文化

2025年5月20日

目指せ!東大の専“門”家 〜本郷・弥生キャンパスにある全ての門を巡ってみよう〜

 

 本郷キャンパスには10個、弥生キャンパスには3個の門が存在しているが、読者諸君はどれほどご存じであろうか。例えば「赤門」は本郷キャンパスの代名詞とも言える建物で、学外にも広く知られている。しかし、たとえ学内の人間であっても、普段使用する門は限られており、全ての門をスラスラ言える人はごく一握りだろう。今回は実際に本郷キャンパス・弥生キャンパスにある全ての門を訪れた記者が、その歴史や地理を中心に解説していく。五月祭などで本郷地区キャンパスに来た際には、ぜひ赤門以外の門にも出向いてみてはいかがだろうか。自分の足で門を訪れることで、その歴史や地形を直で感じてほしい。(執筆・赤津郁海)

 

本郷地区キャンパスマップ(2025年2月25日現在)

 

 

〜本郷キャンパス編〜

 

正門

 正門は本郷通りに面しており、本郷キャンパス内でも最大級の門である。利用者も多く、本郷キャンパスに通う学生であれば1度は通ったことがあるのではないだろうか。正門をくぐると、銀杏並木の向こうに大講堂(安田講堂)が望め、まさに本郷キャンパスの中心的存在である。周囲には法文1・2号館や工学部列品館など国の登録有形文化財になっている建物が並び、正門自体も文化財になっている。正門が現在の形になったのは1912年。卒業証書授与式への明治天皇御幸(みゆき)に合わせて開門された。それ以前には木製の仮正門が建っていたという。元々、門扉(もんぴ)と冠木(かぶき)は鉄製であったが、老朽化などから88年に撤去され、現在設置されているのはアルミニウム合金製のレプリカ。撤去された門扉は修復された上で、駒場に保管されている。

 

改修されたばかりの正門(『東京大学新聞』1988年9月6日)

 

赤門

 正式には旧加賀屋敷御守殿(ごしゅでん)門。その歴史は東大よりも古く、創建は1827年にまで遡(さかのぼ)る。現在の本郷一帯に武家屋敷を構えていた加賀藩の藩主・前田斉泰が江戸幕府の第11代将軍・徳川家斉の21女・溶姫を迎える際に建てられた。本郷キャンパス内で唯一の国指定重要文化財であり、標高も10の門で最も高い。名実ともに本郷キャンパス最高位の門であり、まさに東大を象徴する門であると言える。残念なことに耐震性の問題から、2021年以降閉鎖しており、一時的に開門されることはあっても、くぐることはできない。赤門創建200周年を迎える2027年の開門を目指して、準備が進められているところだ。赤門の正面には、医学部広場と医学部2号館が位置しているが、かつてはこの地に溶姫の御殿があったという。

 

溶姫を迎えるため建立された赤門(『松の栄 旧幕府之姫君加州屋へ御輿入之図(軸)』(東京大学総合博物館所蔵)を改変)

 

 

伊藤門

 公式表記は伊藤国際学術研究センター門(仮称)。(仮称)が名前に含まれる、なんとも面白い門である。伊藤国際学術研究センターは門の正面にある建物で、東大の社会連携・国際交流の拠点として2012年に設立された。「伊藤」は同センターが伊藤雅俊氏(株式会社セブン&アイ・ホールディングス名誉会長)及び伊藤伸子氏(同夫人)の寄付によって建設されたことに由来する。本郷三丁目駅から近く、利便性が高い。一方で、東大が出しているキャンパスマップに本郷キャンパスの門の中で唯一名前の記載がない。

 

懐徳門

 懐徳門は本郷通りから1本奥に入った道に面する門で、本郷キャンパスの門の中で本郷三丁目駅に最も近い。2007年に、本郷キャンパスの構内交通を円滑化するために建設された三つの門の内の一つ。名前は、門付近にある「懐徳館庭園」から。明治後半、同地に旧加賀藩主前田氏本郷本邸が建設されたが、1928年に東大に寄贈され、懐徳館と命名された。当時の建物は戦争で焼失し、現在のものは戦後に再建されたもの。東大の迎賓施設として利用されており、国指定の文化財にされている。懐徳門自体も、旧館の煉瓦(れんが)基礎を利用してデザインされている。

 

春日門

 春日門は西片門・懐徳門と同様、本郷キャンパスの構内交通を円滑化するため2007年に新設された。他二つの門とは違い、既存の通用口を改修したものである。本郷キャンパスにある10の門の中で最も南に位置しており、唯一春日通りに面する門でもある。名前の由来も春日通りから。門の両側の煉瓦(れんが)壁は旧加賀藩主前田氏本郷本邸のものとされている。門のすぐ脇の建物は情報学環・ダイワユビキタス学術研究館。隈研吾氏(東大特別教授)が設計に関わっており、その特徴的な建築は一見の価値があるだろう。かつてはヤギ小屋も近くにあったらしいが、残念なことに現在は撤去されている。本郷三丁目駅から近いものの、本郷キャンパスの中心からはかなり離れているため、学生が利用することは少ないと思われる。

 

新設された当時の春日門(『東京大学新聞』2007年5月22日号)

 

龍岡門

 龍岡門は本部棟近くに位置する門。附属病院前の車道に通じており、車両も入構できる。附属病院来院者がよく利用し、交通量は随一。附属病院の入り口としての性格が強く、門脇の広報センターも元々は夜間診療所として建てられたもの。「龍岡」の由来は旧町名から。弥生門と同じく元東大総長・内田祥三の設計で、それ以前は龍岡門の前身である「南新門」が建っていた。都の歴史的建造物に選定されており、建設当時は弥生門と同様立派な木製の門扉あった。1994年の道路拡張工事の際に門扉(もんぴ)が撤去され、13の門の中で現在24時間常時開放している唯一の門となっている。

 

鉄門

 鉄門は東大附属病院南部に位置する門。その名前は、古くより東大医学部の代名詞として用いられてきた。由来は、東大医学部・附属病院の前身である種痘所(しゅとうじょ)が、その鉄製の門扉(もんぴ)から「鉄門」と呼ばれたことによる。種々の変遷を経て、東京医学校として本郷に移転。医学部正門の「表門」には、引き続き鉄製の門扉が使われた。移転当時、表門は本郷キャンパスの正門としての役割を果たしていたという。やがて本郷通り沿いに現在の正門が完成すると、表門は「鉄門」と呼ばれるようになった。本郷キャンパスの敷地拡大により不要になった鉄門は1918年に撤去。現在の鉄門は2006年、東大医学部・附属病院の150周年記念事業の一環として再建されたもの。当時の形状を受け継ぎつつ、緑色を用いた鮮やかな彩色となっている。

 

88 年ぶりに再建された鉄門(『東京大学新聞』2006 年7月4日号)

 

池之端門

 池之端門は本郷キャンパスで最も東にある門である。「池之端」は付近の地名にもなっており、その名前が示すように、門を出るとすぐに不忍池(しのばずのいけ)が見えてくる。本郷台地に位置する本郷キャンパスは、不忍池に向かって西から東に標高がだんだん低くなっていく。最東の池之端門は段丘崖(だんきゅうがい)に位置し、13の門の中で最も標高が低い。かつてはこの地に茅町門が建っていた。茅町門は1930年に建てられたもので、池之端門も門柱などその一部は茅町門時代のものを使っているとみられる。近くには源義経一行が旅の途中で喉を潤したとされる「弁慶鏡ヶ井戸」や室町時代に当時の将軍によって創建されたという「境稲荷神社」があり、観光名所となっている。一方で、門付近の建物は附属病院のもので、学生が利用する機会は限られている。

 

上野方面に新設された茅町門(『帝国大学新聞』1930年4月14日号)

 

 

弥生門

 本郷キャンパスの工学部エリア東部には弥生門がある。その名前から、弥生キャンパスの門と勘違いされがちである。そもそも「弥生」とは、本郷キャンパスの北にある町名で、弥生門は本郷と弥生の境に位置する。「弥生」から連想されるであろう「弥生土器」や「弥生時代」という名称も、土器がこの地から出土したことに由来する。1935年ごろに開門し、設計は関東大震災後の復興にも尽力した元東大総長の内田祥三。キャンパスの端にあるとはいえ、根津駅から最も近い門であるため、利用者は少なくない。門扉(もんぴ)が残る貴重な門でもあるため、足を運ぶ価値は十分だ。

 

西片門

 本郷キャンパスの門で、最西に位置するのが西片門だ。本郷通り沿いにある四つの門の中で最も北にある門でもあり、標高も赤門に次いで第2位となっている。2007年に本郷キャンパス構内交通を円滑化するために新設された門の一つで、付近には工学部5号館がある。東大前駅から近く、利便性も高い。「西片」は付近の町名に由来している。本郷キャンパスは西から東にかけて標高が下がっていくため、最東の池之端門とは約15メートルの標高差がある。本郷通りから言問(こととい)通り、暗闇坂を経由して池之端門まで歩いてみればその高低差が肌で感じられるはずだ。

 

 

 

〜弥生キャンパス編〜

 

農正門

 農学部正門(農正門)は弥生キャンパス西部にある門で、その名の通り農学部の正門である。弥生門と混同されがちだが、あちらは本郷キャンパスの門である。農正門は本郷通り沿い、すなわち五街道・中山道(なかせんどう)沿いに位置しており、さらには東大前駅の目の前という抜群の立地である。農正門が建設されたのは1937年。農学部が弥生キャンパスに移転したのは1935年であるため、若干の時間差がある。設計は弥生門・龍岡門と同じく内田祥三による。2024年には門脇の農学資料館や、弥生門・龍岡門と共に都の歴史的建造物に選定されている。老朽化などを理由に2003年に全面改修工事が行われており、現在の門扉はその際に復元されたもの。旧来の門扉は門を入って右、弥生講堂前の広場にモニュメントとして設置されている。

 

地震研正門

 地震研正門は弥生キャンパス北部にある門。門の正面に東大地震研究所1号館、脇に2号館が建っている。弥生キャンパスには農学部しかないと思いがちであるが、存外多様な建物が位置しており、硬式野球場もここにある。浅野を含む本郷地区キャンパス全体で最も北にある門で、南端の春日門とは直線距離でもおよそ1.25km離れている。本郷地区キャンパスの広大さがうかがえる。地震研究所は関東大震災を契機に1925年に設立された。当初は本郷キャンパス内にあったが、63年に弥生キャンパスに移転。移転前は、現在の理学部4号館の位置にあったという。

 

農南門

 農南門は読んで字のごとく、農学部がある弥生キャンパスの南部にある門だ。規模が小さく、門と言うより通用口に近いと言える。本記事で紹介する13の門で唯一言問(こととい)通りに面しており、弥生キャンパスから根津・上野方面に行くには便利な門である。言問通りを挟んだ向かいには本郷キャンパス、根津方面へ少し歩くと浅野キャンパスがあるため、キャンパス間の移動には便利な門と言える。なお、本郷キャンパスへの移動にはすぐ近くの構内陸橋も便利である。農南門を入ると正面には都の歴史的建造物に選定されている農学部3号館が見える。

 

 

 

東大は傾いている? 

 普段キャンパスを歩く際に、あまり地形を気に掛けることはない。しかし、これまで見てきたように本郷地区キャンパスには地形的に面白い特徴がある。本郷地区キャンパスは武蔵野台地の端、本郷台地に位置している。東にある不忍池(しのばずのいけ)に向かってだんだんと標高が下がっており、付近には「無縁坂」など坂も多い。坂は構内にも存在し、特に大講堂(安田講堂)横の道は顕著である。本郷キャンパスや浅野キャンパスの東縁部は台地と低地の境目であり斜面が極めて急な段丘崖(だんきゅうがい)になっている。この段丘崖の下、不忍池以東に広がるのが東京低地だ。観光する時は、地形を意識して歩いてみよう。その土地の理解が深まり、その時間はより一層特別なものになるはずだ。

 

 

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