インタビュー

2015年10月5日

「世の中の奴隷になるな。違和感は大切に」映画作家想田和弘さん 後編

事前の打ち合わせや台本なし、ナレーションもテロップも音楽も使わないドキュメンタリー映画。東大OBでもある想田和弘さんはこの「観察映画」という独自のスタイルを確立したドキュメンタリー映画作家である。監督・撮影・録音・編集もほとんど一人で行い、これまで『選挙』や『精神』といった作品で大きな話題を呼んできた。観察映画論について語っていただいた前編に続き、後編の今回は想田さんご自身のことについて伺った。

 

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就職活動をやめて「じゃあ映画かな」

 

−想田さんは東大を卒業後、ニューヨークのフィルムスクールに進学されています。なぜ映画の道を志したのですか?

 

大学4年生のときに就職活動として1社だけ説明会に行ったんです。そこにはリクルートスーツに身を包んだ2000人くらいの学生がいて、自分も同じようなスーツを着て参加していました。その自分の姿にショックを受けてしまって。というのも、学生時代に僕は東大新聞に所属していて、反体制的な記事ばかり書いていたんですね(笑)。その僕が会社の期待に沿うように、自ら進んでリクルートスーツを着ている。何か自分から支配されにいくような、卑屈なものを感じたんです。あと、会社の福利厚生の説明も衝撃的だったかな。「何年勤めると何日間のご褒美休暇がもらえる」といった話が、「どうだ、うちの会社凄いだろ」的な文脈で説明されるのを聞きながら、「うわっ、定年までの休暇の日数まで決まってるのか!?」と、お先真っ暗になったんです(笑)。

 

なんだかそのまま就職することは、僕自身が自分に対してものすごく失礼なことをしている気がして、説明会を途中で抜け出しちゃった。ついでに就職活動もやめて「映画を勉強しよう」と思い立ち、親に頼み込んでニューヨークのフィルムスクールに進学させてもらいました。

 

−もともと映画がお好きだったんですか?

 

いや、全然(笑)。あまり詳しくなかったし、そんなに好きでもなく、本当に思いつきでした。そのちょっと前に小津安二郎の映画を観て、ものすごく感銘を受けたということがあったのかもしれないです。

 

フィルムスクール在学中は、ドキュメンタリーには興味がなくてフィクションばかり撮っていました。一度大学を卒業しているのだからと、社会人になったつもりで作った映画はどんどん映画祭に出し、卒業制作がベネチア国際映画祭で上映されたんですよ。それが足がかりとなって、商業映画を撮るオファーがバンバンくるんじゃないかと思ったんですけど、そんなに甘い世界ではありませんでした。

 

そこで、さすがに働かなくちゃと思って、日系スーパーでたまたま見つけた制作会社の求人募集に応募しました。その会社はNHKのドキュメンタリー番組を請け負って制作している会社で、生活費を稼ぐために腰掛のつもりで入ったんですけど、そこでドキュメンタリーにはまってしまったんです。

 

ドキュメンタリーという危険かつ魅力的なスタイル

 

−なぜドキュメンタリーにはまったのでしょうか?

 

すごいワイルドなことをするなあと思ったんですよ。フィクション映画では、俳優にカメラを向けて脚本に沿って演技してもらう。でもドキュメンタリーっていきなり普通の人にカメラを向けて、編集室で勝手にその人の人生を作って、それを公開しちゃう。「こんなことやっていいの!?」っていう感覚でした。よくこんな営みが許されているな、と。でも撮られる方も結構楽しんでいて、その関係が成立しうることに「人間って不思議な生き物だなあ」と感じましたね。

 

もちろんそれまでもドキュメンタリーは観てたけど、そんなことは感じたことがなかった。作る側になって初めて「これ変なことだな」と思いました。だって一歩間違うと被写体の人の人生をめちゃくちゃにしてしまうかもしれないじゃないですか。危険と隣り合わせの表現形態です。そういうことを日常的にやっている、改めて考えるとすごい形式のジャンルだなと衝撃を受けたんですよね。

 

面白いのは、被写体にカメラを向けることで、僕自身の被写体に対する印象まで変わってくることです。僕は入社してから数年間、毎週一人の生活を追いかけてその人生を描く20分の番組「ニューヨーカーズ」(NHK衛星第1)を作っていたんですけど、被写体候補の人に最初に会ったときには、普通にそこにいる人にしか見えないんですよ。「隣のおっさん」とかそういう感じですよ(笑)。でもカメラを向けてその人の作品を作っちゃうと、その人がスターにみえてくるんですね。そして視聴者にもそういう風にみえてしまうんですよ。これが不思議でしょうがなくて。

 

映像って、映像に映っただけで、一種の権威が生じるんだと思います。文字通りイメージが拡大されて、等身大以上の像になるんですよ。

 

英語に’There is no such thing as bad publicity (悪いパブリシティなどというものは存在しない)’という言葉がありますが、それは映像メディアの本質を表しています。どんなに悪い取り上げられ方でも、注目が得られてnobodyからsomebodyになってしまう。自分がそういうものを作り出している、つまり自分がカメラを向けることで、その人が急に特別なものになり世の中に認知されてしまうということが、なんだか不思議でしたね。

 

—その不思議さや変な感じに魅かれたということでしょうか。

 

そうですね。今はドキュメンタリーにもっといろんな魅力を感じてますけど、最初はまった理由はその辺にあるでしょうね。今や僕たちのリアリティって、実はほとんどがメディアの中にあると思うんですよ。僕はよくイラク戦争のことを論じるけど、イラクに行ったことはない。イラクに関して僕が「現実」だと思っていることは、すべてメディアを通した「現実」です。でもそれってイラクだけに限らないですよね。そういうことが世の中のほとんどです。メディアが自分の代わりに目や耳になって、僕らのリアリティを作り上げているんですね。

 

自分がその目と耳になってみたときに、何か世の中に対して、そして被写体に対して、すごく大胆なことをしている感じがしました。そこがドキュメンタリーの危険かつ魅力的な部分だと思います。被写体に対しても視聴者・観客に対しても責任が大きい。カメラを向けることで、人間と激烈に関わり激烈な関係を結ぶ。そこがドキュメンタリーの怖さであり、面白さなんだと思います。

 

自分を大切にする=自由であること

 

−その後テレビ番組の制作会社から独立され、ドキュメンタリー映画を作られることになりますがどういった経緯があったのでしょうか?

 

NHKのドキュメンタリー番組を作るのは最初は面白かったんですけど、だんだんマンネリ化してきて。テレビでは撮る前に台本を書かされて、それに沿って番組を作らないといけないんですが、そういう予定調和的な作り方に違和感が出てきたんですね。ナレーションで何でも懇切丁寧に説明するのにも、だんだんうんざりしてきたし。

 

それに小さい番組を作っていた頃は結構自由にやれたのですが、だんだん大きい番組を作り始めると口出ししてくる「上の人」も多く出てきて、それにストレスを感じ始めたんですね。

 

鮮明に覚えているのが、ニューヨークのメトロポリタン美術館のドキュメンタリーを制作していたときのこと。かなり大きな番組だったので、日本のプロデューサーによる番組作りへの介入も強かった。ある日、撮影のために美術館の大階段を上がっていたとき、東京のプロデューサーから事細かなショットの指示の電話が入って、僕の中で何かがプッツンと切れてしまったんですね。

 

それまではプロデューサーと意見が異なるときは、反論をしたり別の提案をしたりして、なんとか「自分の番組」を守ろうとしていたんですけど、その時初めて、「はい、わかりました」と、全てを受け入れ抵抗するのをやめました。「これは俺の番組じゃなくて、彼らの番組なんだから」と。僕の中で何かが死んだ感覚でしたが、とても楽になれたんですよ。自分がワクワクして納得できる作品をつくるための戦いをやめちゃったんですね。

 

それから、楽だけど生きている感じが全然しない時期が1〜2年続いて。今から考えると、いわゆる「中年の危機(ミッドライフ・クライシス)」そのものだったと思います。まだ30代前半だったんですけどね(笑)。「俺はいったい何をしているんだろう」と毎日暗い目をしていたと思います。カミさんにも相当心配されました。

 

ところが、転機は思わぬところからやってきた。勤めていた会社の業績が急に悪化して、僕も含めたほぼ全員がリストラされてしまったんです。しょうがないから自分の会社を作って、1年くらいがむしゃらに働きました。それで心とお金に余裕が出てきた頃に、「そういえば俺の目標は映画を作ることだったんだよな」と思って、『選挙』の撮影に踏み出せたんです。今思えばあのときリストラされたのは、自分を大切にするための良い転機だったなと思いますね。

 

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−想田さんの観察映画のスタイルや、就職活動やドキュメンタリー番組を作っていらした頃のエピソードから、やはり「自由であること」をとても大切にされる方なのかなと思います。

 

人ぞれぞれに幸福感や価値観が存在すると思いますが、僕の場合は「自由であること」のプライオリティが高いです。自分自身が「生きている」と感じるために、どうしても不可欠な要素です。もしみなさんも自分が「自由でないこと」に違和感が生じて、その不自由さが自分を蝕んでいると感じるのであれば、それはちゃんと向き合ったほうがいいと思う。違和感は大事にしたほうがいい。

 

いずれにせよ、世の中には「知らず知らずのうちに自分が何かの奴隷になっていること」が山ほどあると思うんですよ。それは人だったり、パソコンやケータイとかのモノだったり、社会や会社といったシステムだったり。その中でなんとか大切なものを失わず、サバイバルしていくことを考えていかなくちゃいけないと思いますね。いかに「何かの奴隷」にならずに、自分の感じ方や好き嫌いを大事にして独立して生きていくか。それが大切だとつくづく感じます。

(文・インタビュー 新多可奈子)

前編:「伝えたいもの」はない。ではなぜ撮るのか?観察映画論:映画作家想田和弘さん

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