に算出した累積線量を、それぞれ示したものである。ところが、「図6」から求めた累積線量と比較すると、「図7」から読み取れる累積線量は約半分になり、一致しない。黒川氏は、ガラスバッジは0.1 mSv単位でしか線量を測れないはずなのに、「図7」の中央値(全体が425人なので、上下から213番目の個人の累積線量にあたる)の3ヶ月あたりの増加量が約0.15 mSvというより細かい数値になるという矛盾から、「図7」の値の方が半分に減らされていると断定。「故意ではなくとも著しい注意不足によるミスであり、研究不正とされても仕方ない」とした。

 

 黒川氏は昨年秋、2本の論文が載った『ジャーナル・オブ・レディオロジカル・プロテクション(JRP)』に第2論文を批判する論文を投稿し、上記の「図6」と「図7」の不整合を含む、論文の不自然な点を指摘。早野氏は今年1月、一部誤りを認めた。しかし黒川氏によれば「実際には早野さんは私の指摘に正面から答えていない」。本紙は早野氏にも、事実関係の確認のために事務所経由で取材を依頼したが、本人と見られる人物から電子メールで「メディアを使って応酬するのは適切ではない」と断られた。

 

研究倫理に違反している可能性も

 

 黒川氏は『科学』19年2月号(岩波書店)で伊達市民の島明美氏と共に、論文の「人を対象とする医学系研究についての倫理指針」違反を七つ指摘。例えば、自分のデータを使われることに同意していない市民のデータを使ったことなどが挙げられる(図4)。この七つ以外にも、研究計画書では「分担研究者(注:早野氏)に、随時主任研究者(注:宮崎氏)が解析した結果についてレビューしていただき、統計や計算処理の不備や問題点の指摘とその解決法などについて助言をいただく予定」と書かれているが、実際には早野氏自身が解析していた疑いなどがある。

 

(図4)2013年度の個人の測定データの一部。拡大した部分が示すように、「同意書」の欄に「同意有無」が記載されている。論文には、同意のなかった市民のデータも利用されたとみられる(黒川氏提供のデータを基に、東京大学新聞社が作成)

 

 早野氏への研究不正の申し立てを受け、東大は本調査を進めている。伊達市も早野氏と宮崎氏に正当な手続きで伊達市民のデータが提供されたか調べる委員会を立ち上げた。本紙は東大の研究倫理推進課にも、審議内容などに関する取材を依頼したが「規則に基づく手続き中であり要望には沿えない」と回答された。

 

 論文が掲載された『JRP』も、両論文における同意を得ない個人情報の使用、第2論文における結論に影響する計算方法のミスを指摘した「Expression of Concern(懸念の表明、EoC)」を1月11日に発表している。なお、この『JRP』の動きについて黒川氏は、『JRP』はすでに1月8日ごろに論文の著者からcorrigendum(日本語の「正誤表」に当たる言葉)を受け取っていたが、その際、著者が東大や伊達市の調査が進行中であるということを認めたことから、corrigendumの即時掲載を見送り、EoCを発表するという判断に踏み切ったものとみている。

 

 あくまで論文の第一著者は宮崎氏だ。しかし黒川氏によると「教授と比べれば、助手は大学院生のようなもの。宮崎さんを指導すべき立場にある早野さんの方に批判が集中するのは当然だ」

 

 黒川氏は最後にこう述べた。「早野さんはとても優秀。でも今の早野さんは『科学者』とはいえない。科学者にとって最も重要なintegrity(正直であることと、モラルに関する原則に忠実であることを示す)を失っている。早く科学者に戻ってほしい」

 

情報開示請求に踏み切った市民は

 

 本紙は、伊達市や福島県立医科大に対し情報開示請求を行った伊達市民、島明美氏にも電子メールを通じ話を聞くことができた。島氏は、原発事故直後からすでに伊達市の個人被ばく線量の測定に関心を持っていた。測定結果を拙速に安全基準や除染評価の尺度として利用することに不信感があったためだ。黒川氏からの連絡があったことをきっかけに、今回の論文不正疑惑にも関わるようになった。

 

 一度、黒川氏とともに宮崎氏を訪ねたが「筆頭著者とは思えない、責任は自分にはないと言わんばかりの態度でした」。黒川氏が質問しても、「早野さんに確認する」とパソコンに質問を打ち込み、自ら答えようとはしなかったという。

 

 いま、島氏は論文の著者らに何を望むのか。早野氏に対しては「黒川さんからの質問にすべて答えてほしい」とした上で、「『海容』(早野氏が今年1月に発表した文書に「伊達市および市民のみなさまにはご心配・ご迷惑をお掛けしておりますが、どうかご海容いただけますと幸いです」とある)などという言葉で濁されたくはない」と憤った。放射線に関する市政アドバイザーを務める宮崎氏には、研究倫理に関する伊達市への助言や、論文執筆以前の市民への説明が十分に行われていなかったことに触れ、職務を全うするよう求めた。

 

疑惑の解明は進むのか

 

 今後、疑惑の解明には、東大、福島県立医科大、伊達市がそれぞれ進めている調査の報告が待たれる。また、OurPlanet-TVの報道 によれば、伊達市議会は宮崎氏と早野氏を招いた勉強会を開くことを企画しているとされ、論文の著者自身が釈明を行うかにも注目が集まる。

 

 他方、早野氏自身は今年1月に発表した文書で、「論文の重大な誤りについては、JRP誌という学術的な場での議論に向けて進みつつある段階です」と述べているが、2本の論文が掲載された『JRP』は現在のところ、各調査結果が出るまでは動静を見守るという姿勢を取っているため、調査報告に先立って誌上で議論が進展することはないという。

 

 本紙は、新たな動向があり次第、オンライン・紙面の双方を通じて随時発信していく。

黒川眞一名誉教授(くろかわ・しんいち)
(高エネルギー加速器研究機構)
 73年理学系研究科博士課程単位取得満期退学。博士(理学)。高エネルギー加速器研究機構教授などを経て、09年に退職。

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