学術

2023年1月9日

【東大最前線】マイクロニードル 「痛くない針」最先端の工学技術で開発

 

 健康診断でグルコースやホルモンなどの濃度を測る際には採血をすることが多い。採血には痛みが伴い、注射針を使う場合は医療従事者が必要となる。そこで金範埈(キムボムジュン)教授(東大生産技術研究所)らは細胞間質液に着目し、センサー用のマイクロニードル技術を世界で初めて開発した。細胞間質液とは血漿(けっしょう)と成分が約95%同じ体液のこと。マイクロニードルという直径1ミリメートル以下の微細な針を用いれば、蚊に刺される場合と同様に痛みや出血を伴わず、簡単に細胞間質液を取り出すことができる。マイクロニードルを用いたパッチを肌に貼ると、細胞間質液が吸い上げられる。針の上部の試験紙に表れる色の濃淡で濃度測定ができるという仕組みだ。マイクロニードルの開発や社会での実用化について、金教授に話を聞いた。(取材・石橋咲)

 

マイクロ・ナノ工学を利用 鍵は毛細管現象

 

 投薬用のマイクロニードル開発の研究は世界でも多く行われているが、センサー用の研究を行うグループは世界でも数少なく本研究室が最先端だ。

 

 金教授らは、専門とするマイクロ・ナノスケールの加工技術で針を作るところからスタート。安全のために縫合手術で用いる糸と同じく体内で分解されるポリ乳酸を材料とし、針が体内で折れて残っても問題がないようにした。マイクロニードルは長さが500μm程度かつ先端の直径が20μm程度であることが必要で、一から作り上げるボトムアップ型のアプローチでも、材料から彫り出すトップダウン型のアプローチでも作製が難しい。さらに材料のポリマーは粘度が高く、針の性質が偏らないようにするのは簡単ではなかったという。そしてスポンジのように内部を多孔質にすることで、数百マイクロリットルの細胞間質液を毛細管現象によって数分以内で吸い上げることを可能にした。

 

 

金教授らが新たに開発した生分解性の多孔質マイクロニードル(イメージ)

 

美容から投薬・検査まで 応用可能なマイクロニードル

 

 そもそもマイクロニードルは1970年代から美容業界で注目されていた。肌の外側には外部環境から体を保護する角質層があり、薬や美容液を塗っても含まれる高分子の成分が体内に入りにくいため効果は制限される。そこで微小な針で角質層を貫通させれば手軽に塗り薬よりも大きな効果が得られるだろうという発想だ。しかし、微小なデバイスを作るのは技術的に難しかった。当初はシリコンや金属、光で硬化するポリマーで作った微小な針で皮膚に穴を開け、そこに薬を塗り込むという手法をとっていたが、それが折れると異物として体内に残ってしまい、問題がある。10年ほど前からは「マイクロナノマシン」や「MEMS」といった半導体加工プロセスの研究が進んできた。体内で溶けるポリマーでマイクロニードルを作り、その中にヒアルロン酸などを入れて固めれば、マイクロニードルとともに体内の水分で溶けて体内に拡散する。これが実用化されたのが肌の皺(しわ)をなくすために用いられる美容パッチだ。

 

 現在、マイクロニードルの社会における利用は主に美容目的だが、医療においても薬やワクチンをマイクロニードルで体内に届けるための研究が進んでいる。注射や飲み薬が早く確実に効果を得られる投薬の手段であるが、注射はコストがかかる上に痛みも伴い、飲み薬などは副作用の恐れがある。そのためパッチを貼って注射や飲み薬と同じ、またはそれを上回る効果を得たいというモチベーションだ。ワクチンに関しては、注射の場合冷凍保管が必要で輸送や保管にかかるコストが大きく、途上国での普及を妨げる一因となっているが、マイクロニードルパッチを用いれば冷凍保管が不要のため、コストを抑えて途上国にも広くワクチンを普及させることが期待できる。

 

 今後のマーケットでは治療医学に代わり予防医学が中心になると予想される。予防医学には個人の体の状態をモニタリングすることが欠かせない。病院ではMRIなどの精度の高い装置を用いた計測が可能だが、毎日の検査は難しい。特に日本のような高齢化社会では、毎日自宅で手軽に計測できることが重要だ。さらに、モニタリングして得たデータを集めれば社会に利益のある研究ができるかもしれない。現在体の動きや心拍数、体温などを計測できるさまざまな装着型端末が開発されているが、疾患に対してはグルコースやホルモンといったバイオマーカーの濃度を測ることが重要になる。妊娠検査キットのように尿や汗、涙などからバイオマーカーの濃度を調べられる装置はすでに存在するが、それらの中のバイオマーカーの濃度は血液中の濃度に比べて非常に低いため、精密なモニタリングを行うためには採血が必要になる。金教授らは、血漿(けっしょう)とほとんど同じ成分の細胞間質液を採取して計測するデバイスの開発を目指して研究を開始した。

 

 最初のターゲットは糖尿病だった。糖尿病には生得的に血糖調整を行うホルモンであるインスリンが作れないI型と生活習慣によって罹患(りかん)するⅡ型がある。金教授らがターゲットとするのはⅡ型。Ⅱ型の患者は増加傾向にあり、日本やアメリカでは3人に1人がその予備軍だが、糖尿病予備軍の70〜80%は自らが予備軍に入っていることを知らない。年に2回程度の健康診断のみでは「血糖値が高いから生活習慣に気を付けるように」と注意されても、生活習慣を改善できずそのまま糖尿病に罹患してしまうケースがある。しかし、注射針も医療従事者も必要としない形で毎日継続的に血糖値を計測し、その都度データから糖尿病罹患の危険があるかどうかの判断ができれば、こういったケースを減らすことができるだろう。現在は、血糖値を計測できるパッチの商品化に向けて一般企業と組んで研究を進めている。

 

 コレステロールやコルチゾール、女性ホルモンなどの値をパッチで簡単に測定することにも取り組んでいるが、これは研究的にもほぼ世界初の例である。バイオマーカーの濃度を測定し、体内での機能を解明できればアンチエイジング化粧品の開発などにつながると予想される。

 

 糖尿病予防や美容関連の研究を進めていたところ、2020年に新型コロナウイルス感染症のパンデミックが起こり、コロナ関連の開発に乗り出した。新型コロナウイルスに感染するとウイルス表面のタンパク質に応じて体内でIgMとIgGの二つの抗体が形成される。金教授らは体内にこれらの抗体が存在するかどうか調べる抗体検査に注目。現在使用されている検査キットでは、血液を採取してIgMのみ検出されれば1〜3週間以内、IgMとIgGがどちらも検出されれば3週間以上前、IgGのみ検出されれば数カ月前に感染したと判断され、どちらも検出されなければ感染経験がない、または抗体がないと判断される。今回金教授らが開発したパッチを用いれば、IgMとIgGそれぞれの濃度を既存の抗体検査キットと同程度以上の感度で検出し、表れるラインの色によって濃度を肉眼で見ることができる。個人での利用だけではなく、集団の免疫調査への利用も期待される。動物実験は済んでおり、ヒトへの実用化を目指しているという。

 

金範埈(キム・ボムジュン)教授(東大生産技術研究所) 98年東大大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。フランス国立科学研究センター博士研究員、東大生産技術研究所准教授などを経て14年より現職

 

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