PROFESSOR

2024年1月16日

「メディア環境が根本的に変容している」メディアとジャーナリズムの未来を考えよう 水越伸教授インタビュー

 

 今やインターネットは情報を伝える媒体であるメディアの中心となっており、これを無視することはできない。新聞やテレビをはじめとするマスメディアとインターネットは何が違うのだろうか。そして私たちはこれからメディアに対してどう向き合っていけばいいのだろうか。メディア論を専門とする水越伸教授(関西大学)に聞いた。(取材・曽出陽太)

 

インターネットは若者のメディア?

 

──10代や20代の若者世代は他の世代に比べてインターネットを好んで利用しているように見えます。その背景に何があると考えますか

 

 メディアの選択は環境に大きく影響されるからだと思います。私たちのような上の世代の人々はインターネットが普及する前の時代に生まれ育っており、そのような時代において紙の新聞や雑誌といったメディアが家庭の中から学校の中にあって、特に意識することもなくそれらに触れてきました。それに対していまの若者はスマホを持っていない年齢でも電車やバスの中でディスプレイを頻繁に見かける、そういう状況に置かれています。そのような状況でデジタル端末を介してインターネットを使うようになるのは若者の選択の結果というよりも当然の結果だと思います。

 

 またインターネットをメディアとして捉える考え方はもう古いと言えます。スマートフォンを介してSNSを利用するとき、いまの人たちはインターネットを利用しているという感覚ではなく、例えばインスタを使っている、というようにSNSを利用しているという感覚でいると思うんですね。SNSなどのプラットフォームが前面に出てきて、インターネットはメディア・インフラの位置に退いてしまっている。

 

「令和4年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」(総務省情報通信政策研究所)による、年代別の主なメディアの平均利用時間。10代・20代はネットを他の年代より利用しているのに対し、テレビ・新聞の利用が上の世代よりと比べてかなり少ない。
「令和4年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」(総務省情報通信政策研究所)による、年代別の主なメディアの平均利用時間。10代・20代はネットを他の年代より利用しているのに対し、テレビ・新聞の利用が上の世代よりと比べてかなり少ない

 

──インターネットではなく、SNSやウェブメディアなどを個々のメディアとして捉えるべきということですか

 

 確かに90年代から2000年代初めまではインターネットをメディアとして見ていたと言えるかもしれません。その時代には男性を中心として多くの人々が理工系でなくともインターネットがつながる仕組みに興味を持ち、自分で調べるといったことをやっていました。しかし現在ではインターネットが当たり前の存在になり、その上に存在するプラットフォームの方に関心が向けられているという状況にあります。

 

──インターネットを利用する理由の一つとして無料でアクセスできるコンテンツが多いということを自分なりに考えていましたが、環境やインターネットの歴史と絡めた話が聞けて興味深かったです

 

 その理由ももっともですし、データを参照すると若者だけではなく30代、40代にも当てはまるといえます。そしてインターネットの普及が年代によらず起こる場合もあります。

 

 例えば中国では社会主義体制が敷かれていることもあり、政府の意向に反する内容は風俗やファッションに関する内容も含めて自由に出版することができません。しかしインターネットが普及したことによって一般の人が発信する良い意味で雑多な情報を得られるようになりました。これは情報統制の現状に不満を持っていた人々、特に都市部の人々にとってそのような情報に触れる初めての機会となったんです。そのような状況では上の世代でもネットが浸透することが考えられますよね。

 

 インターネットの普及にこのような地域差が生じるように、技術は世界のどこでも同じものではなく、地域的な要素を反映して変化するものだと思っています。技術そのものに地域や組織によって全く異なる文化性や歴史性があると考えると面白いのではないでしょうか。

 

情報に対する信頼が揺らぐ時代新聞の役割は

 

──人々が社会の出来事を知るための情報源がインターネットに移行することにより、偽情報の拡散や新聞社・テレビ局を担い手としたジャーナリズムの衰退が起こるのではないかと考えます。水越教授はどのような影響があると考えますか

 

 いま挙げてもらった通りの影響があると思います。数十年先に状況がどのようになっているか分からないですし、ここ5年ほどの状況を見ても解決のしようのない非常にシリアスな問題として受け止めています。 

 

 振り返ってみると、米国大統領選挙でトランプ氏が当選したのが2016年12月の出来事でした。この時には米国人も日本人もほとんどの人が驚愕(きょうがく)したわけです。報道機関が行う出口調査では投票所の外で誰に投票したかを尋ね、その結果を基に選挙の結果を予測するのですが、当時トランプが勝つとは予測されていませんでした。しかし過激な言動を行うトランプに投票したと答えるのを恥ずかしいと感じる多くの米国人が嘘をついており、実際には多くの人がトランプに投票していました。この予測の失敗自体がマスメディアにとっては大きなショックでした。

 

 また、英国のEU離脱、すなわちブレクジットの是非を問う国民投票が離脱を支持するという結果に終わったことも多くの人々にとって予想外でした。米国と英国において同じ国民投票でこのような驚くべき事態が起こっているわけですが、これらはSNSの影響ではないかと言われています。SNSにおいて自身の観点に合わない情報から隔離され自分の考え方や価値観の中に孤立するというフィルターバブルといった現象が指摘されていたときにこれらの象徴的な出来事が起こったのです。

 

 そのような状況で旧来の報道機関である新聞社やテレビ局はどんどん地位を落としてしまっていますし、新聞社やテレビ局によるジャーナリズムや報道と呼べるものが減ってきているように感じます。一方でインターネット上にジャーナリズムが根付いてきているのかというと、少なくとも日本では甚だ心もとないと思います。フェイクニュースのような弊害を防ぐためにはメディアリテラシーがやはり必要とされているのですが、すでに主体的にメディアを選択する人や学歴がある人、都市部に住んでいる人とそうでない人との間でリテラシーに格差が生じてしまっています。

 

 悪影響を防ぐためにプラットフォーム企業に対して法規制をかけようとする試みもあります。紙面上の記事について基本的に新聞社が責任を持つ新聞と異なり、SNSやニュースサイトを運営する企業は自らのことを情報を通す土管のように考えていてそれに流れる記事やメッセージの内容について積極的に責任を持とうとはしませんでした。しかし、最近は世界中でそのような企業の社会的責任を問う動きが強まっています。これも難しい問題ですが、インターネット上の情報に対する異議があった際の仕組みづくりをしっかり行うことが重要だと考えます。

 

 ただ、たとえファクトチェックを行ったとしても、誤りと判定された情報を人々が信じなくなるわけではありません。人間は感情的に生きているからこそ避けられないことではありますが…。

 

──マスメディアを取り巻く環境にはやはり大きな変化が起きているということですか

 

 メディア環境が変わったことは確かです。しかし私は変化にもさまざまなタイプがあると思っています。例えば雑草が徐々に周りに広がっていくような漸進的と呼べる変化があると思うのですが、インターネット、そしてその上に重なるプラットフォームの登場というのはメディア環境に急激かつ根本的な変化をもたらしました。マスメディアはその変化の規模を見間違えてしまったわけですよね。大手新聞社の紙の新聞の発行部数が数百万部なのに対し、電子版の会員数は数十万程度ではないかと見られています。マスメディアはインターネットにうまく展開できていないということです。

 

 そもそもはじめからマスメディアはインターネット事業を単なる新規事業として捉えていて、あまり積極的に展開をしませんでした。一方で楽天やGoogleのようなIT企業が考えていることは彼らのエコシステムにユーザーを取り込むことであって、ニュースはその際のトッピングのように位置付けられていました。結局誰もインターネットにおけるジャーナリズムの在り方をどうするかということは考えられなかったのだと思います。

 

 しかしややこしいのが、新聞の発行部数が大きな減少を続けている状況にもかかわらず、ネット上の情報源のうち新聞や雑誌といった従来のマスメディアが運営するサイトが未だに大きな割合を占めているということです。よってマスメディアが一概に力を失ったとは言えないのですが、インターネット上で収益を上げることには失敗しているという状況です。

 

関連年表(東京大学新聞社作成)
関連年表(東京大学新聞社作成)

 

──インターネット上には新聞社が運営するサイトが存在し、そこで紙の新聞と同じ記事を読むことが可能ですが、そのようなサイトは紙の新聞と同じ役割を果たせると思いますか

 

 紙の新聞ではその日の記事全体を一面ずつめくることで確認できるのに対し、インターネットの場合は全部の記事を確認するということはかなり難しいですよね。そのため現状そのようなサイトが新聞と同じ役割を果たせるようにはなっていないと思います。

 

 紙の新聞を読む体験においては、国際面に興味はないけど読んでみよう、というように面をめくるうちに自分の知らないことであっても目に入って読むことができます。その時に知るべきことを総合的に毎日出してくれるという新聞の持つ全体性と呼べるようなものは、新聞が複数のページからなっているということにすごく支えられていると思っています。

 

 また人間というのはもともと非常に空間的な認知力が高い動物で、例えば試験で歴史の問題を解くときに「教科書のあそこのページのあそこの角に書いてあった」というような空間的な記憶をすることがあるじゃないですか。すでに認知科学の領域では紙の本もしくは電子書籍を読んだときに理解度や記憶度が電子書籍を読んだときのほうが低くなるといったことが研究により示されています。これは電子書籍を読むときの端末は平面であるため、空間的に把握できないことなどが原因だと考えられます。つまり電子ではなく紙で読みたいという行動には人間の特性も関わっているんです。

 

 加えて私達がネット上の記事を見る際、多くの場合は検索やSNS上のリンクから記事を一つ一つ閲覧するだけで、その記事の出どころがどの新聞社や出版社なのかを気にすることがなくなってしまっています。今まで新聞や雑誌全体を読むことでいろいろなことがだいたい分かるようになっていましたが、近年ではそれを一ヶ月、一年、十年とかけて積み重ねることで得られていたようなリテラシーが失われているのを感じています。

 

──紙の新聞が三次元的な厚みを持っているために内容を理解しやすいという点は新聞の利点と言ってもよいということでしょうか

 

 そうだと思います。紙という素材は非常に強く人間の記憶や思いとつながっているところがあって、スマホで代用できるにもかかわらず紙の手帳やカレンダーといったものは今でも人気があります。他にもレコードのような、すでに過去の遺物になったはずのものが復活し始めている。それはやはり人間が無意識のうちに日常生活の中で手触りがある空間的なものを欲することによるものだと思っています。今後VR上で紙を読むことができる技術や紙と変わらない手触りをもつデジタルデバイスといったものが出てくるかもしれませんが、それでも私は紙の新聞がなくなることは無いと思っています。もしかしたら紙の新聞が逆に高級なものになり、お金持ちが乗るクラシックカーのようなある種のステータスを示すようになるのかもしれませんね。

 

東京大学新聞は一紙に24面分の記事を掲載している。
東京大学新聞は一紙に24面分の記事を掲載している

 

新しい多様なメディアの可能性

 

──社会の出来事を知るためのメディアがマスメディアからインターネット上のメディアへ移行していくことについてどのように考えますか

 

 マスメディアやそれを擁護する人々は、先ほど私が話したようなマスメディアが持つ情報が紙面のような形で集積していることによる全体性が大事だなどということをよく主張するのですが、結局そこには自分たちが大事だという考えが見え隠れしていると思います。マスメディアが多種多様な情報を取捨選択し重要だったり正しいと思う情報を彼らのメディアに載せて伝えるということを続けていけばいいとは思いませんし、それは東京中心、男性中心の考え方につながりかねない。政治・経済といった分野に関しては個人が関与するのにも限界がありますからマスメディアが市民の代弁者として関わっていくべきだと思いますが、環境問題や子どもの虐待といったことになるとそれぞれに専門家がいますし、その人たちが発信する情報がマスメディアが発信する情報より核心をついているということがよくあります。

 

 インターネットの普及によってさまざまな課題に直面しているのは確かですが、だからといってインターネットへのシフトを否定することにはならないということです。それよりはマスメディアがインターネット時代のジャーナリズムをどうするかということを団結して考えていけたらいいなというふうに思います。

 

──それではインターネット上のジャーナリズムは誰が担っていくことになるとお考えですか

 

 まず一つはマスメディアですが、既存のマスメディアのうちジャーナリストとしてビジネス的にも成功できるのはネット上のプラットフォームの特性をうまく生かすことができる一部の新聞社や出版社だけだと思います。しかし私はその一部の存在が必ずネット上のジャーナリズムというものを実現してくれると信じています。

 

 そして新しくネット上で立ち上がっているメディアも一定数あります。例えばハフポストがその一例で、元はアメリカで立ち上がったメディアですが、日本では朝日新聞が支援をしていて、LGBTQや子育ての話題で独自性のある記事を書いています。ほかにも経済や環境の話題ではYouTubeのチャンネルでも評価できる活動を行っているところがいくつかあります。

 

 まとめるとネットジャーナリズムといわれるものは既存のマスメディアの一部が展開していく部分もある一方で、新しい在野のメディアがそれぞれ特化して展開していく部分もあるのではないかと考えています。

 

──インターネットの普及とともに新しいメディアが登場したのはここ10年から20年の出来事ですが、今後も私たちとメディアの関係に再び大きな変化が起こるのでしょうか

 

 SNSをスマートフォンでチェックする、といった私たちのメディア利用の習慣はここ10年ほどで定着したものですから、今後それが変化することは十分に考えられるでしょう。 一つは生成AIによる変化です。例えば現在私たちが検索エンジンに検索ワードを入力して情報を探しているのが、AIとの対話で情報を提供してもらうという形に置き換わるかもしれないですし、SNS自体が過去の存在になるかもしれない。そのような時代を見据えて既存の巨大IT企業がAIの開発に取り組んでいるわけです。

 

 メディア・リテラシーの教育実践を研究している私としては、今後新しいメディアが展開し情報量がさらに増大していく中で、リテラシー教育を受けて著作権などの点で良識的、あるいは健全な形でメディアと付き合っていく人々と、そうでない人々の間でリテラシーに格差が生じるのではないかということを危惧しています。

 

 また、最近大きな問題になっているのが「選択的ニュース回避」という現象です。これは大量のニュースがあふれている現状では海外の紛争から日本の社会問題まで全てのニュースに付き合うことは難しくなり、特定のニュースを忌避するようになる現象のことを指すのですが、人々はニュースだけでなく広告も避けるようになっています。そうなるとメディアやプラットフォームを運営する企業は収益を上げることができませんから、情報量を減らす方向にメディアが変化していくということも想定できます。

 

 

 インターネットの普及によりメディア環境は大きく変化し、新しいメディアが頭角を現す一方で、複数の大きな問題を抱えている。メディアはファクトチェックやジャーナリズムといった活動を行いより良い未来への模索が続いている中、少なくとも私たちはメディアが今も変化の途上にあることを認識しそれと向き合っていかなければならないだろう。

 

水越伸(みずこし・しん)教授(関西大学社会学部)89年東大大学院社会学研究科博士課程中退。東大大学院情報学環教授などを経て、22年より現職。23年より東大名誉教授。
水越伸(みずこし・しん)教授(関西大学社会学部)89年東大大学院社会学研究科博士課程中退。東大大学院情報学環教授などを経て、22年より現職。23年より東大名誉教授。
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