学術

2021年1月4日

日本の感覚に根付く音楽 雅楽の今とこれから

雅楽の三管。左から篳篥、龍笛、笙(写真は東京大学神社研究会雅楽部会提供)

 

 日本の伝統音楽、雅楽。正月に寺社で流れているのを耳にしたことがある人もいるだろう。伝統的なイメージが強いが、現在雅楽はどのような状況にあるのか。また今後雅楽という音楽はどう発展していくのか。雅楽について多角的な研究を行う2人の研究者に、雅楽の現状や未来について聞いた。また東京大学神社研究会雅楽部会の学生と指導者に、演奏の練習方法や心構えを聞いた。

(取材・長廣美乃)

 

若い世代の「新作」が希望

 

 重要無形文化財に指定される雅楽は、宮中の儀式や行事の際に宮内庁楽部によって演奏される。女人禁制など固定された制度の中、戦後に25人に半減された限られた人員で担われているのが現状だ。一方、雅楽は結婚式や、天理教などの宗教儀礼といった民間の場でも演奏される。重要無形民俗文化財に指定されているものもあり、応仁の乱の際に京都を出た雅楽演奏家が東北などの村で伝承し変容したものや、四天王寺や春日大社に奉仕されるものは、固有の伝統を保つ。東儀秀樹さんのように雅楽にポピュラー音楽を取り入れる演奏家もいる。ただ、民間の雅楽界にも誰に師事したかを重視するなど正統主義的な側面があるという。

 

 これらの雅楽は西洋音楽とはどう異なるのか。自らも雅楽演奏家である鈴木聖子助教(大阪大学)は「雅楽は西洋音楽と違い楽譜に書かれていない部分にこそ魂がある」とする評価には疑問を呈する。西洋音楽は五線譜を用いるが、雅楽は主に唱歌と呼ばれる歌で伝達される。また管楽器の息や指の変え方、その間の他の楽器の待ち時間などは楽譜に表せない。しかし一つとして同じ演奏がないように、五線譜に書けない要素があるのは西洋音楽も同様だ。「表現の上で大切なことは楽譜には書いてないと思いませんか」

 

 雅楽の特徴として、まず「雅楽の特殊性の大部分は笙(しょう)にある」と鈴木助教。笙は無数の倍音を持つ管楽器で、近代西洋の和声学では扱わない特殊な和音を奏でる。その音の重なりの中に他の楽器の音が入っていくのが雅楽の合奏の醍醐味だ。また季節ごとにふさわしいとされる音があり、桜を見る時、紅葉を見る時というように、季節の催しの際に演奏される楽曲の基調音が決まっている。記号的に適切な音が決められているだけであり、月の音楽ならば月を描写するというようにモチーフを表現する西洋音楽一般とは異なる。

 

 儀式音楽故に同じフレーズを繰り返し、サビがないことも特徴だ。同様の理由で雅楽の楽曲では作家の個性が重視されず新曲が生まれることも少ない。「音楽の発展に当たり作曲が行われないのは致命的です」。しかし民間の女性の笙演奏家・宮田まゆみさんは雅楽界に大きな作用をもたらした。それまで雅楽は合奏ありきで伝統的な曲こそ格が高いとされていたが「この人に曲を作りたい」「笙の曲を作りたい」という動機から数々の楽曲が誕生した。

 

 雅楽を素材とした楽曲が制作されるのは喜ばしいが「現代の作曲家がアバンギャルドな素材として雅楽を扱えるのは『ピュアで原始的な民族音楽』という西洋的、近代的な雅楽観があるためでは」と鈴木助教は問う。ただ、さらに若い世代の作曲家にとっては、雅楽は既に現代の音楽に取り入れられたものがモデルになっており、単なる物理的特徴として捉えられていると感じるという。「伝統を守る立場としては悲しいことかもしれませんが、雅楽にとっては新しい希望のように見えます」

 

鈴木 聖子(すずき せいこ)助教(大阪大学) 12年東大大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。パリ・ディドロ大学(パリ第7大学)助教などを経て20年より現職。

 

統計学習の可能性広げる

 

 音楽と脳の関係についての従来の研究は西洋クラシック音楽を扱うものが大半だった。そこで大黒達也特任助教(東大国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構)は、脳の神経活動を磁気で測定するMEG(脳磁図)を使い、邦楽家(雅楽など)、西洋クラシック音楽家、非音楽家の脳の働きを比較した。

大黒達也『芸術的創造は脳のどこから産まれるか?』光文社新書

 

 人間の脳は常に予測を行っており、予測と異なる反応を受け取った場合、予測システムを更新するため脳に負荷が掛かる。人間は生まれた瞬間からこの統計学習を始め、文化に順応し脳が発達する。実験では、被験者に規則的・不規則的両方のリズム学習をさせた際、3者の脳の反応に違いがあるかを調べた。仮説では音楽家は非音楽家に比べて、リズム学習が得意であり、また同じ音楽家でも、規則的リズムの学習は西洋音楽家が、不規則的リズムの学習は邦楽家が得意だろうとしていた。結果は、音楽家は非音楽家に比べて、リズム学習が得意であることは見られたが、音楽文化間(邦楽、西洋クラシック)の規則的リズムの学習能力に大きな差は見られなかった。理由の一つとして、現代の邦楽家は西洋音楽の演奏経験者が多いことが考えられる。一方西洋音楽家と邦楽家間においては、リズムの複雑性や不確実性(不規則性)を認識する機能に違いが現れた。「雅楽は合奏時に一定のリズムではなく他者の『間』を予測する必要があるためでしょう」

 

 音楽研究は言語と深く結び付く。西洋音楽家は非母語としての英語学習が得意という研究結果がある。西洋音楽が西洋言語のリズムに基づくため、共通成分を利用し学習しやすいのだという。「言語がその地域の音楽文化形成の大きな要因となっていると考えています」。演奏者ごとの呼吸を読んで合奏する雅楽は、間を取ったり他者に合わせたりすることを得意とする日本人の傾向も反映しているのではと指摘する。

 

 「多文化の音楽を若いうちから聞くことは統計学習能力の向上に寄与するでしょう」と大黒特任助教。幼少期から多言語を聞いて育った人は、脳内に単語や知識を入れる「統計辞書」を言語ごとに持つといわれている。そして、成長後も統計辞書の本棚を作ること自体が得意になり、他言語の取得が得意になると考えられる。「異なる秩序を持つ文化に幼少期から触れることで、多様な文化や新しいことにすぐ順応できるのでは。音楽もその一つです」

 

 研究を通し日本固有の音楽を海外に広めることも意味があるという。「さまざまな文化の音楽を取り入れた新しい音楽を創りたい」と、自身も作曲を行う大黒特任助教は期待する。現在は音楽の統計学習モデルの年表を作り、日本人が次に順応する音楽の予測に基づいた楽曲制作を進行中だ。

 

大黒 達也(だいこく たつや)特任助教(東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構) 16年東大大学院医学系研究科医学博士課程修了。博士(医学)。英オックスフォード大学研究員、独マックスプランク研究所研究員、英ケンブリッジ大学研究員などを経て、20年より現職。

 

練習は難しい?演奏に必要な心構えは 演奏者の声

 

「楽器に触れ1曲ずつ」「感性でリズム刻む」

 

 当会では雅楽で使われる三管・三鼓・両絃の全8種の楽器のうち、篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)・笙の三管を扱います。雅楽の魅力は独特の音色と演奏時の見栄えの良さです。また、笙は吹く前後に温める必要があったり、篳篥のリードは茶で開いたりと、楽器の扱い方も特徴的です。

 

 篳篥と龍笛は音を出すこと自体が難しく、音が出るだけで達成感があります。低音が出れば上出来で、音の安定には時間がかかります。笙は音を出すのは比較的簡単ですが、運指が特殊な上、ハーモニカのように吸気でも音を出せることに慣れる必要があります。

 

 曲の覚え方は譜面を見ながら演奏して覚える西洋音楽と違い、まず譜面を曲の調子に合わせて歌った唱歌を覚えます。唱歌には音の長さ、強弱、技法など、譜面より多くの情報が含まれています。口伝が基本で、当会では先生から頂いた唱歌のCDをもとに、腿を叩いてリズムを取りながら反復します。唱歌を覚えたら抑揚、呼吸、音の出し方、テンポなどを意識しながら演奏の練習をしていきます。

 

 会員はほとんどが初心者。雅楽を習う際、唱歌を数曲覚えてからしか楽器の練習をさせてもらえないこともあるようですが、当会ではまず楽器に触れ、1曲ずつ唱歌と演奏の練習をしているためハードルは低いです。
=平島佳汰さん(理Ⅰ・2年、東京大学神社研究会雅楽部会会長)

 

 雅楽には、楽器を吹く際の力加減により生じる音の大きさ、高さ、音色の独特の抑揚があります。こうした盛衰的な音の変化は、生き物の鳴き声や風の音のように、自然界でも現象の発生と収束に伴って起きています。日本の伝統音楽は障子や襖で囲われた建築の中、自然の音を遮断しない環境で演奏されてきました。雅楽もまた鎮守の森のお社で、自然の音の仲間として存在しています。

 

 東大神社研究会での年2回の手解きでは、学生がこうした抑揚を要領良く習得できるよう心掛けています。例年練習の参加者は5、6人ほどで、いつ途絶えるか心配です。理論的構築に乏しい雅楽ですが、太古より息づく生命的な感性によってリズムが刻まれる雅楽の世界は、日本人には普遍的に共有できることでしょう。日々の勉学の疲労の癒やしとしても、多くの人たちが一度体感してくれることを期待します。
=石橋和彦さん(椋神社宮司、東京大学神社研究会雅楽部会講師)

 

2015年の駒場祭での演奏はこちらから!(動画は東京大学神社研究会雅楽部会提供)

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