学術

2021年10月17日

【東大教員と考える日本の問題④】ロックダウン立法は可能か 課題は「目的と手段のつり合い」

 

 「東大教員と考える日本の問題」は日本が抱えるさまざまな社会問題について東大教員に話を聞く企画です。今回のテーマは「ロックダウン立法」。

 

 

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のための政策として、一般市民の外出を制限し、違反者には刑罰やそれに類する制裁が科せられるロックダウンの是非が議論されている。

 

 ロックダウン立法でまず問題となるのが、憲法22条(居住・移転の自由)との関係だ。では、ロックダウンで制限される居住・移転の自由とは、憲法上どのように位置付けられるのか。

 

 憲法が専門の小島慎司教授(東大大学院法学政治学研究科)は「そもそも居住・移転の自由とは、農村から都市へ移住するといった、居所の移転を想定したものでした」と指摘する。封建社会においては、農民は農村で一生を過ごし農業に従事するのが当たり前。そのような農民が都市へ移住することを許そうというのが居住・移転の自由であり、そこでは職業と居所が密接に結びついていることが前提とされていたのだ。

 

 しかし、ロックダウン立法で制限されるのは、外出といった、居所の変更を伴わない移動だ。現在では「移転」とは必ずしも経済的な活動と結びついたものではなく、一時的な移動による精神的交流も含まれると考えられている。一時的な移動によっていろいろな人と会い、意見を交換することが流動的な社会を作るには大切だからだ。

 

 仮にロックダウン立法が実現したとして、現行の憲法の下でどこまでの制限が許されるのか。小島教授は「目的と手段のつり合いが重要」と語る。ロックダウンは移動の自由の制限を伴うため、感染の抑え込みに有効な手段であることが確実に分からない限り、導入に慎重にならなければならないからだ。「目的が何で、どれほど重要なのか、そしてそれにつり合う手段は何かを見定めなければなりません」

 

 コロナ禍にも適用のある新型インフルエンザ等対策特別措置法は、その目的として国民の生命・健康の保護と、国民生活・国民経済の保護を並べている。しかし、小島教授は「時には両立が難しいこともあります」と述べる。さらに、例えば、緊急事態宣言の発出や解除の判断では、以前は新規感染者数などを判断基準としていたものの、現在は病床がいかに圧迫されているかが基準となっている。市民の健康を守るという目的は共通していても、その下にある目標は患者を出さないことなのか、それとも医療体制安定の安定なのか、一つには定めづらい。

 

 加えて、目的が明確であっても、手段が適合しているかの判断が困難なことも。目的と手段がつり合っているかを見る方法は二つある。一つはその手段を用いることで本当に目的を達成できるのかを考えること。もう一つはより適切な代替手段がないかを確認することだ。例えば、緊急事態宣言下では飲食店へ営業時間の短縮要請がなされる。しかし、これまで判明している感染ルートの多くが飲食店を経由するものであったとしても、本当にこの措置が有効で必要であるかを判断するのは難しい。このように目的と手段との関係が不明確だとしても、時短営業要請が、感染拡大への用心として実施されている場合、それをどう評価したら良いか。このように、コロナ禍では手段が目的に適合しているかを判断するのは困難だ。

 

 ロックダウンなど、権利の制限を伴う政策をスムーズに実行できるように、憲法に緊急事態条項を設けるべきだという意見もある。このような改憲論について、小島教授は慎重な姿勢を見せる。「コロナ対策の問題点が、政官関係や政府と地方自治体の関係にあると考えるならば、果たして緊急事態条項のみにこだわることがその反省を生かしたものといえるのかは分かりません」。また、緊急事態条項を増設することで、安易に緊急事態だと考えそれを続けようとしがちになるという問題も考えられる。

 

 改憲論に対しては、憲法に公共の福祉の定めがあることを理由に不要だとする反論もある。公共の福祉の定めは、必要に迫られた場合はやむなく憲法上の権利の制約を認める仕掛けがあらかじめ憲法に組み込んであることを意味する。権利の制約を導くためだけならば、それに加えて緊急事態条項を憲法に入れる必要はないというわけだ。

 

 ロックダウンによる権利の制限、そしてロックダウンを始めとする緊急事態下の政策を円滑に実行するために改憲を行うことは妥当なのか。いずれも「手段と目的のつり合い」にまつわる問題だ。政策の目的を知ること、そして手段としての政策が過剰となっていないかを考えることが肝心だろう。(井田千裕)

 

 

小島慎司(こじま・しんじ)教授(東京大学大学院法学政治学研究科) 06年東大大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。東大大学院法学政治学研究科准教授などを経て18年より現職。

                

【記事訂正】2021年10月20日午後23時30分 小社の確認不足により記事本文が一部想定と異なる表現・内容になっていたため、以下の通り訂正しました。お詫び申し上げます。

・3段落目「居住・移転の自由には、もともとそのような農民が出稼ぎのために都市へ移住することを許すという性格があり、職業と居所が密接に結びついていたのだ」→「そのような農民が都市へ移住することを許そうというのが居住・移転の自由であり、そこでは職業と居所が密接に結びついていることが前提とされていたのだ」

・4段落目「一時的な移動」→「一時的な移動による精神的交流」

・5段落目「ロックダウンは一種の私権制限である」→「ロックダウンは移動の自由の制限を伴う」

・6段落目「コロナ禍を受けて改正された新型インフルエンザ等対策特別措置法」→「コロナ禍にも適用のある新型インフルエンザ等対策特別措置法」

・6段落目「例えば、緊急事態宣言を出すか否かの判断では」→「さらに、例えば、緊急事態宣言の発出や解除の判断では」

・7段落目「しかし、新規の感染ルートの多くが飲食店を経由するものであったとしても、本当にこの措置が有効であるかを判断するのは難しい。時短営業要請が、本当に有効な策だと考えられて行われているのではなく、効果が不明確なまま感染拡大への用心として実施されているということがある」→「しかし、これまで判明している感染ルートの多くが飲食店を経由するものであったとしても、本当にこの措置が有効で必要であるかを判断するのは難しい。このように目的と手段との関係が不明確だとしても。時短営業要請が、感染拡大への用心として実施されている場合、それをどう評価したら良いか」

・8段落目「コロナ対策の問題点が、主に緊急事態宣言下での政府と地方自治体の不完全な連携にあると考えたとき、果たして改憲がその反省を生かしたものであるのかは分かりません」→「コロナ対策の問題点が、政官関係や政府と地方自治体の関係にあると考えるならば、果たして緊急事態条項のみにこだわることがその反省を生かしたものといえるのかは分かりません」

・8段落目「緊急事態条項を増設することで、国民の意識において、現状を緊急事態だと認定するハードルが下がってしまう」→「緊急事態条項を増設することで、安易に緊急事態だと考えそれを続けようとしがちになる」

・9段落目「憲法で公共の福祉が想定されている」→「憲法に公共の福祉の定めがある」

・9段落目「公共の福祉は、必要に迫られた場合はやむなく憲法上の権利条項を打ち消すということもあり得ることをあらかじめ憲法に組み込んでおくことを意味する」→「公共の福祉の定めは、必要に迫られた場合はやむなく憲法上の権利の制約を認める仕掛けがあらかじめ憲法に組み込んであることを意味する」

・9段落目「そのため、それを無視して緊急事態条項を憲法に追加する必要はない」→「権利の制約を導くためだけならば、それに加えて緊急事態条項を憲法に入れる必要はない」

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