インタビュー

2017年9月19日

千葉雅也准教授インタビュー・哲学者から見た受験勉強 勉強は知の人類史の継承 

 本郷の生協書籍部で4月の売り上げ1位を記録した『勉強の哲学来たるべきバカのために』(文藝春秋)。その著者であり、今月初旬には初の著書『動きすぎてはいけないジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)の文庫版も発売された気鋭の哲学者・千葉雅也准教授(立命館大学)に、受験勉強や在学中の思い出について話を聞いた。

(取材・日隈脩一郎 撮影・久野美菜子)

 

 

高校から批評を執筆

 

――東大を受験したきっかけは

 中学受験を機に学習塾に入り、学校よりも進度の速い授業を受けたり、成績が上がったりするのが楽しくなりました。高校受験の際は、通えないことを承知で、都内の進学校をゲーム感覚で受験したりとか(笑)。結局は県立高校に進学しましたが自然と「東大も行けそうだな」と考えるようになりましたね。

 

――文Ⅲを受験しました

 両親が共に美術系の学校だった影響で、美大進学の希望を持っていました。高校では美術部に入っていたので、作品を県内のギャラリーで展示させてもらったりしていて。夏休みに美術館レポートの宿題が出たんですけど、批評と詩と絵が組み合わさったアートブックを自分で製本して提出し、それを評価されたのがうれしかったことを覚えています。

 

 美術部顧問の先生を通じ浅田彰さんなど「ニューアカデミズム」の批評家を知る中で本格的に批評に触れるようになり、自らどんどん書くようになりました。

 

 科類を決める上で直接的な契機となったのは1995年の社会状況でした。阪神淡路大震災やオウム真理教による一連の事件、『エヴァンゲリオン』テレビシリーズの公開に加えて、わが家にインターネットが入ったんです。

 

 深夜まで自室でチャットサービスを利用しアニメなどについて語る中で「芸術とメディア論」というテーマが育まれました。高3時には、勝手に卒業論文としてこの手のテーマで長文を書いていて、「行くんだったら文Ⅲだな」と思うようになりました。親としては弁護士になるために文Ⅰに入ってほしかったようですけど、1週間考えて「やっぱり文Ⅲに行きたい」と言ったらあっさり許してくれましたね。

 

駒場の授業が刺激に

 

――どのような学生生活でしたか

 駒場の授業には非常に刺激を受けました。久保田晃弘先生(現・多摩美術大学教授)の授業では、『エヴァンゲリオン』のタイポグラフィーを見せることから始まって、いろいろな映像作品を紹介してもらいました。上野千鶴子先生(現・東大名誉教授)の講義では、春画を見せてくれたのが印象的でした。

 

 具体的な進路を決める上でも駒場での授業は大きかったです。基礎演習(現・初年次ゼミナール)の授業は黒住真先生(現・東大名誉教授)が担当で、僕が書いたベルナール・フォコンという写真家についてのレポートが「表象文化論向きだね」と言われたりもしました。

 

 田中純先生(現・総合文化研究科教授)が授業でプリクラに言及した際には、「プリクラ試論」という題のレポートをベンヤミンの『複製技術時代の芸術』を踏まえて書いてみましたが、こういった試みも批評家としての型を身に付ける上で得難い経験でした。「批評っぽいもの」を練習していた時期でしたね。僕は、そういうふうにポーズから入るのは大事なことだと考えています。

 

 一方で、栃木から東京に出て来た身だったこともあって、クラブに出向いてみたり、新宿二丁目の飲み屋に足を運んだりもしていました。そこでストリートファッションなどのサブカルチャーや、セクシュアリティーなどの現代思想的なテーマに実地で触れていました。遊びと最先端の学問が直接結び付く時代でしたね。

 

――結果として研究者の道を選びました

 卒論を高橋哲哉先生(現・総合文化研究科教授)に評価してもらえたのは大きな後押しになりました。美術を好む家庭環境にあって、父親は広告屋の経営者だったので、進路は元から「社長か芸術家だな」と思っていました(笑)。大学院に進学して現在に至りますが、僕は文章を美術制作の延長上の意識で書いているし、また、研究者は経営者マインドがないといけないとも思っています。論文や批評を書くということは、どうやって先行研究と差別化を図るか、どのようにすれば引用されやすいかといったことを考えなくてはならないという点で、コピーライター的な仕事と相通じるところがある。だから、結果的には経営者にも芸術家にもなったといえるかもしれませんね。

 

 

受験勉強でも「変身」

 

――『勉強の哲学』の主張は「勉強=変身(来たるべきバカになること)」ですが、受験勉強でも変身は可能ですか

 可能です。そもそも受験のためだけに勉強することは不毛ではないでしょうか。それだけだとしたら、限られた知識とそれを運用する不安定な論理を身に付けることにすぎないと思うんです。

 

 僕自身、高校時代から哲学や批評に関心を寄せていましたが、人文学の勉強をちょっとでもしていればセンター試験の国語の第1問(評論文)なんて間違えようがありませんよ。世界史も「あ、これはマルクス主義的に考えられるな」とか、数学にも科学史的にアプローチしてみたり、純粋なる無意味な公理体系として割り切って接してみたりすることができるわけです。そうすると、大学以降の深い学問への道も開けてくる。そういった人たちこそ、真に大学で学ぶ素養がある人たちです。

 

――学問の道に進まない人でも深い勉強はできますか

 できます。東大に入っただけで自分はエリートで頭が良いと思い、金儲けに奔走したり自分だけ良ければ良いという意識でいるような人は東大生の名に値しませんよ。

 

 深い勉強とは、単なる経済的成功や名声に甘んじることなく「今なぜこれがはやるのか」「そもそも経済的な成功とは何か」といった一歩引いた視点に立って物事を考えること。そういったことの探究には、もちろん語学は大切でしょうし、歴史資料や統計を読解する技術、数理的に物事を捉える見方などが必要です。それは長大な歴史的視点を持つこと、言い換えれば「知の人類史を引き受けること」だとも言えるでしょう。ただ、そういう態度は当面は周囲から浮いてしまう、つまり「キモくなる」ことにつながります。それが『勉強の哲学』でも主張していることです。

 

 世界の成り立ちについて少しでも知れば、素朴に「自分は今ハッピー」なんて言えなくなるはずです。

 

 東大には豊かな学問的蓄積があります。そこに入学するというのは「知の人類史を引き受けること」です。「我こそは!」と思う人は、ぜひ東大へ。

千葉雅也(ちば・まさや)准教授 (立命館大学)

 06年パリ第10大学大学院Master2修了。12年総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。同年より現職。著書に『別のしかたでツイッター哲学』(河出書房新社)、『岩波講座現代7 身体と親密圏の変容』(共著、岩波書店)などがある。


この記事は2017年9月12日号からの転載です。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。

 

 

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