キャンパスライフ

2017年1月16日

「語るべき物語」を見つける。【連載:映画留学記3】

 あけましておめでとうございます。連載3回目となりました。拙文にお付き合いくださっている皆様、本当にありがとうございます。1月になり、ニューヨークには本格的な冬が到来しています。

 

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雪のコロンビア大キャンパス(写真は後藤さん提供)

 

コロンビアフィルムスクール出願書類を解剖する


 さて、前回、「コロンビアフィルムスクールでは入学試験の際に業界経験を重視しない」とお話ししましたが、それでは一体何が重視されるのか。ではここで、コロンビアフィルムスクール(プロデュースコース)の出願に必要な書類を見てみましょう。

出願エッセイ

長編映画のトリートメント(物語の要約)2本

短編シナリオ1本

映像作品(監督・脚本コース出願者は提出必須。プロデュースコース出願者は任意)

・TOEFLスコア(留学生のみ。基本的にはiBT100点以上が必要)

・レジュメ、学部時代の成績表、推薦状 (3通)

 エッセイ、トリートメント、シナリオ、映像作品。この必要書類からも分かるように、プロデュースコースの学生でも、監督・脚本コースの学生と同じように、映画トリートメントやシナリオといったクリエイティブ・ポートフォリオの提出が求められます。出願書類では、推薦状やレジュメももちろんですが、それよりも「個人がどれだけ強く魅力的なストーリーを持っているか」が重視されます。

 

「Story to tell がないなら、コロンビアに来るな!」–コロンビア大フィルムスクールの特徴とは


 多くの学生が車を持つカリフォルニアとは異なり、大規模な機材運搬やクルー移動ができないニューヨークでは、どうしてもロケーションがアパートの室内や公園等、公共交通機関や徒歩での移動が可能な範囲に限られがちです。それゆえに、たとえ授業のエクササイズであっても、ストーリーがちゃんと語られているかどうかに重きが置かれます。

 コロンビア大に入学するまで、私は「アート系の映画」というと、ストーリーがないようなミュージックビデオのようなもの(いわゆる「よく分からない映画」)も含まれるのではないかと考えていたのですが、実は、教授に一番嫌われるのは「ストーリーのない」映画でした。

 例えば、一度、クラスメイトが、技法的には大変優れた、クオリティの高く美しい映像をエクササイズとしてディレクティングの授業で発表したことがあるのですが、その際に教授は「これは何なんだ、こんなものはフィルムスクールに来る前に作れ!」と不機嫌になり始めました。「”Story to tell”はどこにあるんだ?この映像は綺麗だが何もストーリーがない。語るべき物語を見つけることが出来ないなら、コロンビア大に来るな」とまで言っていました。これはかなり激しい教授の例ですが…。

 他のフィルムスクールの卒業生や学生と話したところでは、コロンビア大は他の大学に比べると映画制作の技術よりもストーリーテリングに重きを置いているな、と感じました。ディレクティングの授業では、映像やサウンドのクオリティや「クールさ」よりも、人物の感情の動きをカットでどのように表現できるのか、ブロッキング(人物の配置)をどのように工夫するのか、といったことに重きを置いて講評がなされます。

 前回には触れませんでしたが、実は、この「ストーリーテリング」こそが、私がコロンビア大を受験した最大の理由でもありました。TVドラマはもちろんのこと、現在はネットのドラマシリーズ、Youtubeビデオ、ゲームやVRといったように、ヴィジュアルによるストーリーテリングのプラットフォームは続々と繁殖しています。その中で、媒体に関わらず「物語る」ための学びを手に入れたいと思い、ドラマに強いと言われていた東海岸のみを受験しました。

 コロンビア大のスクリーンライティングの授業では、すべての学生が短編・長編の脚本を執筆します。自分の中にあるドロドロした感情やトラウマなど、醜い部分をも直視した上で、その感情をどのようにエンターテイメントとして昇華・表現できるかを考えていきます。

 

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後藤美波さん(写真は後藤さん提供)

 

アメリカで見つけたもの。


 コロンビア大の3年間の中で、学生たちは”story to tell”や“one’s own voice”を見つけることを奨励されます。これは監督も、脚本家も、プロデューサーも同様です。もちろん、脚本執筆や物語構成のルールを基本として教え込まれますが、それだけでなく、「どう脚本やスクリーンに自分の言葉を乗せられるか」を深く学んでいくことになります。

 スクリーンライティングの授業内で受ける講評や教授たちからのアドバイスが「ストーリー・トゥ・テル」を模索する中で助けになるのはもちろんですが、私は、コロンビア大のインターナショナル性が重要なファクターになっていると思っています。

 約60人が24か国から集まっているクラスの中では、誰もがマイノリティ。リベラルな校風の中、授業以外でも誰もが活発に意見をぶつけ合います。その環境では、持つ前提の全く異なる相手に対し、自分のアイディアや経験を1から話すことが毎日のようにあります。そういった過程においては、自分の常識や先入観を問い直す機会に何度も直面することになります。その、いわば自らについての不断の言語化こそが、物語を生み出す大きな助けになっていると思います。

 現在、シリーズ・リメイク作品の増加が顕著で、アイディアの枯渇が叫ばれて久しい映画界。脚本の中にどれだけオリジナリティを組み込むことができるのか。どのように観客と対話することができるのか。それを見つけるのがフィルムメーカーの仕事だと思っています。

 

照明器具の使い方講習
照明器具の使い方講習(写真は後藤さん提供)

 

「才能」という問題。


 偉そうに色々と語ってしまいますが、実際は、私はクラスメイトや先輩の才能に驚かされたり、泣かされたりすることばかりです。学内でこれなのだから、外に出たらどれだけの才能に圧倒されるのだろうと怖くなることもあります。

 「天才」「鬼才」「異才」…様々な才能を持った人々がしのぎを削るエンターテイメントの世界。その中で、凡才の私がやって行くことはできるのだろうかと思うことは多々あります。自分のアイディアが映画となって多くの人に認められるようになるには、何年どころか何十年がかかるかもしれません。いえ、それどころか、生きているうちに一度だって顧みられない可能性もあります。

 私には、天才的なビジュアルセンスや生まれ持っての言語感覚はないかもしれません。それでも日々周りの才能に追いつこうと必死な毎日です。いつか日の目を見るかもしれないと願いながら、凡才が天才ばかりの世界で戦うには、できるだけ広い世界を見て多くの人と触れ合い、感性を研ぎ澄ませるよう毎日訓練していくしかないのだと思っています。その意味で、コロンビア大に留学し、人と違う道を歩んで不安になったり大変だったりといったことは多くありました(今でも多くあります)が、間違いではなかったと思っています。

 

最後に


 全3回の「映画留学記」は、今回で終了です。

 

 連載の中でカバーできなかった部分は多々ありますが、「フィルムスクールとは」「映画制作をアメリカで学ぶとは」について、少しでも読者の皆様にお伝え出来ていれば幸いです。

 

 目まぐるしく変わりつつある映画業界、そしてエンターテイメント業界。

その中でサバイブし、いつか皆様に私の作品をお届けすることができるよう、一歩一歩進んでいこうと思います。

 

 最後になりますが、この場をお借りして、フィルムスクール留学についての記事を書く機会をくださった東大新聞オンライン編集部の皆様にお礼申し上げます。ありがとうございました。

 

 東大新聞オンラインには私の記事だけでなく、様々な国・分野の留学体験記がありますので、良ければそちらもお読みになってみてください。

 

 では、またどこかでお会いしましょう。

 

(文責:後藤美波)

 

【連載:映画留学記】

 

  1. 東大卒・キャリアなし。コロンビア大フィルムスクールへ行く
  2. 摩天楼の中で、映画プロダクションを学ぶ。
  3. 「語るべき物語」を見つける。 <- 本記事

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