PROFESSOR

2024年3月19日

社会変化に合わせた労働法制を 水町勇一郎教授退職記念インタビュー

 

 近年目まぐるしく変わる労働法制。水町勇一郎教授(東大社会科学研究所)は、2018年に成立した働き方改革関連法をはじめ、さまざまな労働法制改革に携わってきた。水町教授はどのようにして労働法に出会い、研究してきたのか。政策提言から見えてきた日本の労働政策の課題は。東大退職を前にして聞いた。(取材・撮影=中村潤)

 

理Ⅱからパートタイム研究へ

 

――理Ⅱ入学後、法学部へ進学しています

 

 当時バイオテクノロジーが注目を集めていて、理学部や農学部で勉強しようと理Ⅱに入学しました。ただ、理系の勉強がよく分からなくて。理系で研究の道に進む場合、修士・博士課程で約5年はかかることも先が長く感じられました。

 

 元々お金もうけよりは世の中の役に立つ仕事をしたいと思っていたので、理系の道じゃないとすれば、国家公務員になろうと思いました。そうすると、どうやら法学部が1番の近道らしい。進振り(現・進学選択)の点数も足りそうだったので、法学部に進学することにしました。というわけで、法学という学問に興味があって進学したわけではありません。

 

――法学部で印象に残っている授業は

 

 民法の内田貴先生、憲法の樋口陽一先生の授業は面白かったですね。3年生になって、最初のゼミ(演習)は樋口先生の憲法ゼミを履修しました。

 

 法令の趣旨に基づいて理論を打ち立て、それを事案に当てはめて結論を得るという法学の論理展開は、理系の発想に近いところがあります。理系から移ってきても違和感なく勉強できました。

 

――国家公務員ではなく、労働法研究の道に進んだのはなぜですか

 

 3年生の後期になり、憲法や民法以外の専門的な法律の授業も受け始めました。その中でも労働法は、社会にとても近い法でありながら、実態と理論のギャップが大きいと感じました。ちょうど過労死やセクハラといった問題が表面化し始めた頃です。今日につながる問題ですが、労働基準法をはじめとするさまざまな法律がありながら、十分に守られていない。労働法の研究をすることで、そのギャップを埋め、社会の役に立てるのではないかと思い、4年生の前期に菅野和夫先生の労働法のゼミを取ることにしました。

 

 そんな時、法学部に助手制度(当時)があることを知りました。大学院に行かず、授業料も払わずに、給料をもらって研究ができるんです。国家公務員より面白そうだと思って、菅野先生に相談したところ、成績表を見て「いいですよ」と。国家公務員試験を約1カ月後に控えて勉強を続けていたんですが、それも受けなくていいと言われ、研究の道に進むことが決まりました。

 

――取り組んだ研究テーマは

 

 助手時代はパートタイム労働について研究しました。1990年代後半以降、非正規労働を巡る状況は大きく変わっていきますが、助手となった90年当時のパートは主婦が中心。ただ、同じ労働をしているにもかかわらず、正社員と比較すると雇用が不安定で地位も給料も上がらない点は昔も今と変わらず問題となっていました。本当は会社法と労働法の接続といった別のテーマに関心があったんですが、菅野先生から、立法に向けた議論が始まるパートタイム労働をテーマにするよう勧められ、パートの国際比較に関する助手論文を書きました。このとき得た知見は、その後の同一労働・同一賃金政策の提言をする際に間接的に生きていると思います。

 

 

――研究に当たって大切にしていたことは

 

 一つは基礎研究です。フランスに2年間留学していたのですが、フランスの労働法学では歴史研究をしっかりやるんですね。歴史や哲学の理論との関係で法学を深く掘り下げる内省的な研究が行われていました。他方、アメリカでは経済学や実学といった観点から労働法学の議論が展開されていました。いずれにせよ、理論に基づいて法学的分析をすることが大事だと分かりました。東京では官公庁や実務と交流する機会も増えますが、その際も海外で学んだ基礎研究との関係を意識しながら提言をするようにしています。

 

 複数の視点を持つことも大切です。どこかの国の制度をそのままに日本に輸入することはできません。複数の選択肢のメリット・デメリットを分析することを通じて、日本の実態に即した制度設計ができます。

 

――実務との関係で意識していたことは

 

 判例評釈を早く書き上げることです。例えば、地裁判決が出たら、高裁判決が出る前、高裁判決が出たら最高裁判決が出る前に評釈を書く。理論的な筋が間違った判決が出たら理論的に批判する。そうすると、高裁や最高裁ではその評釈を踏まえた判決が出ることもあります。

 

 また、東京都労働委員会で公益委員も務めています。労働委員会には、まだ裁判になっておらず、今まで日本で議論をされてこなかったような問題、例えばUber EatsやAmazonの配達員の労働者性といった問題が持ち込まれてきます。公益委員の活動を通して、新しい問題に対して世の中に法的な判断を示すこともできます。

 

 具体的な事件に対して研究の成果を反映させ、解釈の指針や方向性を示すこともできているのではないかと思います。

 

――東大では、社会科学研究所に所属してきました

 

 社研には、経済学、社会学、労使関係論や教育学など、多様な専門家が在籍しています。政治史や政治思想史、経済史の先生方からアドバイスを受けるなど、学際的な研究ができるメリットがありました。学部に直接つながっているわけではありませんが、大学院での指導を通して、将来の研究や実務を担う大学院生に研究の成果を還元したり、逆にフィードバックを受けたりすることもありました。

 

政治家がリーダーシップ発揮を

 

――研究の他、政策提言にも取り組んできました

 

 働き方改革では、安倍晋三首相(当時)を含む政策の責任者に実際にお会いして改革の方向性を一緒に議論しました。最終的にどのような評価を受けるかはまだ分かりませんが、これまでの比較法研究の成果が改革の理論的基盤の一つになったと言えるのではないかと思います。

 

 働き方改革もそうですが、労使の合意を重視する日本では労働法制の改革は漸進的にしか実現しません。10歩先のゴールを見据えて提言しても、1歩か2歩しか進まないこともありますし、1歩や2歩でもやり過ぎだという批判を受けることもあります。それでも、基礎研究との関係を大事にしながら、イメージするゴールに向けて近づいているかを常に確認するとともに、現実的な最善の選択としてここまではできたから、次はこのようにしてゴールに近づいていく、という道筋を論文にまとめて、社会に発信することも行っています。

 

――政策提言に携わってきた経験から、日本の労働法制の在り方についてどのような点が課題だと考えていますか

 

 日本の労働市場は、企業共同体に依拠しています。安定的・長期的雇用が前提の正社員がオン・ザ・ジョブ・トレーニングで訓練を積むシステムにより、1980年代までは競争力を発揮できていました。そして、こうした日本的雇用システムを取り込み、容易に解雇を認めないものの、就業規則の変更や配転出向など労働条件の変更は柔軟に認める労働法制が形作られてきました。

 

 しかし、その後のグローバル化・デジタル化・少子高齢化といった外部の急速な変化に企業共同体は対応できていません。現在、日本の労働生産性や賃金水準、エンゲージメントは国際的に見て低い水準にとどまっています。さらに、正社員と非正規社員の格差が顕在化し、非正規社員に対する低い処遇が経済全体を冷え込ませています。そして、日本的雇用システムを前提とした労働法制も社会の変化に対応できなくなっています。

 

 ただ、労働法制の改革は容易ではありません。政策決定プロセスもまた分権的・閉塞的な企業共同体を前提としているからです。大企業の経営者と大企業の労働組合の代表者が委員となった審議会で、両者の合意を重視して法案が作られ国会に提出されるという現在のシステムでは、改革案を巡ってさまざまな点で意見が対立して前に進まず、結果として微修正に終わることが多くなりがちです。

 

――改善には何が必要でしょうか

 

 これまで、政策提言に当たってさまざまな政党・団体で話す機会がありました。中長期的に見れば、改革が労使どちらのメリットにもなるし、逆にやらなければ双方が不利益を被るということを説明すると、どの政党も、経営者団体も、労働組合も、その方向性については理解を示してくれます。ただ、正式なテーブルに着くと立場上反対せざるを得ないことも多い。欧米諸国のように、選挙で国民の信託を受けた政治家が強力なリーダーシップを発揮して、時代に即した改革を進める必要があります。

 

 また、近年は労働者か否かの区別が曖昧な問題も増えています。従来の労働者だけではなく、フリーランスや求職者、退職者などを包摂した法律が必要になってきますが、そのためには厚生労働省や労働政策審議会の内部で議論するだけでは不十分です。省庁の垣根を越え、社会保障法や税制を含めた一体的な改革が求められます。ここでも政治家のリーダーシップが大事になると思います。

 

 インセンティブを与える政策手法の活用も進めるべきです。これまでは、労働時間の上限規制や男女差別の禁止など、命令と罰則によって実効性を確保しようとしてきました。しかし、監督官が全ての事業場を常に監督できるわけではない中、労働組合がない中小企業などでは、法令が守られない無法地帯に近い状況も生まれています。そこで、法令を守らなかった企業に罰則を与えるという方法だけではなく、遵守している企業の情報を積極的に開示する。求職者や消費者が、就職活動や消費行動に当たって法令をきちんと守っている企業を選択するように誘導する仕組みを作り、企業に法令遵守のインセンティブを与えることも、新たな規制の方向性だと思います。

 

東大生は勉強以外にも目を向けて

 

――今後の活動の展望は

 

 早期退職で早稲田大学に移籍するのですが、定年までまだ10数年はあるので、やることは基本的に変わらないです。私立大学に行く一つのメリットは、兼業の規制がほぼ外れることです。国立大学である東大の教員には、兼業・副業に厳しい規制があります。実務に携わったり、政策へのフィードバックをしたりする中で、政府の仕事をすることもあるのですが、現状では規制の枠からはみ出しそうなっています。新しい仕事を受ける時にはどこかを辞めなければならない、ということが今後は基本的になくなるので、実務との接点を意識した研究がやりやすくなるのではないかと思っています。ただ、実務や政策とのつながりが強くなればなるほど、基礎研究をしっかりやらなければ研究の基盤が揺らいでくるので、比較法や歴史研究を通じた基礎研究を足元で行いながら、実務や政策とつながる研究を進めていきたいです。

 

――東大生にメッセージをお願いします

 

 今の東大生には、二つ特徴があります。一つはよく勉強するようになったこと。もう一つは、起業するなど大学の殻にこもらない個性的で多様な学生が増えたことです。真面目に勉強することも、多様性が増すこともとても大切なことで、良い方向に進んでいるのではないかと思います。

 

 大学の研究は専門性が高く、ともすると内にこもりがちです。特に法学は司法試験があるせいか、1年生から専門的な勉強を始める人もいて特に内向きになりやすいです。ただ東大生の皆さんは多様な個性を持った人が多いので、研究分野はそれぞれの授業とかゼミで深く勉強しつつ外とのつながりを意識して、勉強以外のことも趣味として持ってほしいですね。いろんな視点や経験が、勉強や研究の幅を広げるのだと思います。

 

水町勇一郎(みずまち・ゆういちろう)教授
(東京大学社会科学研究所)
90年東大法学部卒。東大法学部助手、東大社会科学研究所准教授などを経て、10年より現職。著者に『詳解労働法』(東京大学出版会)、『労働法』(有斐閣)など。

 

 

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