インタビュー

2021年11月9日

東大生はリーダーを目指せ 東大出身・夢をかなえたローカル鉄道社長が今伝えたいこと

 

 福岡県の筑豊地域を中心に、九つの自治体を結ぶ平成筑豊鉄道。第三セクターとして国鉄・JRの路線を引き継ぎ、沿線住民の足を担うとともに、19年からは地元産の食材を提供するレストラン列車「ことこと列車」(※)を運行して地域の魅力を発信している。17年に就任した同社初の公募社長、河合賢一さんは東大を中退後、県庁職員などを経て現在の職に就いた。異色の経歴を持つ河合さんが、東大から社長就任までの軌跡と、苦境に立たされるローカル鉄道の現状について語る。そして、自身の経験を踏まえ、今東大生に向けて伝えたいこととは。(取材・中村潤 撮影・中野快紀)

 

「鉄道会社の社長になりたい」夢抱いて入学も…

 

──東大を目指した理由は

 

 もともと乗り物が好きで、エンジニアを目指していました。とはいっても具体的なイメージがあったわけではなく、「図面を引く仕事」くらいにしか思ってませんでした。

 

 しかし、高校生の頃、東大を目指すきっかけが生まれました。それは、国鉄改革とJRの誕生です。私鉄も含めた交通の在り方全般が変容し、鉄道と共に街や人の暮らしも大きく変化する様子が高校生の自分に切々と感じられました。

 

 そして、当時住んでいた福岡県でリーダシップを発揮していたのが、JR九州の社長だった石井幸孝さんと西鉄(西日本鉄道)の社長だった大屋麗之助さん。どちらもたまたま東大の工学部出身でした。そこで鉄道会社の経営者というポジションがあることを知り、地域全体を変えられる鉄道会社の経営者になりたい、そのためには東大工学部に進学すれば良い、と考えて1浪して理Ⅰに入学しました。

 

──明確な夢を持ちながら中退した理由は

 

 端的に学業不振だったからです。サークル活動のために学生会館には通っていたのですが、授業には出席せず。昼夜逆転で朝の情報番組を見ると眠くなる、という生活でした。気づいたら、サークルの後輩が同じ学年になり、上の学年になり……という状態で、単位をしっかり取れず、後期課程へ進学できませんでした。

 

 中退した日のことはよく覚えています。退学の書類を提出した後は高揚した気分になり、ちょうど桜の時期だったので記念に写真撮影しました(笑)。

 

──中退後は将来についてどのように考えていたのでしょうか

 

 当たり前ですが、就活もせずに3月に中退して4月から仕事に就けることはありません。世の中では、高卒や大卒の人材は求められていますが、大学を中退した自分に仕事はありませんでした。

 

 しかし「何もなかった」からこそ、将来についてシンプルに捉えることができました。考えてみると、やはり自分は鉄道会社の社長になりたい。そして、鉄道会社も企業の一つだから、その前に鉄道会社にこだわらずともどこかの企業に勤めたい。さらにシンプルに考えて、企業に勤めるとは社会人になるということだから、最初は何らかの形で社会人になりたい。このように、一歩ずつステップアップしていけば良いと思いました。

 

 そして、まずは社会人として社会生活を送るために、学歴不問の公務員になろうと考え、25歳のときに大分県庁に入庁しました。

 

──公務員は、当初から最終的なゴールではなかったのですね

 

 確かに「鉄道会社の経営者」という最終的な目標がありましたが、途中を軽視したということはありません。県庁の職員として、へき地の医療確保や生活保護行政に携わりました。当時は公務員による不祥事が問題になり、世間の目が厳しかった時代です。しかし、各地に赴いてさまざまな人と向き合う中で、人の生活が見えるようになったのは、鉄道経営をする上でも良かったと思います。鉄道の場合「列車に乗ってから降りるまで」だけではなく、そこに至るまでのお客様の生活も見えていなければならないわけですから。

 

 また、公務員として働く傍ら、いつか社長になる日が来ることを見据えて動いていました。例えば、東京出張の際には、後々仕事でご一緒するかもしれないと思い、デザイナーの水戸岡鋭治さんに会い行きました。水戸岡さんは、JR九州の「ななつ星in九州」のデザインなどで有名な方です。

 

 当時は、一度しかない人生で目先の楽しさを追って失敗し、鉄道会社の社長の夢も散ってしまったな……と諦める気持ちもありました。ですが、めげることなく勢いで行動できたのは良かったです。実際、社長就任後には、当時からの縁で水戸岡さんにレストラン列車「ことこと列車」をデザインしていただくことになりました。

 

水戸岡さんがデザインした「ことこと列車」の車内。乗客には地元の食材を使った料理が提供される

 

──公務員から鉄道会社の社長へ、どのように夢を実現したのでしょうか

 

 公務員は年功序列ですが、私は遅れて公務員になったため昇進に限界を感じていました。また「公務員は民間では通用しない」と言われがちなので、最終目標に向けて今度は民間企業に勤めようと、熊本県のバス会社に転職。グループ会社の社長や役員として経営再建に携わりました。再建のためには切らなければならない部分もあり、経営者の仕事の重さも実感しましたね。

 

 同時に、鉄道会社の社長公募のことも調べていました。他の第三セクター鉄道にも応募しましたが、結果的に昔住んでいた筑豊の鉄道会社の社長になることができました。

 

老朽化、地元の応援…ローカル鉄道の課題と強み

 

――社長に就任して気付いた会社の課題は

 

 一番の課題は、老朽化が目立ったことです。インフラの老朽化は日本全国の課題ですが、平成筑豊鉄道でも枕木や駅舎などの設備が予想以上に傷んでいると感じました。特に、枕木は一刻も早く交換したい箇所がありました。平成筑豊鉄道は第三セクターなので、福岡県や沿線の市町村が主な株主となっています。そこで「事故が起きたら株主にも責任が及ぶ」と首長のみなさんに直接訴えて、交換することができました。駅舎も補助金の活用などで徐々に修繕していますが、今のペースだと全駅改修するのには約30年はかかります。

 

 鉄道の設備は、大都市の路線を参考にさまざまな基準が作られているので、利用者が少ないローカル鉄道には不釣り合いなものも多いのです。

 

 一方で、いい意味で予想外だったのが、地元の方からの応援がとても強力だったこと。筑豊はかつて炭鉱で栄えた地域ですが、当時の名残からか人と人との結び付きが強く、情に厚い人が多いです。18年の豪雨で被災した際にも、地元の方から応援しよう、募金しようという機運が盛り上がり、復旧にこぎ着けました。

 

ことこと列車の車内で。抱えているのは石炭

 

 普通はなかなかないことだと思いますが、平成筑豊鉄道の本社には、ふらっと地元の方が入ってくることがあります。そうして応援してくれる地元の方が中心となって沿線住民や政治家、地場企業と鉄道との間をつないでくれるのです。

 

──経営ではどのようなことを心掛けていますか

 

 第三セクターは官でもないし、民でもない。純民間企業のように株主や銀行、監査役から強いチェックを受けたり、行政のように市民からチェックを受けたりするわけではありません。しかし、厳しい目がないからといって、利益追求と公共性の担保のどちらも中途半端になってしまうことがないようにしなければなりません。

 

 鉄道という業種の性質上、会社の規模に比べてステークホルダー(利害関係者)の数が圧倒的に多いのも特徴です。お付き合いする相手は、従業員や沿線住民の他、九つの市町村の首長や議員、JR九州といった他社線など多岐にわたります。

 

 例えば従業員といっても、鉄道会社の乗務員は、専門的な技術を武器に独立して働く職人のような側面もあります。化粧品会社で最も大事なのは役員ではなく顧客と接する販売員だと言われているように、鉄道も現場で働く人を大切にしなければ回りません。

 

 また、先ほど述べた通り人と人との結び付きが強く、住民と政治家との距離も都会に比べたら格段に近いので、仲良くできるように心掛けていますね。

 

──やはり、地域との関係は大事なのですね

 

 観光客を呼び込むためにも、地元は大事です。沿線に有名な観光地がないので、風景を活用したり、生産者の方と連携しながら農産物をアピールしたりしています。

 

 他方で、ただのアピールではなく価値を分かってもらうための工夫も必要です。水戸岡さんからは「ローカルなものほどナショナルブランドで」とアドバイスされました。つまり「元気に頑張っているローカル鉄道です!」と訴えても、それはどこも同じ。頑張った結果JTBに取り上げられたとか、JALの機内誌に載ったとか、全国の誰にも伝わるように価値をアピールしなければなりません。

 

 幸いなことに、最近では地元のテレビ局の取材が増えています。これまでは(福岡市の中心部である)博多、天神の情報を伝えるのが主だったのが、県内各地の市町村の情報を届けるようになりました。テレビの影響力は今でも強いので、魅力を発信していきたいと思います。

 

──観光需要が期待される一方で、人口減少、コロナ禍など鉄道を取り巻く環境は厳しさを増しています

 

 もともと筑豊は自動車利用が多く、公共交通は不利な立場でした。加えて、災害の影響もあります。
 豪雨には毎年のように見舞われています。筑豊だけでなく、九州各地の鉄道も同様です。ただ、被災したローカル鉄道に対するに対する行政の支援は大変充実しています。18年の豪雨の際は地元の声を受けて異論もなく支援・復旧が決まりましたし、20年の豪雨で被災した第三セクターのくま川鉄道(熊本県)は、国が費用の97.5%を実質負担する方向で復旧が進められています。

 

 一方で利用者数が復旧前の水準に戻ることはありません。鉄道が本当に必要なのか、冷静な議論があっても良いのではないかとも思います。

 

 コロナ禍については人口減少の先取りだと考えています。「10年後こうなる」はずだったのが、今になってしまった。今のところは「鉄道を存続させるために頑張る」としか言えませんが、地域全体の交通の在り方を見直し、先手を打ってビジョンを描かなければならない時が来たのだと思います。

 

旅をして、リーダーを目指せ

 

──コロナ禍は、学生の旅行にも大きな影響を与えました

 

 以前から言われていたのが、中高年の人と比べて、若い人が動かないということ。若い人が動かないのは、観光・交通産業にとっては深刻な問題です。

 

 旅行するためには、ちょっとのお金と時間、そして自由が必要です。旅行できるということは、心と体が自由だということ。今のうちに、感染対策をしっかりしながら旅行してほしいと思います。

 

──これまでを振り返り、東大生に向けて伝えたいことは

 

 私は今までずっと地方で働いてきました。ただ「東大」と「地方で働くこと」の組み合わせに特段意義を感じているわけではなく、働くことにどう向き合うのかが大事だと考えています。筑豊は、東京と比べると人も情報も少ない。ですがその分のんびりできますし、新しい事業を始める際もキーパーソンにすぐにたどり着くことができます。日本の大部分は今でも田舎ですが、地方では農林業などの課題を身近で感じられるというのも大きいです。

 

 また、東大生にはリーダーを目指してほしいと思います。経営者は学歴不問ですが、だからこそチャレンジする価値があります。「自分は経営者には向いていない」と考えている人もいると思いますが、自分の性格は自分で決めるものとは限りません。私も、経営者になりたいと思いつつ、内向きな自分には向いていないと考えていました。しかし、30歳過ぎになって「河合さんの持ち味は打たれ強いところだね」と言われて、自分の意外な性格に気付きました。このように、大人として方向性を定めるヒントを、学生のうちにつかんでおいてほしいと思います。

 

 あとは、ちゃんと卒業することですね(笑)。

 

河合賢一(かわい・けんいち)さん
(平成筑豊鉄道株式会社代表取締役社長)
70年大分県生まれ。91年理科Ⅰ類に入学。中退後、大分県庁職員などを経て、17年より現職。

 


※ことこと列車の運行情報についてはこちらをご覧ください。

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