INTERVIEW / OBOG 2015年10月27日

東大を中退し演劇の道へ 劇作家・アマヤドリ主宰広田淳一さん

私事で恐縮だが、筆者はこの夏に就職活動を経験し、それを通じて自分が「東大生」であるということを良くも悪くも再認識した。やはり日本はいまでも学歴社会なのだなと感じさせられた。広田淳一さんは東大出身だが、四年生の時に中退し、演劇を職業とすることを決めた。在学中に「ひょっとこ乱舞」を旗揚げ、主宰し、以降2011年に「アマヤドリ」と改称してからも全作品で脚本・演出を担当している。今回は、「東大」という学歴を捨て劇作家の道を歩むようになった経緯や、今後をどのように考えているかといったことについて伺った。

 

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――劇はいつから?

 

大学からだね。でも、入学当初はバンドサークルに入ったんだよ。どこだっけ、あの……音感だ!音感に入って新入生歓迎ライブてのをやって、洋楽のコピーとかやってた。 それで、これはちょっと違うなあって思って辞めちゃって、それから演劇に……。音感に可愛い娘がいたんで辞める時は迷ったんだけどね笑。

 

――高校で軽音楽をやっていたんですか?

 

いや、全然。中高とずっとハンドボールやってたから。まあ、それでスポーツは散々やったから大学ではなにか文化的なことをやりたいなーって思ったんだろうね。当時、音楽も好きだったけど、小説とか映画も好きだったし、とにかくクリエイトすることに興味があったんだよ。アルベール・カミュがアマチュア演劇をやってたとか、あとは三島由紀夫やら寺山修司が演劇をやってたっていうことは知ってたから、何か文学に近いものとして演劇を意識してたんだよね、最初は。実際、始めてみたらしばらくコントばっかりやってたけど笑。

 

あと、エヴァンゲリオンがすごく好きでねー。当時は、「QUICKJAPAN」が創刊されたばっかりで、そこで庵野監督の特集が組まれたりしてて。サブカル界隈に得体の知れない魅力を感じてたんだよ。まあ、演劇は特に専門技術とかが無くても始められるじゃない?だからまずはやっちゃおう、ってことで始めて。

 

「夢の遊眠社」のビデオを観てみたり、当時は松尾スズキさんとかがブイブイいわせてたから、日本総合悲劇協会の『ふくすけ(再演)』とかを生で観たりして。あれはヤバかったよ。片桐はいりさんが客席から舞台上に駆け登っていく姿に驚愕したり、松尾さんを初めて観た時も、「なんか一人本物のヤクザいる!」って感じで、怖かったなァ笑。ま、そういう強烈な体験がいくつかあってだんだんハマっていったんだよ、演劇に。

 

――なぜ、映画ではなく演劇?

 

それは縁だろうね。多分、映画研究会に入っていたら映画を撮ってたんじゃない?でも、結果として演劇でよかったんだと思う。今も映画には興味があるけど、やっぱりライヴのほうが向いている人間なんだと思うから。

 

――「アマヤドリ」の前身である「ひょっとこ乱舞」を立ち上げたのは大学在学中ですよね?

 

そうそう。三年か四年の時かなあ?MERCURY(注:東大の演劇サークルの一つ)引退してすぐ。といっても、駒場の四年目だけどね。 そのぐらいの時期に立ち上げた。僕は全部で六年大学にいってるんでね。一応、本郷には行って四年生にはなったんだけど、結局、退学してしまったという笑。

 

――え、あとは卒業するだけですよね?

 

そうそう、その気になれば卒業できたんだと思う。国文学の教授達は良い方々ばっかりだったしね。もう卒業させたくてたまらない感じだったから。でも、なんかもういいやって思ってやめちゃった。

 

――演劇に専念したいと?

 

まあ、カッコつければそうなんだろうけど、んー、でも、違うな。当時は学問の面白さがわかってなかったんだよバカだったから。今なら野矢先生の授業とかちゃんと聞きたい。当時はアホ過ぎて何もわからなかった。あとはまあ、卒業してちゃんと学歴を持っちゃうと、演劇でうまくいかなかった時の保険になっちゃうのが嫌だった、てのもあるかな。大学卒業して二年くらい演劇やって、そのあとで読売新聞に就職したって先輩がいましてね……。まあ、東大っていうのはそういう無理が利いちゃいますから笑。

 

――東大という学歴を捨てることになにか思うところはありましたか?

 

特には。親も反対しなかったし、そもそもエリート意識がそんなに無かったんだよ。もともと私大文系狙いで、センターも数学受けなかったし。だから東大は後期だけ受けてたまたま受かった笑。それでも僕はすんごい受験勉強は頑張ったって気持ちがあったのよ。それまでずっと公立校でさ、まあ、高校は一応、地元の進学校ではあったんだけど、一浪して自宅浪人でものすごく勉強したな、って思いがある。でも、大学入ったらホントに何気なく東大入ってるような人達がたくさんいらっしゃってね。ああいう人達って中学受験でちょっと本気出して、あとはまあ、手抜きというか、「東大でもいくかー」くらいの感覚で来てるでしょ?笑。やっぱり次元の違いを感じたよね。

 

僕の場合は両親も含め、親族で大学行ってる人がほとんどいないんだよ。母は中卒。だから、大学入った時点でもうなんていうか圏外なんだよね笑。あとはもう「好きにしろ」って感じだった。中退して演劇やるってなったときも特に反対されなかったね。今から思えば親父はきっと言いたいこともあったんだろうけど、全部自分で決めさせようって作戦だったのかもしれない。

 

――就職しないという道を考え始めたのはいつ頃ですか?

 

んー。最初からあんまり就職は考えていなかったかもしれない……。僕はバブルの頃に少年時代を過ごしたからさ、なんか一時的に親父が金持ちだったのよ。だから逆に、あんまりお金持ちになりたいって夢が持てなくて、まあ、お金持ちなんて誰でもなれるんじゃないか、ぐらいの間違った感覚を持っていた笑。だから企業に就職するっていうより、なにかプライスレスな価値のある仕事がしたかったんだよ。だから高3くらいまでは割と本気で国連に入ろうと思ってた。当時は環境問題とかが話題になっててさ、地球環境を救おう!とか思ってたんですよ。

 

でも、国連に行こうって考えてたのも現役の時までだったかな。浪人してからはなにか表現にまつわる仕事をしたいと思い始めていて、でも、それが何なのかがわからなかった……。そう、大学でやりたいことが見つかった時点で当初の目的は達成しちゃったんだよ。だから大学は、もういいやって思えたんだろうね。まあ、あとは……親父が自営業だってのも大きいんじゃないかな?最初からあんまり会社勤めをするイメージがなかった。わりと大人ってのは自由にやってんだなー、って思って育ったから。

 

――東大に入ってよかったなって思うことはありますか。

 

あるある。いっぱいある。たまに頭いい人いるじゃない? なんか勉強で絶対に勝てないなって思う人がそれまでそんなにいなかったから、東大に入って、あ、これはついて行けないな、って人と会えたのは良かったよ。それまで同世代とかを見てて、バカなんじゃないの?とか思うことも多かったんだけど、……まあ、ホラ、若い時は生意気だからね笑。 でも、あ、こりゃ敵わん、って肌身で感じられるやつに会えたのは大きかったんじゃないかな。

それと、気合い入れればなんにでもなれるんだ、って感覚を持てたのは良かった。

 

MERCURYの同期や先輩でも、官僚の方もいるし、医者や弁護士やテレビ局に入ったり起業してみたり、いろいろいる。気合入れればなんでもできるんだ、って思えたのは良かったよね。だって大概のことは自分の責任だ、って思えるから。

 

だから官僚の悪口とか安易に言っている人を見ると、じゃあ君がやれば?って思うんだよ。だってその気になればエリートになれる国なんだからさ。文句言ってるのもいいけど、お前は何を成し遂げたんだよ?って。そっちのが問題でしょ。

 

――演劇だけで生きていけるのでしょうか?

 

あんまり生きていけない笑。といったって、僕はここ数年はバイトしてないから実際に演劇で食ってるわけだけど、でもまあ、ギリギリだよ。

 

――苦しいですね。

 

まあ、でも、それはわかってたことだから。本当に経済的な成功を追求したいならそもそも演劇なんかやらなければよかったわけでね。もちろん、演劇関係の仕事でもちゃんと経済に繋がる仕事はあるよ。映像関係に食らいついていくとかね。でも、待て待て、と。だってそもそも俺、東大にいたんだしさ、生涯年収的なことで言ったら普通に就職したほうが上だったんだよ。そこを捨てて、あえて演劇をやってるんだからさ、経済的なことを追求するのは本末転倒だと思うのよ。そりゃ貧乏はひもじいけどね。でも、やっぱり自分の表現を追求したい、って思いのが強いし、そういうことがやれてる楽しさの方が大きい。

 

あとはまあ、苦しいって言っても僕らの世代なんてみんな裕福だな、とも思うんだよ。ホントに飢え死にする、なんていう危機感はそこまでないし。まあ、多少あるけど笑。でも、身体が動くうちはバイトすりゃなんとかなるって思いがあるしね。

 

んー。こういうお金のシビアな話をすると、あんまり夢のないこと言わないでくださいって人もいるんだけどさ、でも僕はそもそも、お金が稼げるってことを夢があることだって思ってないんだよ。演劇界に夢があるとしたらむしろ、金にならないのにこんなことやってる馬鹿な大人がたくさんいるよ、ってそっちの方だと思うんだ。劇団ってヘンな集団だよ、ホントに!だって給料が出せなくても解散にならないんだもん。みんながやりたいから、なんていうヘンテコな理由だけでそこに人が集まっているっていう。こんな不気味な集団は演劇か宗教しかないんじゃないの?このへんはアート界隈の怖いとこだよね。

 

――これから先、もっと活動を拡大していくといったことは考えていますか?

 

もちろんね。でも、◯◯進出!とかそういう文句には踊らされたくないな、って思う。僕はたまたま東京で活動を始めたからさ、たとえば関西の人が「東京に負けるか!」って思ってるような、そういう感覚が良くも悪くも無いんだよ。それにアマヤドリは、特に初期からいるメンバーは割と求道的なところがあってさ、下手したら観客なんかいなくても自分たちの表現を追求する、みたいなことを言い出しかねない雰囲気があったわけ笑。でも、それじゃいかんなー、と思っていてね。やっぱり観てもらってナンボだし、日本のあちこちの地域を回りたいって感覚も育ってきたし、機会があれば海外でもやってみたいなって思っている。

 

――一生やっていくと考えている?

 

うん、だと思うよ。先のことはわかんないけどね……。でも、この前さ、15年20年やっている役者さんと話したときに、「若い頃は演劇続けられるかな?とかって思ってたけど、今はそういうこと思わない」って話になって。結局は、「やれるかやれないか?」じゃなくて、「やるかやらないか?」だよね、って。それは本当にそう思う。別にどんな境遇になろうが、やると決めてたらやれるんだよ。

あの、俳優の寺島進さんがなにかのインタヴューで、いまは映画に出て食っていけてるけど、食えなくなったらまたバイトでもなんでもやって、それでも役者は続けるよ、って言ってて。今の自分もそんな感覚に近いものはある。まず、演劇はやる。それで儲かるんならそればっかりやるのかもしれないし、儲からないならバイトでもなんでもして、いずれにせよ演劇はやる。そういうスタンスだね。

 

まあ、いまさら他のことをやっても自分がものになるとも思えないしね。あのさ、去年、高校生と一緒に劇を作る、って企画をやらせてもらって思ったんだけどね、僕は15年くらい演劇のことばっかり考えて生きてきたから、演劇についてなら、演技についてなら、やっぱり高校生に対しても言うべきことがあるわけよ。高校生も、おおー、なるほどー、とか言って聞いてくれる。それは、すごく幸せなことだと思ったんだ。僕みたいなおっさんが女子高生に対してお金以外にくれてやるものがあるんだからさ。これは豊かなことだろう、と。

才能のある人間と出会って、こちらも何かその人に対して与えるものがあるっていうのは、すごく楽しいよ。きっと、大学の教授とか会社の上司なんかも同じような部分があるんじゃないかな?本当に才能のある若いやつに出会った時に、自分が何か伝えるものを持っている、一緒にやれる仕事がある、って、それはまあ、生き甲斐と言っていいんじゃない笑?

(取材・文:千代田修平)

 

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