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2023年11月16日

「我が子の腕をナタで削ぎ落とす思いがする」 自筆原稿から滲む大江健三郎の言葉との向き合い方

 今年9月、東大文学部に大江健三郎文庫が発足した。文庫は大江氏の自筆原稿約1万8千枚と、個人の研究者によるコレクションなど約3900点、そして書籍の帯文・推薦文なども網羅(もうら)した書誌情報データベースからなる。原稿とコレクションは予約すれば学外の学生・研究者も閲覧でき、データベースはインターネット上で一般公開される。

 

 著作権が残る作家が自筆原稿を大量に研究機関に寄託し、一般公開することは世界でも極めて稀(まれ)。これまでも原稿が東大に寄託されたことはあったが、既に著作権が切れた作家の原稿が2000枚程度集められたのみだった。また、文学館に寄贈されたり、オークションによって散逸したり、そもそも作家が全て処分してしまうこともあり、寄託の決定は大江氏の文学研究への深い理解と東大への信頼を示すものでもある。発足に先立つ記者会見では、学術研究の推進だけでなく、原稿の保存と公開のモデルケースとなることを期待しているという趣旨の発言もあった。

 

 自筆原稿は大江氏が大学時代のものから最晩年のものに至るまで、抹消跡が判読可能な形で残されている。文庫発足に関わった教授の一人は「あまりにも丁寧な消し方で、研究されることを想定しているのではないかとすら感じられる」と会見で話していた。今回は、大江健三郎研究で知られる村上克尚准教授(東大大学院総合文化研究科)に、文庫発足の意義や、昨年行った研究発表について聞いた。(取材・宮川理芳)

 

1957年、東大新聞主催の「五月祭賞」受賞時の記事
1957年5月22日発行の東大新聞紙面に載った大江氏の「五月祭賞」受賞の言葉。「五月祭賞」は東大新聞が主催していた文芸・評論コンクールで、これをきっかけに批評家の目に留まった。

 

現代アートのような原稿 草稿研究の可能性は

 

──始めて自筆原稿を目にした時は

 

 何色も使い分けて校正していて、まるで現代アートのようだと感じました。丁寧に丁寧に手を入れて考え抜いた跡が見て取れました。これまでは草稿に触れる機会もなく、印刷された作品との対話のみでしたから、やはり感慨深いものがありました。

 

──原稿の修正についてかつて大江氏は「我が子の腕をナタで削(そ)ぎ落とす」思いがすると語っていましたが、そのような考えを持つ作家の草稿を研究することにはどのような意味があるのでしょうか

 

 大江さんの『文学ノート』(新潮社)にあった言葉ですね。文庫発足の記念式典でも何人かの先生が引用されていましたが、私は納富信留教授(東大大学院人文社会研究科)のあいさつに強く共感しました。「原稿からは、大江さんの、自分が生み出す、そして死なせる言葉への深い敬意を感じる。ここまで一つ一つの言葉を大切にした作家の原稿を預かるということは、改めて言葉の重要性を継承する意志を内外に示すことになるだろう」といった主旨でした。全く同感です。大江さんの言葉に対する真摯(しんし)さを目にして、大江さんすらこれほど吟味しているのだから、我々も言葉を大切に使わなければならないと感じます。おこがましいようですが一人の文学者として、彼のような慎重さをもって言葉を発する生き方を目指したいと思います。

 

──草稿研究という研究手法について、会見では「比較的新しく、その方法論も研究者の間で共通認識ができていない」といった発言がありました。草稿研究の可能性をどのように考えますか

 

 草稿研究には二つの考え方があります。一つは定稿を作者の意図を最もよく体現するものと見なし、下書きや草稿からだんだんとその意図が明確になっていく過程を追おうとするものです。しかしこれは、作者の意図を唯一絶対の正解とする前提に立つため、他のさまざまな解釈を押しつぶしてしまう可能性があります。もう一つは、草稿も定稿も等価値と見なし、全てを生成のプロセスの中で捉えようとするものです。この場合、言葉の無限の運動が対象となるので、最終地点という概念自体がなくなります。私はこの二つ目の生成論的な考え方の方に魅力を感じます。作者の当初の思惑が示されている草稿を一種の権威として振りかざし、他の解釈を抑圧するのではなく、解釈を広げるために使いたいですね。

 

 また、草稿だけを見ていると、作品の社会的な広がりを解釈の上で閉じ込めることになりかねません。言葉は同時代の社会、すなわち作品の外側からの影響を常に受けるものです。大江さんの場合は特にそうでしょう。作品だけでは見えてこない、そうしたつながりをこそ研究者は調べなければなりませんが、草稿に注目しすぎて文学至上主義に陥らないように注意する必要があるでしょう。

 

──長年作品を研究してきた立場から、原稿やデータベースが公開される意義はどこにあると考えていますか

 

 原稿が公開されるということの価値は言うまでもありませんが、実は詳細な書誌情報が一般公開されるという点に大きな意義があります。というのは、データベースの元になった個人の研究者・森昭夫さんによる書誌情報はこれまで限られた研究者しか閲覧できなかったものなんです。森さんの作った書誌情報は、初版本や雑誌の対談、新聞のインタビューから帯文・推薦文に至るまでが網羅されています。一口に言えば研究のスタート地点がなだらかになりました。今後ますます大江研究の裾野が広がっていくことが期待できるでしょう。

 

大江健三郎文庫内部の様子
自筆原稿が閲覧できる大江健三郎文庫内部のPC。著作権の関係から奥にある自筆原稿の写真を掲載することは叶わなかったが、ぜひ文庫を訪ねその目で見てほしい。膨大な修正跡は言葉に対する大江氏の並々ならぬ思いを感じさせる。(撮影・宮川理芳)

 

消された一文で逆転する「さようなら」の意味

 

──文庫は大江氏の生前から数年間にわたって準備が進められてきました。村上先生は昨年、文庫発足を前に『空の怪物アグイー』についての口頭発表を行いました

 

 18年から講談社で『大江健三郎全小説』という全集の編集が始まり、編集者などが大量の自筆原稿を集めたそうです。それを機に担当編集者の山口和人さん、早稲田大学教授の尾崎真理子先生、名古屋外国語大学教授の沼野充義先生を中心に、東大文学部への寄託が検討され始めました。寄託契約が結ばれたのが21年で、私もその夏から協働研究のチームに参加しました。口頭発表は研究チーム及び文庫発足を内外に宣伝するために頼まれたことです。ただこれは特例で、学外の研究者と原稿の閲覧に機会の不平等があってはならないということで、自由に研究できるようになったのは正式に文庫が発足した9月からです。

 

 短くかつ原稿が全て揃っている作品の中から、特に大江さんにとってターニングポイントになったと思われる『空の怪物アグイー』を選びました。この作品で大江さんは、知的障がいを持って生まれた長男・光さんをどう引き受けるかと言う新しい課題に向き合いました。大江文学の転換点であるという意味において、どのように言葉を生み出し、消したのかをこの作品で考えるのは、意義のあることでした。

 

──草稿からどのような発見がありましたか

 

 『空の怪物アグイー』は、主人公の「ぼく」が10年前を振り返って書いたもの、ということになっています。いわゆる枠小説です。銀行家の息子で著名な作曲家・Dは、かつて生後すぐに子供が死に、それが原因で離婚していました。大学生の「ぼく」は銀行家に頼まれ、Dに付きそうというアルバイトを始めます。Dは子供の死後「アグイー」という名の、大きなウサギのようなお化けが時折空から降りてくるのだと話します。その後、「ぼく」はDの元妻から、子供が生まれてから死ぬまでに発したのは「アグイー」という言葉だけであったことを聞かされますが、その後Dは交通事故で亡くなり、結局「アグイー」が何だったのか、実在したのかも分からないままでした。Dの死から10年、「ぼく」は何の理由もなく子供たちに石を投げられ、目を傷つけられます。そのとき「ぼく」は初めて「アグイー」の存在を感じ取り、「さようならアグイー」と呟いて作品は終わります。

 

 草稿からはまず、タイトルが「空の怪物アグイー」ではなく、「さようならアグイー」だったことが分かりました。紙を貼られて消された部分を裏から透かして発見したんです(笑)。これは、最後の「さようならアグイー」というセリフが決定的に重要であることを示しているでしょう。おそらくそのままタイトルにするとあまりにも直接的だというので変えたのだと思われます。

 

 このセリフは、従来の解釈では「ぼく」がDとアグイーにとらわれ続けた10年に別れを告げ、新たな生の可能性に開かれたものと考えられてきました。私自身も、誰にもアグイーのことを語れなかったDと違って、小説という形で語り、他者と共有することのできた「ぼく」を、Dを乗り越えた象徴として理解していました。

 

 しかし、草稿で「ぼくはかなり永い期間、疑惑に苦しめられていたが、この十年間のうちに、やがてぼくはDのことも、Dの幻影のことも忘れていたのだった」という文章が消されているのを発見しました。これは大きな衝撃でした。10年を経て忘れていた可能性など考えもしませんでしたから。読者としては「ぼく」がDを乗り越えたのだという希望的な解釈をしたくなりますが、この一文を考慮に入れてなお整合的に解釈するならどのようなものがあり得るか。むしろここで初めて「ぼく」はアグイーの存在を確信し、Dと重なり合う生を歩み始めたと見るべきではないかと考えました。「ぼく」はあの出来事を忘れたつもりでいたけれども、実際には無意識のうちに引きずっていて、10年後、他者から傷つけられて初めてアグイーの存在を感じ取るとともに、アグイーとDが自分にとって決定的に重要であったことに気付いたのではないか。当時言えなかった「さようなら」を今、言っている。「さようなら」には喪失の実感が込められているのです。大事なものを失ったことでアグイーに出会ったDと同じように、Dと同じ年齢になった「ぼく」もまた、喪失の実感を経てこれからアグイーと共に生きていくことになるのではないか。

 

 私としてはたった一文の有無で全く違う解釈が可能になることが非常に面白かったですし、これは最終稿にもなお有効な解釈だろうと思います。ただし実際には消されていますから、これまでの解釈が間違っていたということにはなりません。どちらも可能でしょう。

 

動物と人間の境界 大江文学の問題意識は

 

──修士課程までは哲学を専攻していたとのことですが、哲学から大江健三郎研究に移行したのはなぜですか

 

 学士・修士の時は、エマニュエル・レヴィナスという哲学者を研究していました。レヴィナスは「他者」を抑圧し全体主義へと向かう思想が西洋哲学の伝統の中にあることを指摘したことで知られます。ただ、私は、レヴィナスの思想をなぞっていても、ヨーロッパで迫害され続けてきたユダヤ人という彼ほどの重い実感をもって「他者」について語れない自分に嘘くささを感じていました。「他者」について語っていても、それは抽象的で、安全圏から語っているだけだという気がしたのです。日本人であり、男性であり、異性愛者であるといった自分自身を基点として、もっと具体的にものを考えてみたかった。文学とは、自分にとってそのような場所に見えました。

 

 戦争の巨大な暴力を乗り越え、他者とどう生きていくべきか、レヴィナスが考えたことを自分が考えるとしたら。日本でそうした問題を引き受けたのは哲学者ではなく戦後文学者だったのではないでしょうか。大江健三郎を選んだのは、単純に愛読する作家だったというのもありますが、一貫して「戦後」の問題を引き受けている作家だと考えたからです。時に嘲笑されながらも愚直に声を上げ続ける彼についてもっと知りたい、そしてじ自分が生きていくヒントのようなものを見いだしたい、という思いがありました。

 

──博士論文を元にした『動物の声、他者の声 日本戦後文学の倫理』(新曜社)では、大江健三郎、武田泰淳、小島信夫の作品における「動物の表象」に着目することで、「戦後日本の主体性言説の限界」を指摘しました。「動物の表象」というテーマにはどのようにしてたどり着いたのですか

 

 大学院時代、大江健三郎をやろうと決めたもののどう論じれば良いのか切り口に悩んでいました。転機は総合文化研究科の田尻芳樹先生のゼミです。ノーベル賞作家 J・M・クッツェーの『エリザベス・コステロ』(早川書房)などを「動物」をテーマに読み解く、というものでした。 クッツェーは、ナチスの強制収容所において「動物」化された人間と、畜産工場で殺される動物たちを大胆に重ね合わせています。このゼミで初めて「動物」が文学的テーマになり得ることを学びました。

 

 翻ってみれば、大江さんも初期から動物を繰り返し登場させています。主体性を剥奪された人間が、 殺してもいい「動物」と見なされてしまう暴力性に最初から目を注いでいたのです。戦後文学は主体性や人間性の復権を描いていると言われてきましたが、理想的な強い言葉の陰で、虐げられていた人間にも目を向ける作家の姿が見いだせるのではないかと考えました。同時代的な広がりがあったことを示すために、武田泰淳と小島信夫の分析も加え、博士論文としました。

 

──今後の大江健三郎研究の展望を教えてください

 

 初期小説では、大江さんは暴力の発生のメカニズムを精緻に追っていくことに関心があったと思います。しかし、光さんの誕生後、すなわち、作品でいえば『空の怪物アグイー』や『個人的な体験』辺りから、共生や恢復(かいふく)がテーマになっていきました。たとえば大きな暴力が起こり何かが決定的に損なわれてしまった後で、傷付いた人、あるいは傷付きやすい人とどうやって共に生きていけばいいのか、といったことが主題となる作品が増えていきました。現代とも響き合うこのテーマについて、草稿も用いながら、大江さんと実際に対話するように検討の痕跡をたどっていければと思います。

 

『動物の声、他者の声 戦後日本文学の倫理』(新曜社)、税込4070円
村上克尚(むらかみ・かつなお)准教授
村上克尚(むらかみ・かつなお)准教授(東大大学院総合文化研究科) 東大大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。19年より東大大学院総合文化研究科准教授。『動物の声、他者の声 日本戦後文学の倫理』 で第68回芸術選奨評論等部門文部科学大臣新人賞受賞。

 

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