GRADUATE

2023年5月1日

次の「東大出身直木賞作家」は君だ 小川哲さんインタビュー

 

 第 168 回直木賞を『地図と拳』(集英社)で受賞し、今最も注目される作家の一人・小川哲さん。時に「学者肌的」と形容されるその作風は、東大大学院で研究者を志し博士課程まで進んだ経歴と関係がありそうだ。東大で過ごした時間は執筆にどのように影響を及ぼしているのだろうか? 極めて魅力的だと評されるキャラクターの数々はどのようにして生み出されるのか? 圧倒的な筆力で読者を作品世界に誘う小川さんの創作の秘密に迫る。(取材・宮川理芳)

 

合格体験記も人物設定に活用

 

━━4作目での直木賞受賞おめでとうございます。直木賞受賞を知った時、どこで何をしていましたか

 

 集英社の会議室で、編集者と電話を待っていました。早ければ午後6時ごろ発表なのですが実際にかかってきたのは6時半で、その間微妙な空気がずっと流れていました。直木賞を運営する日本文学振興会からの電話なら受賞、文藝春秋からなら落選といううわさがあったので、知らない番号が携帯の画面に出たときは思わず立ち上がりました。ただ、前回『嘘と正典』(早川書房)のときも落選の知らせは確か同じ日本文学振興会からだったので、最近は違うかもしれません。吉川英治賞のときは担当編集者からの番号が表示された瞬間、がっかりしましたが。

 

━━日露戦争前夜から第二次世界大戦終戦までの50年を描く『地図と拳』ですが、舞台に戦前の満州を選んだのはなぜですか

 

 理系だったので、実は世界史を体系的に学んだことはないんです。センター試験(現・共通テスト)は政治・経済を選択しました。カンボジアのポル・ポト政権について描いた2作目の『ゲームの王国』(早川書房)の場合は、「これは書こう」と思って取り組みました。「満州」って、教科書で読むだけでも異様な場所じゃないですか。「満州ってこういう『国』でした」と一言で説明できない。立場が違えば見え方も違う。中国人やロシア人、日本人、いろいろな立場の人にとって戦前の満州がどんな地域だったのか、非常に興味がありました。読者としての自分を信頼しているので、自分が興味のあることはきっと他の人も興味があるだろう、と。

 

━━『地図と拳』でも参考文献に130冊以上挙げるなど、執筆に当たって綿密な下調べをされるようですね

 

 よく驚かれるのですが、私はプロットを作らないで書き始めるタイプなんです。本作も、書店やAmazonで「満州」と検索して上位に出てきた本のうち、出版社や著者が「ちゃんとしていそうなもの」を2、3冊買い、通史を頭に入れた時点で書き始めました。執筆中は頭の中が100パーセント満州でいっぱい、寝ても覚めても満州、になります。気になることがあればすぐ文献を探して調べ、また書く。書き終わっても興味は持続していて、新たな研究成果についても気になります。でも今は、それ以上に新作のことで頭がいっぱいになっているところです。

 

━━600ページを超える一大長編が、プロットを作らずに書かれたとは驚きです

 

 小説を書くことと数学の問題を解くことは似ていると思います。数学の問題は、全ての与条件を使わずに答えが出てもそれは正答ではないので、さかのぼって考え直さなくてはいけません。小説も同じで、それまで書いてきた内容の中に、まだ生かせていない設定や伏線になりそうなシーンや台詞がないか、あるいは矛盾がないか、執筆中も何度も読み返し、どうしたら面白くなるかを考えます。それでも出版後に気付く矛盾や齟齬(そご)はありますね(笑)。ただ、誰より繰り返し読んでいるのは自分ですから、自分で気付けなかった矛盾は仕方ないと割り切っています。ガルシア・マルケスも『百年の孤独』の中に「四十二の矛盾」と「六つの重大な誤り」があると言っていますしね。

 

小川哲『地図と拳』集英社、税込み2420円

 

━━小川作品の魅力の一つがキャラクターです。登場人物が多いにも関わらず一人一人の造形や内面描写が非常にクリアで際立っています

 

 人物造形はほとんど完全に妄想です。ただ、これまで出会った人の要素は混ざっているかもしれません。例えば受験生時代に好んで読んでいた合格体験記に載っていた、理IIIの合格者とか。その人は朝起きたらまずストップウォッチを起動するんだそうです。顔を洗うときも朝食時も、勉強しているとき以外はずっと時間を計っている。睡眠時間も含めた勉強以外の時間が1日8時間以内に収まるようにしていた、と書いてありました。妙に印象に残っていて、『地図と拳』の中の、砂時計で1日の時間を測り続ける黄宝林という人物に生かしています。

 

━━「キャラクターが勝手に動き出す」と語る作家もいますが、小川さんにもそうした感覚はありますか

 

 言いたくなる気持ちは分かりますが、自分で書いている以上「勝手に」ということはありません。何気なく書いた言葉や設定が後々膨らんで、物語の方向性を変えてしまうことはありますが。『地図と拳』の細川の眼鏡は良い例です。ひ弱なインテリ大学生というイメージのために掛けさせた眼鏡が、やがて彼を象徴するものに変わっていきました。

 

━━それは、登場人物に女性や子どもがほとんどいないこととも関わっていますか

 

 戦争の話なので自然と男性が多くなりました。無理のない形で出そうとしても、当時の女性はどうしても銃後にいた人たちばかりになってしまう。現代の女性観とも照らし合わせて、あまり家を守るタイプの女性像を書きたくなかったというのはあります。

 

建築家と小説家は似ている?

 

━━小説を書く動機の一つに「わからない人をわかりたい」という欲求があるそうですが、『地図と拳』では誰が「わからない」人だったのですか

 

 全員です。私には戦前・戦中の人々のことなど何も分かりませんから。大学でも何を考えているのかよく分からない人にはたくさん出会いましたが、その人生や、何を大事にしているのか、何を目標にして生きているのかなどを想像するのが楽しいんです。「もしかしてこうだからこういう言動を取るのかも」と考えることは、結局のところ正解などないにせよ、とても好きでした。これは創作にも生きています。

 

━━主人公は物語の中盤から「建築とは何か」という哲学的思索を深め、登場人物たちもおのおのの建築論を語ります。終盤で主人公がたどり着く「時間を繋ぎ止めるという意味においてすべての建築に意味がある」という概念が印象的だったのですが、これは誰かの建築論をベースにしたものですか

 

 その概念自体は建築思想によくあるものですが、その他は基本的に自分の頭で考えたことです。この小説が持つテーマと登場人物が考えていること、そしてこの小説がそもそもどういう小説なのか、を考える中で自然に出てきたものです。建築家に怒られるかもしれませんが、自分が小説を書く時に考えていることと建築家が建築を造る時に考えていることは実は近いと思うんです。似ていてほしい、の方が正しいかもしれません。誰かのために何かを作るという意味において近いものを感じます。

 

━━「書かずにはいられない」タイプですか、それとも「時代の求めるものを書こうとする」タイプですか

 

 書かずにはいられない人というのは確かにいますが、必ずしもその両者に分けられるものでもない気がします。私の場合は楽しいから書いています。分からないことについて考えたり調べたりすることはもともと好きなので、それを形にすることでお金がもらえるのはとても幸せなことだと思います。それが書く理由です。

 

━━何を見ていても純粋な観客として楽しむことができずに「なぜ面白いのか」を考える「悪魔の視点」を常に持っていると語っていました。この「悪魔の視点」はいつから持つようになりましたか

 

 文学研究をしていたときは対象作品以外の小説一般は普通の読者として楽しんでいましたから、やはり小説を書き始めてからだと思います。もともとそうした傾向はありましたが、小説を書き始めてから顕著になりました。映画でも小説でも、退屈な理由、面白い理由を探して、何か少しでも自分の作品に生かせないか、何とかして技術を盗めないかを考えます。よく「本当に好きな作品は研究するな」と言いますがまさにその通りです。

 

━━「悪魔の視点」は観客としてだけでなく作家であるときにも作用していますか

作家として今後10年生き残るためには「メタ認知」が必要だと考えています。自分の書いたものが意図通りに伝わらないことはままあることです。文脈を無視して切り取られ、全く違う意味に取られて炎上することってSNSでもよくありますよね。それを痛感したのが直木賞受賞の際の記者会見でした(笑)。現代は録音や録画が残りやすく、一部を切り取るのも容易です。言葉が誰にどう受け取られるかを常に考えて発言すること、話している自分と一般人の自分の両方の視点を同時に持つことは大事ですね。これは作家に限らず現代を生き抜く上で非常に重要なことだと思います。

 

入学して最も良かったことは「留年」!?

 

━━東大および理Iを受験したのはなぜですか

 

 進学校にいたので、自分の成績から考えて最もレベルの高い大学として東大を選びました。理Iを選んだのも、物理や数学が得意だったからというだけで、特に将来の見通しがあったわけでもありません。ただ私が入学した2005年は、堀江貴文さんがフジテレビを買収しようとしたことが世間の注目を集め「東大出身の起業家」が一種のステータスになっていました。あえて何かを挙げるなら、自分には会社員が向いていないと思っていたこともあって、漠然と東大を出て起業することを考えていたようにも思います。高校生のときも SF小説を書いていましたが、別に作家になりたいと思っていたわけではありませんでした。母の大学の同級生で編集者をしていた方に、勝手にその小説を送られたこともありましたが、当時は「ふざけんな」でしたよ。「二度とやらないで」と言って怒りましたし正直思い出したくもないですね(笑)。

 

━━入学後どのような人と出会いましたか

 

 ノートを見せてくれるなど、高校の時よりも優しくて性格の良い人が多いことに少し驚きました(笑)。受験で設問の意図を考えてきた経験があるからか、ルールの中で最善の答えを出すことには皆非常に秀でていると感じました。地元ではトランプは負けなしだったんですが、東大生同士だと結構負けてしまったし(笑)。過剰に要領良くやろうとする人は苦手でしたが、興味分野が重なる人や、前期教養課程の授業の無限にある選択肢の中から好奇心の赴くまま履修していた人からは、多くの刺激を受けて面白く付き合っていました。

 

━━東大でやって良かったことは何ですか

 

 これを『合格記念号』で言うのははばかられますが、留年したことですね(笑)。大学生は時間があるというのは間違いで、平日は授業のあとにアルバイト、休日はサークル、長期休みは塾講師のアルバイトと、真面目に大学生活を送ろうとすると会社員より忙しい。留年して私は「何もしない時間」を手に入れました。これは大学生のうちしか得られないものです。「一人で暇な一日を過ごせるか」は非常に重要で、これができると人生の奥行きが広がります。一日ゴロゴロするも良し、本を読むも良し、長年住んでいても行ったことのない近所の銭湯に行くも良し。大人になると皆仕事で忙しくなって友人も減るので、暇を満喫できる強さを持てないと、ろくなことにならないと思いますよ。

 

━━なぜ留年したのですか

 

 院試に落ちたからです。院試では英語、第二外国語のスペイン語、小論文の三つで合否が決まるのですが、ほとんどスペイン語の勉強をしていかなかった。それまで落ちた人がいないと聞いていたので「げたを履かせてくれたり救済措置があったりするんだろう」と高をくくっていました。先輩たちが皆ちゃんと勉強していただけでした(笑)。恩師の松浦寿輝先生(東大大学院総合文化研究科・当時)には「この点数じゃ駄目だよ」と叱られ、親からは学費は自分で出すように言われました。でも博士課程まで行くつもりだったので、1年しっかり自分で勉強すれば、大したマイナスにはならないだろう、と。特に文系の博士課程は2、3年ではまず終わりません。30代で博論を書くのが普通ですから、1年はそれほど大したことではないと考えました。

 

━━東大での印象的な出会いを教えてください

 

 野矢茂樹先生(東大大学院総合文化研究科・当時)との出会いでしょうか。無限論やウィトゲンシュタインなどの難解な哲学を、自分の言葉で、しかも平易に表現され、非常に面白かったことを覚えています。ただ授業は厳しかった。英米の言語哲学の論文を翻訳するのが毎週の課題でしたが、少しでもごまかして曖昧に訳すと「もっと正確に」と叱られる。哲学では誰が何を語っているかという文章構造が正確でないと意味が取れませんから、論者が何を意図していたか考えることを求められました。論者に反論するときも、誰にどのような言葉を届けようとしたのか考慮した上で、相手の論理の中で反論するように、と。この「charity」という概念はその後の読書でも大事にしています。小説でも、好きかどうかは別として、作者が誰にどのような言葉を届けようとしているのか、そしてそれに価値があるのかないのかという基準を持つようになりました。

 

━━「常識が覆される瞬間が読書で一番面白い」と語っていますが、どういうことですか

 

 自分の先入観や現代の価値観だけを通して見ても現実を正しく理解できません。全ての学問はその思い込みをなくそうとするものだと思います。例えば 200年以上前の米国で書かれた小説の中に、女性が男性の前で着替えをするシーンがあったとしましょう。現代の感覚では、2人は親密な関係にあると推測するのが普通ですが、男性が奴隷だったとすると、話は変わります。女性は男性のことを人間扱いしていないのかもしれない。現代の感覚で捉えてしまうと、実際に筆者が描いていることとは全く違う解釈になってしまいます。

 

━━新入生にメッセージをお願いします

 

 最近東大出身の作家が増えています。新川帆立さん、辻堂ゆめさん、結城真一郎さんなど「東大卒作家アンソロジー」が出版されるほどです。私の時代は研究者、外資系コンサル、マスコミの順で人気が高く、官僚はあまり人気がありませんでした。作家はさらにその下で、人気の順はそのまま年収順でもありました。稼げない作家は人気がなかったのに、増えている。東大生も年収以外に重きを置くようになってきたのかもしれません。高校と大学の最も大きな違いは、嫌いな人、合わない人に会わなくていいこと。興味のないことは勉強しなくていいこと。その究極系が作家だと私は思っています。大学生活をこよなく愛する人、そして年収以外の要素を重視する人、ぜひ作家になりませんか? というのが新入生に伝えたいことですね(笑)。

 

 

小川哲(おがわ・さとし)さん 86年千葉県生まれ。05年東大理I入学。文転し教養学部教養学科超域文化科学分科表象文化論コースに進み、18年東大大学院総合文化研究科博士課程中退。15年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)で第3回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞し作家デビュー。『ゲームの王国』(早川書房)が第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞。『嘘と正典』(早川書房)で第162回直木賞候補となる。『地図と拳』で第13回山田風太郎賞、第168回直木賞を受賞

 

【記事修正】2023年5月8日午後4時55分 「参考文献に13冊以上挙げる」となっていたところを正しい「130冊以上」に修正しました。

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